13. 鉄の進軍と覚悟の喪失と窮鼠の意地

一号機のドアが開き、破壊されたエレベーターホールのドアを通って第二陣が押し寄せる。前よりも明らかに人数が多く、それぞれの動きも統率が取れている。

 モモは部屋の真ん中に陣取り、正面から敵を向かい討つ。第一陣と同じく黒ずくめの全身装備で現れた後続部隊は、銃口をぴったりと合わせながらこちらににじり寄る。

 先に突入した失神したままの男たちを挟んで、両者は広い間合を取って相対する。

「へっ、もしかしてビビってんすか? こっちはいつでもいいっすよ」

 モモは身体の前で拳を構えて、ファイティングポーズの恰好をする。相手はさっきと同じような陣形で、小銃を完全に水平に保ちながら左右に展開を始めた。

 だが、今度はその動きが違った。

 床に倒れ伏す隊員には目もくれず、その身体を踏み越えて平然と進攻を始めたのだ。

 完全に予想外だ。モモの背中に冷たい物が流れる。

「こいつら、魔法少女わたしの能力が効いてない……!」

 条件反射に近い速度で、モモは部屋の奥に全速力で駆け出す。リンの自室の脇を抜ければ、その先は窓沿いの廊下がまっすぐ続いている。

「あのキモいぐらい完璧な挙動、もしかして戦闘用義体サイボーグ? もうあんなレベルまで開発が……」

 感心している暇など無い。第一陣の斥候部隊とは異なり、彼らは本気ガチだ。

 モモが駆け抜ける廊下の左側からは、白い光が点在する夜の日本列島東側が大きく見える。初めてタワーの最高層部を訪れた者ならば、一度は足を止めるほどの異観だろう。モモを追う隊員たちも、眼下の暗闇に広がるその光景に一瞬、目を奪われた。

 しかし直後、その視界は反転した。バランスを失った金属の塊は受け身を取ることもできず、床に叩きつけられた。

 廊下の両脇に置かれた観葉植物の鉢、その両方を結ぶようにして、ピンク色のLANケーブルが架けられていた。

「っぶねー……。念のために用意しといて良かったぜ」

 ケーブルに引っ張られて、背の高い観葉植物が通路を塞ぐように倒れた。うつ伏せになって藻掻く前列の隊員に後続も足を取られ、重い金属音が立て続けに鳴り響く。

 モモは一度だけ振り返り、それから全速力で距離を空ける。

戦闘用生体改造サイボーグは高い動体視力の代償として、上下の視界に制限が掛かる……私と殺り合うなら、対ゲリラ用でも引っ張って来るんすね」

 横倒しになったまま動けない義体を乗り越え、後続の部隊が追跡を再開した。モモは等間隔に並んでいる植木鉢を次々になぎ倒して進路を妨害する。その後ろ姿は、すぐに右に曲がった廊下の先に消えた。

 数秒遅れて、追手も廊下を右折する。突き当たりに見える標的の姿は、全力で走れば追い付ける距離ではある。だが相手もそんなことは分かりきっていたらしい。廊下の脇に立つ本棚を、一つずつ引き倒し始めたのだ。天井近くまで高さのある棚は廊下の断面を斜めに二分するように傾き、積まれた大量の書籍が足止めのように床に吐き出された。

 斜めになった木製の棚は天井端の凹凸と噛み合ったようで、びくとも動かなくなった。脚に体重を乗せて破壊に掛かる様子を尻目に、標的はまた廊下の突き当たりを右に曲がろうとしている。

 ……つまらない真似を。棚を木片にまで叩き潰し、収納されていた小物を蹂躙して行軍を再開した。細いプラスチックがへし折られる小気味良い音が、一歩踏み締める度に聞こえる。

 たとえどれだけ時間稼ぎを試みようとも、天へ伸びる袋小路では逃亡も無駄足だ。金属質の足音は、確実に相手との距離を縮めていた。



 棚を倒した足元に、大量のフィギュアとマンガが散らばる。プレミア、限定生産、初回特典……。繊細な造形のフィギュアが投げ出される様に、モモは思わず目を背けた。

 だが、そんなことを気にしている時間も猶予も残されていない。無惨な姿となったコレクションには一瞥もくれず、素足のままでリノリウムの床を駆ける。

 彼らは『教義』という大義を得て魔法少女を崇拝する組織だ。程度はどうあれ自分を殺害するような真似はまずあり得ないだろう。

 しかし、それ以外は別だ。目的の達成のためにあらゆる犠牲を振り撒く彼らに、このタワーに住む無辜むこの民が見えているだろうか。『魔法少女のみを目的とする』という彼らの任務は、『それ以外はどうなってもいい』と曲解されていないだろうか。

 一秒でもいい、追跡の時間を引き伸ばすことができれば、人間への被害は抑えることができるはずだ

「お願い、間に合って……!」

 躊躇する思いを捩じ伏せ、次の本棚に手を掛ける。

 悔悟と怨嗟と自責の念で、指先が黒く染まっていくような気がした。





 追い詰めた。雑多な書籍がうず高く積まれた突き当たりの部屋で、両者は対峙する。

 鋼鉄の頭部装甲の下で、不自然な笑みが自然と浮かぶ。顔面の表皮や筋肉にまで人の手が加えられているために人間らしい表情に制限が掛かる一方で、脳構造の改造により嗜虐性が増幅されているため、ぎこちない笑みしか作ることが出来ないためだ。標的は壁を背にしてこちらを睨み付けている。その目からは底知れない怒りと憎しみが読み取れた。

 この空間は、生身の人間なら数分も持たずに卒倒するほどの『魔法』で満たされているのだろう。生存不能圏での特殊任務ほど優越感を覚える仕事は無い。隊員の多くが下卑た笑いを浮かべて、目の前の小さな標的を弄ぶように追い詰める。先頭の隊員が手にするのは大型の電撃銃とアラミド繊維の拘束用衣装。能力を除けば世代の平均にも劣る身体の少女には、過剰なほどの対策だ。

「アンタらこんなガキ一匹にマジになって、恥ずかしくないんすか?」

 少女は爆発しそうな感情を抑えるように、肩を上下させて食い下がる。

「地獄の苦しみの中で全身改造までして、その結果やることが少女の誘拐? 故郷の母ちゃんが聞いたら泣くっすよ。限りある命なんだからもっと有意義なことに使いません?

 ……私に比べりゃ、よっぽど自由な人生なのに」

 しかし、嘲笑を浮かべる隊員たちはその言葉を理解しない。何でも無いように右手を伸ばし、一瞬の隙も置かず引き金を引いた。

 モモは短い悲鳴を上げ、その身体を激しく痙攣させる。電撃銃から射出されたユニットは薄いTシャツを容易く貫き、地肌にパルスを流し込む。壁を支えにすることすらままならず、モモは床に尻もちをついた。

「……せめて麻酔銃とかにしてくれないすかね。クソッ、口の中が焦げ臭いや」

 ユニットの電池残量が尽きたのか、痙攣の止まったモモの腕が力なく垂れ下がり、すかさず拘束具を手にした一人が歩み寄る。重い金属の金具が触れ合う音が、有無を言わさぬ連行を示唆する。

 隊員が最後の一歩を踏み出す直前、モモは感覚の痺れる手で電気銃のユニットを身体から引き抜き、床に転がした。円筒形のユニットは鉄の扁平な足で踏まれ、隊員は身体のバランスを僅かに崩す。

 そのタイミングを見逃さなかった。モモは渾身の力で床を蹴り、肩から体当たりを食らわせた。一度重心が閾値を越えれば、人体より遥かに重量のある上半身は姿勢を保てなくなる。耳を塞ぎたくなるほどの不快音と共に、義体は背中から床に落ちた。

 周囲の隊員が一斉に射撃姿勢を取る。だが射出されるよりも早く、モモは倒れたままの隊員から電撃銃を引き抜いた。そして細い腕で重い拘束具を掴み上げると、まさに発射されようとする銃口に向かって広げるように投げる。空気圧で射出された複数の電撃ユニットは、拘束具の強靭な繊維を貫けずに弾かれた。

 モモは手にした電気銃から充電済みのユニットを取り出し、次弾をリロードする隙を突いて飛び掛かる。そのままユニットを隊員の首の付け根、さらにもう一人の脊椎の奥に突き刺した。

 神経の中枢に直接パルスを流し込まれた身体は明らかに異常な挙動を見せ、その振動でモモも吹き飛ばされた。

 モモは部屋の壁にしたたか腰を打ち、苦悶の呻きを上げる。涙で滲む視界の前には、行動不能に陥る二体のサイボーグの姿がぼやけて見えていた。

 しかし、それより後のことは考えていなかった。部屋の中で動ける隊員はあと六人。その中の一人が、横たわる義体を跨いで迫る。

 スモークヘルメット越しの目は、明らかな憤怒の色で満ちていた。

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