02. ライヴと七不思議と招かれざる少年
大阪湾上の人工島に建つ『テンプルム・タワー』は世界で初めて高さ三〇〇〇メートルを突破した建築物であると同時に、落成から四十年近く経過していてもなお五四九〇メートルという世界記録を保持し続けている超々高層建築物である。
上から見ると正六角形を楕円状に敷き詰めたような敷地を成しているこの楼閣は、縦に十二層の独立した構造が並ぶことでそれぞれに居住空間やオフィス、娯楽空間などの役割が割り当てられている。この建物内だけでおよそ四十七万人の生活が完結する
一層ごとの高さはおよそ四百メートル。六角柱を二十四個隙間なく並べた第一層を地表との玄関口として、上の層に向かうにつれ先細りする形状となっている。外部から訪れる人間が第十層の
夜になると建物の外側に面した角——六角柱の辺に当たる部分がライン状に発光し、航空機へ自らの存在を知らせる。複数の白い光の線が遥か上空と地表を繋ぐ様から、夜間のテンプルム・タワーを『雲の糸』という名称で観光地化する案もあるようだ。
九一八階の全面窓から外を見ると、外壁に光の線が次々と灯り始めているのが見える。二度目の風呂から出たリンは素肌の上からヨレヨレのワイシャツを肩に引っ掛けた。
上のフロアからはせわしない物音と何やら不気味な呟きが聞こえる。階段を登って様子を見に行くと、がらんどうの部屋の中央には大量のマンガや小説が積み上がって出来た壁が建設されていた。
「……何やってんだ、モモ?」
リンは壁の上から覗き込む。中にあったのは
「でへへ……今日はソフィアちゃんおすすめのシャンプー使ってみたんすよぉ。あーこれ無限にハスハスしてられるわ。こんなん人類皆JK化待った無しじゃん……」
大人数でパーティーでも開けそうな量の食べ物が、モモを中心として展開されている。そのさらに外側には、漫画の壁にもたれかけるようにして黒い額縁が立っている。
「何だこれ」
リンが額縁を手に取った瞬間、モモは烈火の如くキレた。
「汗臭い手で触んじゃないっすよ! それはそふぃあ様から賜った私だけのコメントなの!」
中に丁重に飾られていたのは、パソコン画面のスクリーンショットと思われるコピー用紙だった。『帝国ヒメ林檎@モモ』というアカウント名の下には、『そふぃたんいっぱいちゅき愛してるん脇汗舐め取りたい』と書かれてある。
「お前、脇汗舐めたいのか?」
「もちろんリンのじゃないっすよ。てかそふぃたんの香りが汚れるのでどっか行ってください。あと、放送中に騒音とかマジで止めてくださいね」
「……いつまで静かにしてりゃいいんだ?」
「うーん、朝の四時ぐらいまで隠密生活してくれりゃ充分っすかね」
要するに今日はもう何も言うなということか。リンは肩を落とす。そのくせモモは深夜になっても大声で騒ぐからタチが悪いのだ。
「『BATTLEHUMAN』で
「……」
リンの記憶にある限り、以前のモモはもう少し可憐な女の子だったというか、少なくともこんな自堕落で恥じらいも無い格好はしていなかった気がする。ネット環境を安易に与えてしまったのが運の尽きかもしれないな、少しの後悔もあった。
「九時からって……まだ二時間以上あるじゃないか。今は何をしてるんだ?」
その問いに、モモはさも当然のように答える。
「見て分からないっすか? 前夜祭っすよ。
そう言ってのりしお味のポテチを開封する。おそらくアスリートとは真逆のアプローチでボルテージを高めるモモに、リンは返す言葉を失う。
「さぁ散った散った! モモ様はこれから大事な仕事に取り掛かるんだぁ!」
ポテチを挟んだ手であっち行けと追い払われた。
「……夜更かしして風邪引くなよ」
そう捨て台詞を残して立ち去ろうとした、その時だった。
ポーンという電子音と、リニアモーター式エレベーターの滑らかなモーター音。移動する方向は間違いなく、こっちだ。
二人は思わず顔を見合わせ、続いて同時に音の鳴る方を見た。
「あれ、
「……そのはずだが」
リンは訝しげな表情と共に、階段を降りて部屋を出る。外へ繋がる扉から、明かりの乏しい殺風景なエレベーターホールへ。
二人がいる第十二階層には、三機のエレベーターが発着する。それぞれの到着を示すインジケーターをじっと見つめるリンの手には、硬質ゴムの大型警棒が握られていた。
背後からモモが恐る恐る顔を出す。興味と恐怖が半々といった表情だ。
「昔、ネットの『七不思議記事』で見たんですけど……このタワーが完成して間もない頃、まだ今みたいにセキュリティが万全じゃなかった時に、一人の女性が第十二階層から飛び降り自殺したらしいんすよ。五〇〇〇メートルから地面に叩きつけられた遺体はそれはそれは酷く、当の本人は自分が死んだことを自覚してなくて今でもここまで来て自殺を繰り返しているとか……」
「……くだらん」
そんなやり取りをしている内に、エレベーターのカゴは二人と同じ高さで停止した。到着を示す短いチャイムの後に、ドアが音を立てずに開く。
「あ?」
「ほへ?」
大型エレベーターのカゴは空っぽ——いや、端で一人の少年がうずくまって乗っていた。顔を上げてリンたちと目が合うと、口をぱくぱくさせて驚きの表情を浮かべている。その場にいた三人はしばらくの間、何も言えずに絶妙な距離で対峙する。
先に動いたのは、少年の方だった。
「あ、気絶した」
少年は意識を失い、崩れるようにエレベーターの床に倒れた。
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