05. 落ちこぼれと沼男と撃たれた雷

 ヒロトは最初のベッドの部屋から、天井の通気ダクトを伝って移動してきたのだと言う。

「……なんでそんなに離れるんだ?」

 モモはハシゴを降りた部屋で、ヒロトと対角の位置の角にあぐらをかいた。二人の間にはマンガ本で構築された『前夜祭』の祭壇が鎮座している。

「私の流儀だと思ってください。とにかく近寄るのは禁止っす」 

「……まあいいけど」

 周囲を見渡すと、この部屋には何故か四隅に観葉植物が二鉢ずつ置かれている。さらに辺の中央にも一つずつ、二人は合計十二個の植物に囲まれていた。

 距離が離れているので、ヒロトの声も自然と大きくなる。

「単刀直入に聞くけど、

 その言葉に、モモは不愉快そうに眉根を上げた。

「はぁ? 何言ってんすか?」

「答えろよ。早く戻らないとアイツに気付かれるだろ」

 ヒロトは少し腰を上げて階下を覗く。リンが出てくる気配は無い。

「アンタねぇ、初対面の人間に『お前は魔法少女か?』なんて、変だと思わないんすか? 頭良いんだったらその辺も弁えてほしいんすけど」

「うるさい」

 マンガの山のせいで向こうの表情はよく見えないが、何やら苛立っている様子だ。

「いやまあ何と言うか……。じゃあ、もし仮に私がそうだとしたら、何だって言うんすか? あ、もしかして『僕も魔法少女になりたぁ~い!』的なアレ?」

「茶化すな!」

 怒られてしまった。モモはやれやれと肩をすくめる。

「お前が『世界を滅ぼす魔法少女』だったら……、もし本当にそうなら、頼みがある」

「頼みぃ? そんなもん、中坊ならママに頼めば大概一発っしょ」

「僕を殺してほしい」

「ふーん……え、え? 今なんつった? 殺してほしい? ちょっ、冗談でしょ?」

「僕は真剣に言ってる」

 ヒロトの気迫に負け、モモも黙ってしまう。

「自分で死ぬのは怖いけど、僕を殺してくれる人なんていない。だから僕はわざわざここまで来たんだ。お前に殺されるために」

 冷静に言うが、その顔は少し青ざめている。モモはハァ~と大袈裟にため息をつくと、「めんどくせぇモンに憑かれちまったぜ」と溢した。

「訳アリのガキって事すか……。ま、五分だけなら話聞いてやってもいいっすよ。私も暇じゃないんで」

 言うが早いか、モモは端末を取り出して操作する。わざわざタイマーをセットしたらしい。

「はいスタート。どうせ死ぬんなら、なんか面白い話でもしてから逝ってください」

 唐突に急かされてヒロトは面食うが、時間を無駄にしまいとなんとか言葉を紡ぎ出す。

「……予備校を退学になったんだ。アレが見つかったせいで」

「アレ? ああ、記録潰しのことっすか?」

「うん。リュックに入ってたのを外から見られたんだ」

「へぇ……」

「……」

「え、たったそれだけ? アンタは予備校退学になったら死ぬようなザコメンタルなんすか?」

 拍子抜けするモモに、ヒロトは焦ったように食って掛かる。

「それだけってお前、のことを何も知らないのか? だって僕は『ヤオガク』なんだぞ? なのにあんな物を持ってたせいで予備校を追い出されて、それで成績も下がって授業に付いていけなくなって、僕の努力はそこで終わるんだ……。

 第九階層で一度レールから外れたら、その時点で死ぬまで落ちこぼれ決定。クラスメイトにも見下されて、僕は、僕は……」

 ヒロトがまくし立てる話によると、多くの人間の一生がタワーの中で完結するこの社会では、タワーの外、特に海外への就職希望が非常に高いらしい。しかし希望者に対する求人数は極端に少なく、また内定を確実に得るための外国語能力や専門的スキルも、求められるレベルが毎年指数関数的に高くなっていると言う。

「じゃあアンタも、タワーここから出るために毎日予備校漬けだと?」

「小学生から予備校に通うのなんて当たり前だ。月曜日はプログラミングと水泳、火曜日は機械工学と解剖学概論、水曜日は国際政治史と小論文添削、……それで今日は総合外国語だ」

 ——総合外国語。海外での活躍の幅を広げるため、目安として高校卒業までに最低三か国語を習得していることが望ましいらしい。

「『志賀野I・Cインターナショナル・カレッジ』——僕が通ってる予備校はレベルの高さが桁違いなんだ。毎月あるテストで成績の下から十人は落とされるし、課題の量も授業の難易度も半端じゃない。授業料も普通の英語塾とは比べ物にならないぐらい高いし」

 あーはいはい。そこまで聞いてモモは心の中で一人合点する。『成績が悪くて退学になったのならまだしも、違法になるような物を所持して退学なんて帰って親に顔向けできない』彼はそう言いたいのだろう。ヒロトの額には、大粒の汗が浮かんでいた。

「『今までの殻を捨てろ』、父さんはいつも口癖みたいに僕に言うんだ。僕だってその期待通り、必死に藻掻いてる。……ほかの誰よりずっと!

 でもそれも終わりだ。こんなことになったらもう、僕はこのタワーから出られない……」

 モモが口を挟む間もなく、ヒロトは一人で言葉をまくし立てる。しかし対照的に、顔色はどんどん青ざめてゆく。

「一度道を踏み間違えたら、この社会ではもうやり直しが効かないんだ。もっと潰しの利く才能があればまだ良かった。でも僕の得意分野じゃ、他の世界では生きていけない。どれだけ努力を重ねても『お手本』通りの人生を辿れなかったらそこで終わりなんだ! だから、だから……僕はもう、ここで死ぬしか」

「はい、タイムオーバー」

 モモがストップウォッチを止めた。ヒロトは全身汗だくで、酸素が足りないのか喘ぐように呼吸をしている。

「私とのお喋りタイムは終了っす。早急に元の場所に戻ること。なんせアンタは拘束中なんすから」そう言って天井板を指差す。

「……理由を言ったら殺してくれるんじゃないのか」

「そんな事言った覚えは無いっすよ。第一、私がアンタを殺すメリットなんてどこにも無いし」


「ふざけるなよ! 僕が何のためにここまで来たと思ってるんだ! 

 …… 

「……おい、クソガキ」

 モモは低く唸るように言う。

「アンタ、私に殺してほしいんっすよね?」

「だからそう言ってるだろ!」

「バーン」

 モモは指鉄砲をヒロトに向け、その指先を上に跳ね上げた。

「はい、アンタは死にました」

「……は?」

沼から出てきた男スワンプマンって知ってます? 人間が一度死んで、その後それと全く同じ分子構造を持つ別の存在が現れたとしたら、それは『同一人物』と呼べると思います? 

 私の考えはノーっす。生き物の自己同一性は、その者が持つ人生の履歴や生き方クオリアまで参照されるべきってことっすね」

「人生の履歴……」

「私は今、アンタに『雷』を撃ちました。人を完全に消し去れるほど強い奴をね。その後、元の人間を完全に模したコピーを同じ場所に作った。それが今のアンタっす。もちろんアンタが死ぬ前の記憶も持ってるし、コピーは完璧だから違和感もない。死にたかったアンタは本当に死んで、今のアンタは別人として生まれ変わったって訳っすね」

「そんなの詭弁だ! ふざけるのもいい加減にしろ!」

「それをどうやって証明するんすか? アンタが本当に死んでない証拠は?」

「『無い』物を証明できるわけがないだろ! ……もういいよ、お前に頼んだ僕がバカだった」

 ヒロトは力無く立ち上がり、ハシゴを握る。体力を持っていかれたのか、登る姿はどこか頼りない。

「ちゃんと戻っといてくださいよ。じゃないとリンに怒られるんで」

「……お前が死ねよ。クソ野郎」

 そう暴言を吐き捨てて、天井裏に消える。

「あーあ、なんかヤな雰囲気になっちったなぁ~」

 残されたモモは、部屋に放置された『祭壇』を呆然と眺める。傍らに置いていた記録潰しを、そこに向かって乱暴に投げつけた。


「私だって、死にたい気分っすよ」


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