03. 白い部屋と違法機器と低俗な迷信信仰
慣れないベッドの冷えたシーツが心地悪くて、少年は目を覚ました。白で統一された室内も薄い薬品の香りも、何もかも心当たりのない環境だ。
僕は何故こんな所に? 記憶を辿っても直近の思い出が蘇らない。変な倦怠感と目眩がして、頭が上手く回らないのだ。
少年はベッドから足を出し、床に降りてみる。自分が履いていたであろうスニーカーとリュックが、足元に綺麗に並べられていた。
白い部屋に窓は無く、ベッドと簡易机以外の調度品も無い。鉄板を曲げて溶接しただけのような壁も、その無骨さを強調している。
……そうだ、少年は足元のリュックに手を伸ばす。開くと、中には大量の参考書とノート。ああ、そっか。これを手掛かりにして、少年の中で記憶が像を結び始めた。
「目が覚めたか」
正面の自動ドアがスライドして、リンが入ってきた。その表情は硬く、相手が少年とはいえ警戒の姿勢を崩していないように見える。
「貧血と軽い脱水症状だ。体調に目立った問題は無いよ。
……個人IDナンバー『♭♭TLFLGK44119572330』、松嶋ヒロトくん、で間違いないか?」
見上げるほどの高さから掛けられた言葉に、ヒロトは委縮してしまう。
誰なんだ、このデカい男は。サイドを刈り込んだ短髪にワイシャツの上からでも分かる筋肉質な腕。どこかの警備員のようにも見えるが、それにしては服装がラフ過ぎる。
「俺は如月倫太郎だ。君の話を聞かせてもらう」
そう言って脇の丸椅子に腰掛け、目線で少年にベッドに座れと促す。座って向き合ってもなお、ヒロトの目線はリンの胸と同じ高さにあった。
「何故こんな所まで来た? いや、どうやってここまで来たんだ?」
まだ一言も発していないが、リンは一人で話を進める。言葉の端々からは、「余計な仕事を増やしやがって」という様子が読み取れる気がした。
「ここは、どこですか?」
「ここはテンプルム・タワーの第十二階層だ。本来立ち入り禁止のはずのな」
ヒロトは驚いたように目を見開いたが、すぐに自嘲気味な笑みを浮かべた。
「やっぱり、来れたんだ」
「どういう意味だ?」
「……別に、話す必要もありません。早くここから出してくださいよ」
「出来ればそうしたいが、こちらにも義務がある」
リンが取り出したのは、傷一つ無い真っ白のカード。表面には斜めに深緑色のホログラムの装飾が施されている。表面には顔写真と、『松嶋ヒロト』の刻印が入っていた。
「複合居住区内条例第二十一条の二。『IDカードの回収、差し押さえ及び内部情報の閲覧は、内閣府によって指定された行政事務組織、行政法人またはそれに準ずる者に限る』という規定に基づいて、君の個人情報と行動履歴を拝見させてもらってる——モモ、出たか?」
少し間が空いて、天井のスピーカーから心底めんどくさそうな少女の声がする。
『あー……基本情報なら展開済みっす。名前は松嶋ヒロト、十三歳、住所は第四階層五十三居住区あさもや団地十九棟四一〇七号室。で、えーっと……学歴は第四階層公立第六小学校、それから、今年の四月に第九階層の学園連合法人
「なんだ、指定テロ組織か?」リンは椅子から腰を上げて身構える。
『なんでそういう発想になるんすか……。八尾学園は日本でもトップクラスの進学校っすよ。声優のマリン・ニシカワちゃんとかライバーの乙姫あろま様とか、インテリの有名人をいっぱい出してる所っす』
モモが出す有名人の名は誰一人知らないが、頭が良い学校なのは間違いないのだろう。ヒロトが持っていたリュックには小難しい参考書がパンパンに詰まっていた。
『そいで次に行動履歴っすけど……うわっ、何じゃこりゃ! えー何すかこれ? とりあえず、スクショ送りますね』
端末が振動する。リンは胸ポケットから端末を取り出し、送られてきた画像に目を通した。
「……これは」
「な、何か?」
リンは画面をヒロトの方に向けた。IDカードに記録された行動履歴を参照する画面のようだが、並んでいる文字はどれも文字化け、もしくは空白になっている。
「IDカードのデータが破損してる。カードのスキャン自体は出来たから外部破損が要因ではないだろう」
「それにカードの個人支給は中学から始まるから、経年劣化とかでも無いっぽいすよね」
まだ
「考えられるとしたら……これか」
リンはベッド脇の机に手を伸ばす。その手に握られていたのはカードより一回り大きい黒い箱のようなもの。側面に平べったい穴が空いている以外は、何の凹凸も無い外見をしている。
「君がカードと一緒に手に持っていた物だ。これが何なのか、説明してくれないか?」
ヒロトはハッとした顔と共にそれに手を伸ばしかけ途中で止めた。唇を噛んで、俯きがちに黙ってしまう。
リンは椅子に座り直し、説得のアプローチを変えようと試みる。
「もし君がここに来たのがエレベーターの誤作動や何かの手違いなら、IDカードの移動履歴を削除した上で釈放することもできる。だが今は状況が違うんだ。内部データのみを意図的にクラッシュさせたような痕跡に正体不明のデバイス。君が
……君の身柄を然るべき機関に引き渡す」
その言葉を受けて、ヒロトの頭の中に無数の思考とその結末が渦巻く。だが、観念したように掠れる声で小さく言う。
「……
「やっぱりな」
タワー内に居住する人間には、身分証や通行証としてIDカードが与えられる。そのカードには個人が属する立場や立ち寄った場所がセンサーによって記録され、特にタワー内のエレベーターに搭乗する際にはカードをセンサーにスキャンすることが義務付けられている。また、埋め込まれたICチップの特殊なセキュリティ構造によって、政府が支給する
しかし、未だにタワー内に蔓延っているらしい
「これを、使ったんだな?」
「……はい」
「どうやってエレベーターのシステムを突破した?」
「カードの
「そうか」
リンは素っ気なく言う。
「違法機器の所持及び使用、IDカード内情報の汚損、立ち入り禁止区域への侵入。全て犯罪行為だ。……君を警察に引き渡す」そう言って、椅子から立ち上がる。
「……そうですか」
「何か言いたいことは?」
そこでヒロトは初めて顔を上げた。その表情には、どこか開き直ったような色が見て取れる。
「さっき、ここに女の子が居ましたよね? エレベーターの中で確かに見たんだ。
……彼女は誰なんですか?」
踵を返したリンは、顔も向けずに返答する。
「別に。何もないさ」
「
「君にそれを言ってどうなる? 偶然やって来ただけの人間があれこれ詮索するな」
「……テンプルム・タワーの七不思議で聞いたんです。『タワーの最上階には、世界を滅ぼす魔法少女が幽閉されている』。それって、あの子のことじゃないんですか? あの噂は本当だったんですか! もしそうなら、僕は……」
また七不思議か、リンはうざったそうに顔を歪める。
「低俗な迷信信仰は自己を歪める悪習となり得る。子供の内からそんな話に手を出すな」
リンは結局ヒロトの方に振り返ることなく、背を向けて部屋を出て行った。
一人残された少年は固く唇を結び、その後ろ姿を黙って睨みつけた。
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