過去の解明

 

 四人掛けのソファ席で向かいに腰掛ける隼人は

 水神様の隣でうとうとしていた。

 既に彼の応急手当は済ませている。



「なんとか脱出できましたね、

 これも水神様のお陰です!」



 椿はいつの間にか購入していた

 ジュースを片手にそう語った。

 車窓からは緑ばかりが眺望できる。

 まだ化野を離れられたという実感は湧かないが、

 ひとまず安心してはいいのだろう。


 当の水神様は我関さずというか、ずっと俯いている。

 顔色が翳っているようにさえ見えた。


「どうかしましたか?」と彼が声を掛けると

 ようやくその面を上げたのだ。



「お二人に、お話ししたいことがあります。

 その前に……」



 水神様は隼人の顔に手を翳し、

 宙を撫でるような仕草をした。

 すると瞬く間に隼人の目蓋が落ち、

 すぅすぅと寝息を立てて眠りに就いてしまう。


 呆気に取られたが、

 ここまでの所業となるといっそ感心する。 



「さすがですね、水神様」



 見事な力を見せつけた水神様の顔は

 さきほどよりも疲労が深まったように見える。

 つい先日まではなかったはずの目元の

 青隈がそれを鮮明に物語っていた。



「もう、あまり時間がないのです」



 ぽつり、吐き出された言葉は

 水滴のように耳に残った。



「どういう意味です?」



 彼がその真意を聞き出そうとしても、

 水神様は首を振って答えようとしなかった。

 その姿勢はある意味頑固と呼べるだろう。



「私はまだ、お二人に

 お伝えできていないことがございます。

 時間が許す限り、

 語り尽くさせていただきたいと思います。

 私が知る全てを

 あなた方にお話しする義務がありますので」


「それは誰かに任せられたことですか?」



 やはり水神様は彼の質問には

 首を振って答えようとはしない。



「ただ、私の義務というよりもあなた方には

 知る権利があるということです。

 信じるも信じないもあなた方に全て一任します。

 だからどうか、私の話に耳を傾けてください」



 水神様は席の上で正座をし、深々と頭を下げた。



「そこまでしなくても話くらい聴きますから、

 頭を上げてください」



 彼が促すと、「そうですか」と

 けろっとした顔で顔をしていた。

 計算高いようだ。



「では、二十二年前のことからお話ししますね。

 以前私は二十二年前から

 水を生成する力を得たと説明しましたが、

 柊様はご存知の通りそれは嘘にございます。

 正確には、御神水に若返りの効能が

 出始めたのが二十二年前なのです」


「どうしてそんな嘘を吐いたりしたのですか?」



 嘘くらい目を瞑ろうと思っていた彼に対し、

 椿は水神様の嘘に対し弾圧的であった。

 向けられた眼差しは鋭く攻撃的に見える。



「それをお話しすると、

 他のことも話さねばならなくなると考えたからです。

 でも今はお話ししようと思い、

 打ち明けた次第です」



 椿は水神様を注意深く見つめ、溜息を漏らすと

「続けてください」と続きを促した。



「私が撫子と出逢ったのは二十二年前のことです。

 化野に見知らぬ女性がやってきました。

 その女性こそが撫子であり、城崎艶子なのです。

 撫子は初め、長期滞在する

 予定ではなかったようで

 大きな鞄一つで月下旅館に泊まっていました。

 撫子はふらふらと化野を散策して回り、

 そのうち私の棲家まで辿り着いてしまったのです。

 どうせ気付かれないだろうと思い、

 いつも通り過ごしていたら

 声を掛けられてしまいました。


『あなたは誰?』と。


 自分のことが見える人間など

 久しぶりで困惑しました。

 そのうち、撫子が夫と子のいる

 妻であることも知ったのです。

 私には分かり得ないことがきっかけで

 家を飛び出してしまったといいます。


 しかし、ある日を境に撫子は化野に

 定着することを決めたようでした」



 大人しく静聴していた彼は唇を噛み締めた。

 膝の上では握り拳が震えている。


 今さらどうしてそんな話をするのだ。

 母親がみまかり、ようやく諦められたというのに

 過去を掘り返したところでどうなる。  



 彼の中で濁った感情が渦巻いていた。

 言い訳なんて聴きたくない。

 弁明されたところで自分は

 ちっとも楽になれやしないのにどうして、と。



「水神様、その話はもう……」



 彼はきゅっと目を瞑り俯く。

 もう耳を塞いでしまいたい。

 その二秒後、隣の椿がいきり立つ震動を感じた。



「いい加減にしてください!」


「椿……」



 彼は目を丸くして車内で

 一人立ち上がる椿を見上げた。

 しかし椿はその視線に気付いていない。



「艶子さんは、水さんのお母様なんですよ!?

 どうして今さら過去を穿り返して、

 水さんにそんな話を聴かせるのですか。

 やっと会えたはずなのに、

 お母様はすぐに亡くなってしまって、

 親子の会話もできず仕舞いで……

 それだけで十分じゃありませんか!

 これ以上、水さんの心を

 抉るような真似はよしてください」



 椿は両手の握り拳を震わせていた。

 肩も肉眼で分かるほどに震えている。


 どうして椿がそこまで怒る必要がある。

 椿には関係のないのことなのに。


 椿は赤い眼で水神様を睨み付けている。


 水神様はそれから目を背けるように目を瞑った。

 それから一呼吸置くと、水神様は

「存じておりましたよ」と答えたのだ。



「え」



 椿は困惑のあまり、すとんと席に腰を落とした。



「存じた上でお話ししようと決めたのです。

 お話しできるうちにお話ししなければ、

 柊様は撫子のことを一生引き摺り、

 後悔に生きてしまわれると思いました。

 話し終えた後、どれだけ誹謗中傷や

 罵詈雑言を連ねても構いません。

 気が済まぬというなら、私に当たっても構いません。

 だからどうか、最後までお聴きください」



 椿は唖然としていた。

 彼はその執念深さに敬服を覚えた。



「分かりました。どうぞ、続けてください」


「ありがとうございます、柊様。

 それから撫子は月下旅館の一人息子である

 邦夫と誼を結ぶようになりました。

 光陰矢の如しで、十年の歳月が経ち

 二人は子宝に恵まれたのです。

 三人は本当に仲がよい親子で、

 隠れて見守っていた私も

 微笑ましく思っておりました。

 しかし、人の幸せというのは実に儚いものです。

 三年前に邦夫が亡くなりました。

 いえ、おそらくは殺められたのです。

 村長らの手によって」


「何だって!?」



 衝撃的な事実に彼は思わず声を上げてしまった。

 水神様はそれに怯えるように肩を竦め、

 申し訳なさげに眉尻を下げる。



「撫子がやって来た頃、

 御神水に異変が起こっていたのは知っていました。

 村長たちに頼まれて、

 白骨死体を水に変えることもしていました。

 化野を存続させるために必要なことだと

 信じて疑わなかったのです。

 ですが、以前話した通り村長は

 金儲けのために遺体から水を生成させていたのです。

 それを知ってしまった邦夫は口外しようとし、

 亡くなりました。

 私はそのときになってようやく真実に目を向け、

 村長の陰謀を知ったのです。

 私にはどうすることもできませんでした。

 撫子は自分を責めました、

 自分勝手な自分のせいで罰が当たったのだと」



 彼は何も言うことができなかった。

 椿からその転落を聴かされたからこそ、

 自業自得だなんて迂闊に口にも出せない。



「その後の苦労は木蔭さんから伺いました。

 ですから、その部分は

 割愛してお話しください」



 椿の言葉からは

「これ以上水さんを傷付けないで」

 という思いが滲み出ていた。



「かしこまりました。

 では、私と撫子のお話しを致しましょう。

 撫子には小学生くらいの

 幼い息子がいると聴きました。

 どうしてそんな幼子を放って

 こんなところにいるのかと

 尋ねたことがあります。

 撫子は夫との不仲が原因であると答えました」



 彼は口をぽっかりと開けたまま制止した。

 父親とはたまに連絡を取っているが、

 そんなことは一度も聞いたことがない。

 彼は父親から母親は行方を暗ましたまま

 としか聞かされていなかった。



「詳しいことは聞けましたか?」



 椿は前のめりになってまで言及していた。

 彼を救う手立てに

 なるかもしれないと考えたのだろう。



「はい。夫の浮気を知った彼女は耐えきれずに

 家を飛び出してしまったそうです。

 夫に居場所はEメールで伝えてあり、

 迎えに来てくれるのを期待していたとも」


「でも、迎えは来なかった。そうですね?」



 彼は冷静さを取り戻し、

 事の真相に踏み込んでいく覚悟を決めたようだ。



「はい、そうです。ただ、撫子は

 夫に会いに行こうとしていました。

 しかし、それは叶わなかったのです。

 撫子は私の呪いにかかってしまっていました。

 私の呪いというのは、

 私のこの手が人に触れることで発生します。

 それにより、撫子は

 化野から出られなくなったのです。


 御神水を毎日一定量

 飲み続けなければ死に至ります」



 しかし水神様は思わしくない表情を見せた。

 気分が悪いのか

 肌の色も雪白というよりは青白い。



「それはどういう意味で――」


「いい、椿。結果に変わりはないんだからな」



 しつこく言及しようとした椿を彼は叱責した。

 それ以上は聞きたくないという

 彼なりの拒絶であった。



「はい……」



 椿は彼に叱られ肩を落としていた。


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