15. 鉄の暴力と途の裁きと能ワズノ笛
予備動作すら見せず、彼らの視界からリンが消えた。重力に任せるように姿勢を下げ、敵の顎に向かって銃床を突き上げる。衝撃で仰け反る身体をダメ押しで蹴り倒すと、その手から電気銃を奪い取った。
周囲が殺傷武器に持ち替えるより速く小銃を捨て、電気銃のマガジンから電撃ユニットを排出した。針を逆手で握り、銃口が燃え上がったタイミングでその二本を投擲する。電気針はそれぞれサイボーグの喉元と鳩尾に命中した。
「リン!」
「……無理があったか」
電気ショックを受けて上方向に暴れる射線に、リンの頭部が擦ったらしい。よろめく足元に大きな血溜まりが一つ、二つと出来ていく。
残りは二体、手元の電気ユニットは一つ。
「二兎を仕留めなければ負け……難問だな」
リンが床の小銃を蹴り上げると同時に、二つの銃口が火を噴いた。その数発を手にした小銃の機関部で受け止めると、銃身に持ち替えフルスイングで相手の銃を叩く。
思わぬ角度からの衝撃で、リンに向けられていた照準が大きく狂った。その瞬間を見逃さず相手の背後に回り込み、背中に最後のユニットを突き刺す。
サイボーグは金属音交じりの叫びを上げ、海老反りの姿勢で卒倒する。倒れる直前、リンはその身体を全力で引き上げ、残る一体の銃撃の盾にしようとした。
しかし、その動きは裏目に出た。
相手は武器を投げ捨て、味方もろとも撥ね飛ばす突進に転じた。全身が機械化されているサイボーグは通常の人間に比べて少なくとも三倍以上の質量差がある。鋼鉄の身体を盾にしても防ぎきることができずに、敵もろとも後方に吹き飛ばされた。
リンは壁に背中を強くぶつけ、失神したサイボーグと板挟みになるように押し潰される。リンは思わず苦悶の声を上げた。
肺が圧迫され、思うように息が吸えない。酸欠でチカチカする景色の前に、ゆっくりと立ち上がる影が見える。捨てた銃に再び手を伸ばし、短く切り詰めた銃口をリンの肩に向けた。
「ここに魔法少女以外が存在しているという情報は聞いていない。お前は何者だ?」
リンにも理解できる言語だった。リンも必死で肺に息を満たすと、低く唸るように言う。
「……警察庁在特定区域刑」
言い終りを待たずに、隊員は引き金に指を掛けた。
続けざまに弾丸がリンの右肩を貫く。痛みで飛びそうになる意識を、太ももに爪を立てた痛みで繋ぎ止めようとする。しかし右腕の感覚は苦痛を飛び越えて消失し、熱い物が流れ出る鼓動だけがやけにリアルに感じられた。
「小口径の弾丸でなければお前の腕はとっくに消えていた。……高高度地条約に基づく『特殊環境下における恒常的研究活動の共有に関する同意』により、第十二階層は事実上日本国の管理下であるが、どの国の主権も認められていない領土になっている。その土地に日本国の警察が駐留しているとすれば、それは明らかな条約違反。その上、これだけの侵入を許しながら抵抗に現れたのはたった一人。そしてその一人の警察官に、我々は壊滅寸前まで追い詰められいる。
もう一度だけチャンスをやる。お前は、何者だ?」
今度こそ、熱気を放つ銃口はリンの額に向けられた。
その先端を静かに見つめながら、リンは独り言のように呟く。
「……銃口が完全に静止している。生体と機械部の親和性が完璧な証拠だ。……お前の担当技師は、さぞ才覚ある人物なのだろうな」
リンは喉奥から絞り出すように言葉を放った。流血は伸ばしたリンの足先にまで届く。やけに大きく聞こえる心音は、意思に反して血を体外に流出させ続けていた。
「返答の意思は無し。……愚かな」
「リン逃げて! 逃げてよ!」
これ以上、殺さない理由など無かった。
「神に仇為す愚民には使者の槍を、悪の穢れには聖の光を」
脱力したリンの手から、端末が転がり落ちた。
流れ出る血液も、遠く聞こえる少女の悲鳴も、鼻を突く火薬の匂いも、全ての感覚が無限に引き伸ばされてゆく。
「お前の負けだ」
直後、部屋に響き渡ったのは一つの音。甲高い「声」にも似た音の連なりが、そよぐ風のように空間を満たしてゆく。
詩歌ともまた異なる、不安定で脆弱さを感じさせる音の連なり。綿密に計算され尽くされたような、それでいて何の意味も持たないような、しかし何かを訴えかけるような、そんな響きが鼓膜を揺らす。
そしてその音は、ある時を以て「息継ぎ」の形で途切れた。
「これは……歌?」
静かになった部屋で、一つだけ変化が起こった。
銃を手にしたサイボーグが、一切の動きを止めていた。引き金は半分まで引き絞られた位置で止まり、その目だけは情報を求めて激しく動き回っている。
「歌」が再び響き始める。その音に混じって、聞き馴染みのある人物の声が大音量で響く。
『倫太郎さん! モモちゃん! ご無事ですか!』
ヒナは今にも泣きそうな声で、繰り返し呼び掛ける。身体の自由が戻り始めたモモは這うように近づき、恐る恐る声を出した。
「あ……モモ、っすけど。あの、これは……」
「……そういう、ことか」
ヒナが答えるよりも早く、リンが小さく言葉を吐いた。
「電気信号変換の阻害……だよ。大したものだな」
『……そういうこと、だそうです』
歌声は尚も鳴り止まない。何回も息継ぎを繰り返しながら、ヒロトは独特の音域を奏で続けている。
『『生体情報科学』──ヒロトくんの専攻分野です。生物の神経とコンピューターの電気信号を直接繋ぐという研究は近年になってやっと体系化されたので、まだ専門的に理解できる学生も少ないと聞きました。同時に指導教官の少なさ故、高等教育機関の倍率も尋常ではないと』
サイボーグの製造などで使われる生体神経と機械の直接結合は、イオンチャネルのはたらきで生み出される活動電位があまりにも複雑で微弱なために指先などの微細な挙動には適さず、簡単に電磁妨害を受けてしまう欠点があった。
この問題への対処として、従来の電気信号に加えてその信号を「音」に変換した伝達方法を併用することで、電波妨害への対処と挙動の安定性に一定の改善が見られるようになり始めた。
『でもこの構造にも抜け穴はあって、伝達に用いる音の波長を外部からぶつければ、異常な信号を筋肉組織に伝達させて行動を阻害することができる。……ってことらしいのですが、私も専門的なことはよく分からなくて』
硬直した隊員の身体が、静かに後ろに傾いた。その一瞬後には、精密機器の塊が絶対に出してはいけないような衝突音が、空気を震わせた。
声変わり前の半ソプラノボイスは役目の終りを理解したようにフェードアウトし、スピーカー越しにはヒロトの荒い息づかいが聞こえた。
「……生体情報工学は、人体の四肢欠損や運動補助を目的として人工義体を開発してる。でも、この技術がいずれ殺人ロボットみたいに軍事転用されることなんて、最初から分かりきっていたんだ。だから、一部の技師は万が一の事態に備えて、彼らの動きを人力でいつでも止めるための技を継承している。
『
最後の方は消え入るような声になり、それ以上、続く言葉は出て来なかった。
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