09. 保安警報と存在しない傷と上昇する悪意

「何だ!」

重大保安危機警報ブラック・コールです! 何かタワー内で異変が起こったようですが……』

 ヒナも現状を掴めていないようだ。だがサイレンは一向に鳴り止まず、その音に混じって次第に人間の怒鳴り合う声も聞こえてくる。ヒナは困惑した表情で立ち上がり、背後をせわしなく行き交う職員に声を掛けようとする。

「何が起こったの……?」ヒロトも不安そうに辺りを見回す。

「分からん。だが第十二階層ここは安全なはずだ、じっとしてろ」

『倫太郎さん!』ヒナが画面に駆け寄り、叫ぶ。

『タワー内のエレベーターが全機、制御不能に陥ったと情報が入りました!』

「何だと!?」

 テンプルム・タワー内のエレベーターは、コンピューター制御による自動運転で完璧なダイヤグラムを構築している。危機対策の自動マニュアルも万全を期しているはずだ。

『すでにエレベーター同士の衝突事故が七件、中に閉じ込められたって通報も! これは一体……』

 リンは思考を巡らせて可能性を探る。制御システムの中であらゆる危機はフローチャート化され、自己学習によって最適な対策を講じることができる。だが、もし想定外の危機が訪れたとしたら? 想定以上の危機だとしたら?

「ヒナ、外部からのサイバー攻撃の可能性は?」

 考えられるのは、だ。

『サ、サイバー攻撃ですか? えと、まだそういった発表は……』

『リン! 聞こえるっすか?』

 ヒナとの通話に割り込むように、モモが強制的に通話を繋いできた。

『なんかタワー中大騒ぎっすよ! なんか管理局に勤めてるスレ主が、管理用コンピューターが攻撃されたかもって言ってる!』

「コンピューターが……! 攻撃元は?」

 画面の向こうでは、ヒナが送られてくる情報に必死に目を通している。もう彼女の周囲に人影は無いようだ。

『そうですね……過去三十分の海外サーバーとの通信で不審なデータ送信は無し、国内に関しても調査済みと報告が上がっています。変ですね、……!』

「攻撃されてないって、幽霊じゃあるまいし……」

 しかし、形跡がどこにも無い以上『外傷』という線は消える。となると、残りは……。

『電子刑事局の解析結果が出たみたいです! 短距離輸送支線の内の一基、識別番号CLL510000069を経由して、不正な情報が入力された形跡が見つかったそうです!』

「やはり内部からの仕業か……当該機体の移動履歴と乗員は!」

『すぐに送ります!』

 端末に文書ファイルが送られてくる。エレベーターの過去十二時間の移動履歴を記録した時刻表のようなものと、搭乗時にスキャンされたIDカードの持ち主の名前が並んだリストが表示された。

「最も直近の停泊は第九階層。搭乗している人物も特に異変は無いか……」

 ヒロトも横から端末を覗き込む。関係のない部外者に見せるような資料ではないが、彼が何かに気付いたような表情を見せたのを、リンは見逃さなかった。

「何か分かるか?」

 ヒロトは画面の中の名前を指差した。

「この子とこの子……あとこれも。僕の外国語学校の同級生だ。ちょうど授業が終わる時間だから」

 現在時刻は八時二十分。会社員の退勤ラッシュに続いて、塾通いの子供たちの帰宅時間帯にも差し掛かったようだ。

「彼らもまだエレベーターの中に?」

『は、はい。幸い事故には至っていないようですが、五八〇階から五八一階の間で緊急休止セーフティモードに入って停止しています。怪我人の状況などはまだ何とも……』

「特に怪しむべき事項は無さそうに見えるが……。だが、なぜこの機体からサイバー攻撃が?」

 リンは首を捻る。だが、乗員が全員リストアップされている以上、容疑者を絞り出すのは時間の問題だろう。

『今、ニュース入りました! えーと、現在三百基以上のエレベーターが機能を停止中。衝突事故は六十一件、怪我人も百人以上報告されてる、とのことです!』

 リンの端末にもニュース速報がポップアップする。運行障害の影響で、最低六時間はエレベーターシステムの定時運行を停止するという。

「ヒナ、お前は大丈夫なのか?」

 すでにサイレンは鳴り止んでいるが、ヒナの居る部屋の外ではくぐもった喧騒が響き続けている。居住階層レジデントフロアでは相当な混乱が発生しているはずだ。

『はい。私はこの部署の留守番を頼まれたのでここから動けません! ま、どうせ今日は当直勤務ですしね』

「そうか、だがお前も気を抜くなよ。こういった非常事態に乗じて犯罪行為に走るやつは山ほど見てきた」

 警察職員にとって脅威なのは、災害そのものではなくそれによって異変をきたした人間の行動なのだ。

『ええ、そうですね。エレベーターが復旧しないとヒロトくんの身柄受け渡しも出来ませんし……。あ、そうだ。今のうちにIDカードのナンバーだけでも教えていただけますか?』

 どうやらセキュリティの観点から、名前からIDを逆引きすることは出来ないようになっているらしい。

「構わんが、さっき見たら内部の情報は破損してたぞ」

『問題ありません。どうせ私の権限ではカード内の情報までは閲覧できないですし。後で速やかに解析班に送るためですよ』

 リンはヒロトのカードを取り出し、サーバーが発するLEDの明かりに照らして確認する。裏面にはエンボスレス加工のIDが印刷されていた。

「えーと、彼の個人ナンバーは♭♭フラットがふたつとTLFLGK44119572330……以上だ」

 読み上げ終わると同時に、ヒナは『うん?』と首を傾げた。

『おかしいですね……。倫太郎さん、それ本当にヒロトくんのカードですか?』

 リンは表を見て確認する。だが印字された名前に間違いはない。

「何が変なんだ? もう一回読み上げるか?」

『最初の桁は♭♭TLFLGK……これで、合ってますか?』ヒナの声はどこか迫真めいた緊張感を帯びる。

「ああ、間違いないよ。そう書いてある」

『そうですか……いや、でもそんなことは……あり得ないよね、さすがに……』

 ヒナはうわごとのように何かを呟く。その様子に、リンの胸にもざわついた不安が沸き起こる。

「おい、ヒナ。どうしたんだ?」

 手元の資料をめくって次々と目を走らせていたヒナは、ある所で手を止めて画面に向き直った。その表情はいつもの柔和な表情とは程遠く、完全に青ざめている。

『り、倫太郎さん、落ち着いて聞いてください。私はヒロトくんのナンバーを知っている訳ではありません。

 でも、

「……は?」

 ヒナは震える声で先を続ける。

『そのカードに記載された上の八桁『♭♭TLFLGK』は、北米連合刑事警察局ホッキョクが捜査上使用する介入暗号バックドアコードの開始の文字列です! ただ、このコード自体は五年前に使用の終了宣言が出されているはずです。それにどうしてヒロトくんのカードにそれが……』

「それは何だ? 使うとどうなる!?」

『本来外部には一切の情報提供をしない管理局のサーバーに、超法規的に侵入するための手順プロトコルです。国際犯罪の捜査や『憂慮されるべき特殊事案』に対応するために設置が合意された物ですが……これを使えば、実質的なタワーのシステムの掌握も可能です』

「なぜそんな物がただの中学生のIDカードに?」

『わ、私にもなんとも……例えば、誰かにカードを盗まれてIDの情報だけを書き換えられたり、偽のカードにすり変えられたりしたなら話は分かりますが……』

「心当たりは?」

 話を振られたヒロトは、即座に首を横に振る。

「本当に?」

「嘘なんてついてどうするんだよ! 第一、盗まれたりしたら警察に届け出るだろ!」

「じゃあ誰かに渡したりは?」

「それもしてない……いや、渡すぐらいなら、普通に……」

「あるのか?」

 詰め寄るリンに、ヒロトはたじろぐ。

「え、いや……外国語学校の先生とかは毎回授業前に集めるけど……。でも、ただの出席確認だから、関係ないと思う」

「ヒナ」

『……ええ』

 二人の表情は深刻さを増す。

『いいですか、ヒロトくん。あなたはまだ実感が無いかもしれないけど、IDカードは個人情報の塊です。

 一般常識として、あのカードを他人に預けることは絶対にしてはいけないんです』

「え……それって」

「その外国語の先生はどんな人物だ? 名前は、国籍は?」

「……英語の授業のアレックス先生。北米の人間だって言ってたけど……」

「確か『志賀野I・Cインターナショナル・カレッジ』だったな? ヒナ、第九階層に連絡、当該人物の確保を」

『もうやってます! って、あれ? これ……』

「どうした? 今度は通信障害か?」

『いえ、違うんです。電子刑事局からのレポートがまた一斉送信されたんですけど、中央縦貫リニアエレベーター群が命令も無く動き始めたと……約十分前に』

「勝手にか? 何で急に」

『リン!』

 今度はモモが電話口で叫ぶ。

『エレベーターの監視カメラに、なんかヤバいのが映ってるっす!』

 モモはモニターの映像をカメラで映した。そこには黒い装甲と小銃で身を固めた集団が、少なくとも十人以上は搭乗していた。

『こちらからもモニターできました! リニアエレベーターの二号機、現在第九階層を移動中です!』

「何者だ、こいつら! ヒナ、特捜一課に通報しろ!」

『は、はい! でもこれ、内部の自治部隊とは違いますよね……』

「自治部隊でもタワー内での火気使用は禁止だ。考えられるとしたら日本本国の反タワー派アンチマターか、在日勢力の外れ者ワナビーか……だが内部に侵入してのテロ活動なんて、まさかそんなことが……」

「この映像、解像度上げれますか?」

 唐突に、ヒロトが言う。モモが画質処理を画面に掛けると、彼らの装備がさらに鮮明に映し出された。

 ヒロトは小さな端末の画面を凝視し、聞き取れない言葉で何かを呟く。

「おい、何か分かるのか?」

「ちょっと待ってください」

 背部装甲に書かれた白い文字を、指でなぞるように何度も確認する。そして、彼は導き出した結論を口にした。

「これ、中亜諸語の文字だ。こいつら大陸奥部から来てる!」

「大陸奥部って、国外勢力じゃないか! 何て書いてあるんだ?」

「それが、訳しても意味がよく分からないんです。『神と人間の魂のための集まり』、直訳するとこんな感じかも……」

 その言葉を聞いて、電話の向こうでモモが息を吞んだ。

『……なるほど、完全に理解したっす。こいつらの標的はここ。

 何でも無いように振舞うが、その声は隠しきれない何かを滲ませるように震えていた。

『第十階層も通過! まさか本当に、そちらに……!』

「クソっ!」

 リンが飛び出す。ヒロトは事態に付いて行けずに、呆然とその背中を目で追った。

「ヒナ! そいつを見張ってろ!」


 それだけ言い残すと、リンは非常扉の向こうへ駆けた。

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