06. 時刻表と盗み聞きと逃走経路
「何? 応援が来れないだと?」
受話器を耳に当て、リンは怪訝な顔をする。
『は、はい……すみません。今の時間帯は帰宅ラッシュが激しくて、
通話相手の女性は慌てた様子で何度も誤っている。電話の向こうでは頭も下げているのだろう。
「
テンプルム・タワー内の交通手段は、建物内を縦横に移動するエレベーターがメインだ。内部のエレベーターは大別すると、利用客の多い第三階層から第九階層までをループ状に循環する中央環状幹線、各階層の中だけを移動する短距離輸送支線、そして第一階層から第十二階層までを縦に貫く
『はい……。ただ、新年度は人の移動パターンが大きく変わるので、最初の一ヶ月ほどは念のために
つまり、時刻表に狂いが生じるからイレギュラーなエレベーターは回せないと言いたいようだ。
「利用人口が少ないからって勝手なことしやがって……」
そう吐き捨てるが、通話相手がひたすら謝るだけで根本的な解決にはならない。
『そ、そういえば倫太郎さん、第十二階層に男の子が迷い込んだとか……。身柄の引き渡しにはまだ時間がかかりそうですが、何かこちらでお手伝いできることがあれば、えっと、その、いいのですが……』
「そうだな……」
リンは思案を巡らすように辺りを見回す。その視線は、卓上に並んだモニターの一つに留まった。
モモとヒロトが、部屋の中で距離を空けて向かい合っていた。彼を軟禁していたはずの独房の監視カメラに人影はない。抜け出されたようだ。
「なにやってんだ、アイツら!」
リンはすぐに部屋を飛び出そうとしたが、思い留まって少し考えた後、コンソールのツマミを回して二人の音声を取り込んだ。
『あ、あの……倫太郎さん? どうかされたのですか?』
「ちょっと待ってくれ」
二人の会話をある程度まで盗み聞き、リンはスピーカーの音声を落とした。
「……待てよ。あの少年は退学になったから自暴自棄になって違法な機器を使ったのではなく、記録潰しを持っていたから退学になった。順番が逆だったのか……!
だったらどうして、彼は最初からあんな物を所持していたんだ?」
リンの独り言に、彼女は困惑するばかりである。
「ヒナ、聞きたいことがある。現在裏市場で流通しているような違法機器を用いて、エレベーターのセキュリティシステムを突破することは本当に可能か?」
『えっと、私は電子刑事局ではないのであまり詳しくないのですが……データベースで検索してみましょうか?』
「ああ、頼む」
キーをタイプする音がしばらく続いた後、ヒナが声を上げた。
『あっ、ありました! 『IDカード内情報の改竄による立ち入り禁止階層への不法侵入』の事案は、過去十年で十七件登録されています。特に近年では微増傾向みたいですね』
「その中に、一人の少年による犯行はあるか?」
『いえ、多くは知識に秀でた愉快犯か、組織立った犯行です。海外の犯罪者集団のものとみられる事案が多いようですが……少年による犯行は今のところ無いようですね。流石に、まだ数学もマスターしていないような子供には難しいんじゃないかと……』
「いいや、最近の子供はあらゆる知識を幅広く有しているらしい。侮れないさ」
リンはモニターの映像を一瞥して言う。話が終わったのか、ヒロトはヨタヨタとハシゴを登って天井裏のダクトに消えて行った。
「だが彼は別だ。……何かが引っ掛かる。
ヒナ、悪いが当該人物松嶋ヒロトについて、周辺を洗ってくれないか?」
「で、でも倫太郎さん。警察捜査上知り得た情報を外部に漏らすのは……」
「なら『警察庁在特定区域刑事局捜査第一課特殊犯罪対策室長』の肩書きを使うさ。内部の人間同士なら、
「あー……確かそんな名前でしたっけ?」とヒナは笑う。「一度もウチで働いてる所を見たことが無いんですけど」
「俺も色々と忙しいんだ。暇になったらまた行くさ。……とにかく、頼んだぞ」
「了解ですっ。何か分かったらまた連絡しますね」
連絡を切って、リンはオフィスチェアに背中を預けた。
何か有意義な情報は出るだろうか、出来れば穏便に事が済んでほしいと願いながら、天井を見上げる。何だか今日は妙に疲れた。リンは椅子に背中を預け、ゆっくりと沈む意識に身体を委ねた——。
——ハッと我に返る。無意識の内に浅い眠りに落ちていたらしい。凝った身体を捻りながら視線を前方に戻した時、リンの視線がモニターのある一点に釘付けになった。
さっきダクトに消えて行ったヒロトが、まだ部屋に戻っていない。彼を最後に見たのは何分前だ?
時計を見ると、あれから十五分も経っていない。だがあの部屋同士の距離ならば、多く見積もっても五分以内で移動できるはずだ。
完全に自分の失態だ。同い年ぐらいの見た目の二人ならば、自分では聞けない話も聞けると思ったのだ。あの時ダクトに戻る前に連れ出すべきだった。不注意にも居眠りなどすべきでなかった。
リンはすぐにモモの居る大部屋に飛び出す。考えられる可能性は、ダクトの中で身動きが取れなくなっているか、さらに別の場所に逃げたか。
「モモ! あの少年は!」
階段を駆け上がって叫ぶ。モモはまだ部屋の角で三角座りをしていた。
「へ? いやさっき戻って行ったけど……って、バレてたんすか」
「あの子がまだ部屋に戻ってない! 途中で何かあったのかもしれない」
「私にそんなこと言われても、別に知らないっすよ」
「知らないって、お前なぁ」
その時、天井よりさらに上の方で、金属の柵が落ちるようなガシャンという音が響いた。
「あの音……」
「サーバールームの通気口か! モモ、解析は頼んだからな!」
リンはそう言い残すと、階段を跳ぶように降りた。
嵐が過ぎ去り、自分だけ置いて行かれたような静けさが訪れる。
「……どいつもこいつも、身勝手にも程があるでしょ」
モモは、部屋の真ん中に投げ捨てられた小さな機器を一瞥した。
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