マジカルガール・オン・ザ・フロア918
千歳 一
第一章 天空に巣喰う者
01. 禅とLANと超々高層建築物
「ねぇ~リン、インターネット繋ぐ線どこ~?」
気の抜けた少女の声が天井の高い部屋に響いた。それなりに大きな声で呼び掛けたはずだが、返事はない。
「ちょっとリン、私の声聞こえてるっすよね~? 線どっかないんすか?」
二回目の呼び掛けにも返答はない。少し間を置いて、少女は「んあ~」と声を漏らして不満を露にする。
部屋は二階建てになっていて、そのうちの半分が吹き抜けだ。二階部分で寝そべっていた少女は手探りで欄干を探し、伸ばした細い腕でギリギリ掴むと、ぐいっと身を乗り出した。
「ほーらー、やっぱそこにいんじゃん」
上から見下ろす限り、部屋一面は白一色で統一されている。やたらと広い面積に最低限の家具しか置かれていない殺風景な空間だ。
その中央に、男がいた。鍛え抜かれた上半身を惜しげもなく晒し、黒いヨガマットの上で身じろぎひとつしない。
「また『ぞん』やってんすか? それ端から見ると全然動かないから、ちょっとキモいっすよ」
「『ぞん』ではなく『
少女は大袈裟に溜め息をつくと、欄干を握る手に力を込める。そして「ほっ」という掛け声と共に、手すりを乗り越え二階から飛び降りた──。
サイズの合ってない白いTシャツとハーフパンツが空中ではためく。さすがの男もぎょっとしたのか、胡坐を解いて落ちてくる彼女を凝視する。
ほとんど物音を立てずに、少女は綺麗に着地した。だが衝撃で黒縁のメガネが床に落ちた。一瞬遅れて、彼女の背丈ほどもある黒髪が静かに舞い降りる。
「怪我したらどうするんだ。危ないだろ」
「へーきへーき。それより線っすよ線! ネットがはやくなるやつ!」
自分の髪を踏んづけて転びそうになりながらも、少女は男に詰め寄る。
「……線? LANケーブルのことか? そんなもん何に使うんだ」
ルーチンワークを中断されて機嫌が悪いのか、リンと呼ばれている男は素っ気なく答える。
「何って、ネットに決まっとるでしょーが! 今日は『犬鳴そふぃあ』ちゃんのバースデー配信なんすよ! てかこれ去年も言ったっすよね? いい加減覚えろボケ!」
「なら
これ以上は諦めたのか、リンはマットを丸め始めた。そのまま立ち去ろうとする後ろ姿に、少女は「むきー!」と怒りをぶつける。
「だぁから、そふぃあちゃんと言えば『BATTLEHUMAN』の視聴者参加企画しかないでしょ! 私も参加したいんすよそれに! そんな時に遅延でも起こしてみなさいよ! 『無線キッズはROMってろ』『◯ね』の嵐っすよ! ……ってちょっと、勝手にどっか行くなぁ!」
少女はリンの腰にしがみつき、離すまいと歯を食い縛る。彼は観念して、マットを床に置いた。
「分かった、分かったから……。シャワー浴びたら倉庫の鍵開けてやる。だからちょっと待ってろ」
「……汗臭い」
「だからシャワー浴びるっつってんだろ!」
部屋の西側からはすでに濃い橙色の光が差し込み始めていた。全面窓の向こうに見える夕陽は、そのノスタルジィな雰囲気を掻き消すほどに明るく、強い。
「これでいいか?」
「うーん……、もうちっと長いやつ無いすか?」
「めんどくせぇ……」
旧第一サーバールーム。現在では物置として使われている薄暗い一室で、二人は最良のLANケーブルを求めて備品をひっくり返していた。
もう長いこと使われていない部屋なので、中は埃っぽくカビ臭い。風呂入ったばっかなのにな……、リンはそんなことを繰り返しぼやく。
「これは?」脚立の上から、リンが緑色のケーブルを差し出す。
「なんか曲がってるような跡があるっす。断線するかもなんでダメ」
「じゃあこれは?」次は青色。
「出来ればピンク系の色がいいっす。そふぃあちゃんのイメージカラーなので」
「なんだよその理屈……」
リンの目の前にある箱は全て見終えた。どれを使っても大差は無いだろうが、彼女は一度凝りだすと止まらない質らしい。
「あ、あれとかどうすか?」
少女が下から指差したのは、二個隣の箱から飛び出たピンクのケーブル。リンが脚立から精一杯手を伸ばしても、ギリギリ届かない位置にある。
「がーんばれ♡ がーんばれ♡」
声援を背に受け、リンは目当てのケーブルを指先に挟み、引き抜いた。
するとケーブルと一緒に箱も落ちてきた。中で色々と絡まっていたらしい、電子部品や用途不明のガラクタが素足の少女の真横にバラバラと落ちる。
うわっ! と少女が飛び退くよりも早く、リンが脚立から飛び降りた。そのまま少女の肩を抱いて庇うように床に転がる。背中を向かいの棚の角にぶつけて苦悶の声を上げた。
「……悪い。怪我は?」
「あ……怪我、ケガナイヨ……」
少女も突然の出来事に面食らい、上ずった声になる。
「どこか痛むか?」
「い、いや、別に……」
「ならいい」
リンは少女の手を引いて立たせると、その小さな手にピンクのケーブルを握らせた。
「これでいいか?」
「あ、うん。……ありがと」
二人で散らばった中身を簡単に片付け、連れ立って元の部屋に戻る。
その時、足元に大きな揺れを感じて少女はよろめいた。リンも腰を落として姿勢を保つと、少女の身体を後ろから支える。
「今のは結構大きかったっすね」
風でも吹いたんですかね、と少女は呑気に言う。
「春一番、とかいうやつかな」
数秒経って揺れは収まった。リンが窓の外を見ると、夕陽はもうすぐ水平線と交わろうとしていた。
「たしか春一番って三月とかっすよ。五月はもう春でもないっす。そもそも、上空五四〇〇メートルに吹く風って乱気流とかじゃないです?」
少女は小馬鹿にしたように言う。リンは何も言わずに少女の頭に手を置くと、踵を返して別のドアの向こうへ消えた。
「え、もっかい風呂入るんすか……?」
春の訪れを告げているのかもしれないその風は、橙から藍に変わりゆく空を走り抜け、やがて眼下一面に広がる雲を優しく吹き払った。
大きな窓の外に広がるのは宵の闇に染まる日本列島と、その上で灯り始める色とりどりの明かり。そして外側にはさらに巨大な陸地が聳え立ち、遥か彼方の湾曲する水平線まで続いている。地上からその突端が見えないほどの
これは、生と死と、寵愛と孤独と、永遠と刹那の物語。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます