脱出劇
「じゃあ今度こそ脱出しようか」
彼の声掛けで引き締まる士気。
しかし、
些末ながらも問題が残されていた。
「でも、荷物がないと。
あそこにはいくらか
必需品も残っていますし……」
思案顔でそわそわする椿に
水神様は堂々たる態度を見せる。
「それならここに」
「いつの間に!?」
騒ぐ椿に、水神様は
「柊様が椿様を救出しに向かわれたときから
こうなるのではと予期していたのです」
と微笑んだ。
一つの問題が解決し安堵できると思いきや、
新たな問題が舞い降りてくる。
「あ。でもそういや、
土砂災害の件ってどうなったんだろうな-」
これは些末事とは呼べない。
脱出自体が不可能に終わってしまう恐れがある。
軽い口調で口にしたものの、
思いの外重要事項であることに気付き
彼の背筋に冷や水が垂れた。
自然災害なんて彼の手には負えない。
これでは啖呵を切って、
ここまで来た意味がなくなる。隼人や椿を守れなくなる。
それだけは絶対にあってはならない。
今度こそ、守りたい。
苦渋に顔を歪める彼だったが、
それにも水神様が名乗りを上げる。
「私が、なんとか致します。
ですから皆さんはここから
脱出することだけに専念してください」
笑みを浮かべる水神様の額に
汗が見えたような気がした。
神様が汗をかくなんてこともあるのだろうか。
四人は荷物などを携えて棲家を発った。
森の中はやけに静けさが漂っていて、
小鳥のさえずりさえ聞こえてこない。
水のささらぐ音さえも微かに聞こえる程度だ。
そこには造られた自然のような違和感があった。
人の気どころか生き物の気配すらしない。
そんなとき、水神様が思案顔で口を開いた。
「動物や植物はこれから起こる何かを案じて、
身を潜めているようです」
「これから起こる何かって、なんですか?」
椿が軽々しく問うと、水神様は
「さぁ、そこまでは」と閉口してしまった。
それから四人は誰かが声を上げることもなく、
押し黙ったまま森を出たのだ。
開けた先の道にさえ人気がない。
集落丸々が神隠しにでも遭ったようだ。
或いは……。
「あら、記者さんではありませんか」
腰の曲がった老婆と
その娘らしい女性が四人に声を掛けてきた。
「どうかなされました?」
不審に思われぬよう
彼はその親子に質問を返した。
「私たちは探しものを
していたところなんですよ」
人の好い椿がその言葉に反応を見せ、
口を挟んでしまう。
「どんなものなんですか?」
「椿」
不用心でお節介がすぎる椿を彼は軽く窘めた。
今は人助けなどしている場合ではない。
我が身が最優先である。
そのやりとりが可笑しかったのか、
老婆の方が
微笑ましそうにこちらを眺めていた。
「仲がよろしいんやねえ」
口を挟む間もなく娘の方が開口する。
「ああ、それからさきほどの
質問なのですが……」
勿体振った間合いに違和感を覚え、
彼は椿たちを自分の背に庇う。
風と共に掠れる声が
「もう、見つけたましたから」
と不気味に嗤ったような気がした。
次の刹那、親子の顔付きが一変していた。
「すまんねぇ。あんたらに個人的な恨みはないが、
御神水のことを他所に持ち出されちゃ、
あたしらは困るんだ。恨むなら
真実を突き止めてしまった自分を恨みな」
親子は短剣などを手に、彼へ襲いかかってきた。
女二人と言えど、
刃物を持っているだけに油断はできない。
それに二人同時に仕留めなくては、
次狙われるのは自分以外の誰かだ。
背に腹は代えられないと
短剣を手で受け止める覚悟をした彼だったが、
彼の思うようには進まなかった。
「何を、やっておられるの、ですかっ!」
気付けば椿の跳び蹴りが娘の方に炸裂していた。
老婆がそれに目を奪われていた隙に
彼は短剣を奪い取り、さらに椿が
鳩尾に拳を入れて止めを刺したのだった。
「なんとか、やれたな……
俺たちが狙われているってことは分かったし、
先を急ごう」
「水さん、どうしてなんでもかんでも
一人で背負おうとなさるんですか?」
「椿、今はそれどころじゃ……」
振り返るとぷるぷると肩を震わせ、
今にも泣きそうな顔で俯いている椿の姿があった。
「水さんは私に無茶するなって言いますけど、
水さんの方が一人で
こなそうとするではありませんか。
現に今だって、刃物を持っている二人を前に
手で受け止めようとしていましたよね。
無謀にも程があります!」
泣きそうな割に言葉が辛辣なのは
感情が高ぶっているからなのだろうか。
「確かにそうだが……
俺が前に出ていなければきっと
誰かは傷付けられていただろう。
そんなのは御免だ」
椿はそうじゃないと首を左右に振った。
誰も傷付かない方がいいに
決まっているのに何が違うというのだろう。
彼には見当もつかなかった。
「咄嗟に判断して庇ってくれるまでならいいのです。
その後、水さんは誰にも助けを求めず
お一人で立ち向かおうとなさいました。
私はそのことに腹を立てているのです」
「どうして?
女子どもを守るのは紳士として当然の行いだろう」
彼は椿の気も知らず、
平然と歯の浮くような台詞を吐いた。
それは彼にとって本心であったのだけれど、
それ故に椿の気に障ったと彼はまだ気付かない。
鈍感な彼に椿は怒りで悶えている。
「水さんはけして紳士ではない、
なんてことはこの際いいです。
私は女である前に貴方の助手なのです。
俺のだと言ってくださるなら口だけではなく、
頼ってください。
私は水さんの役に立ちたいですし、
守って差し上げたいのです」
真剣な眼差しを向ける椿を彼は笑う。
「女の君に、守られるねえ……」
「な、何がおかしいのですか?」
凛としていた椿があわあわと狼狽える。
やはり椿はこうでなくては面白くない。
「まあ、守り切れない方が一番格好悪いな。
俺一人の手に負えないと思ったら、
遠慮なく頼らせてもらうよ。それに、
物理攻撃に関しては椿の方が上だしな」
「そうですよ、だから水さんが
危なくなったら私がお守りします」
嫌味で言ったつもりなのに
褒め言葉と受け取られてしまい、
彼は些か不愉快だった。
「俺よりも先に隼人を守れ。俺は二の次でいい」
正論で論破してやろうと
子どもじみたことを考える彼。
しかしそれすらも打ち破られる運命にある。
「いえ、隼人のことは私がお守りします。
隼人の母親が亡くなり、ここを脱出する今、
彼を守るのは私の使命にございます。
お任せください」
水神様まで参戦してきて、
彼はキャパオーバー寸前だ。
「でも、俺たち以外に見えない水神様は
人に触れることは叶わないのでは?」
水神様の眉間がピクリと動き、無表情に凍り付いた。
それもほんの一刹那のことで瞬きをする間に、
またあの満面の笑みを浮かべていた。
嫌な予感しかしない彼である。
「それはその通りなのですが、
水を繰ることができますので
足止めくらいはできると思うのです。
それに、いざとなれば動植物の仲間に
力を貸していただき、隼人に仇成す者には
制裁を加えて差し上げます」
水神様の瞳には隼人を痛め付けた者への
憎しみが映っているように見えた。怖い人だ。
しかし、味方にいるうちは頗る頼もしい限りである。
「そうですか、では水神様には隼人の護衛を頼みます」
そんなやりとりも終え、
歩みを進めると先には伏兵がいて
再び彼と椿のコンビネーションで撃退した。
進むごとに敵が強くなってきている感覚はあったのだ。
その先で背後から隼人が狙われたときは
水神様がぬかるみを作り、
足下を取って足止めをしていた。
それにしたって、人が隠れられるほど
数少ないのには違和感も覚えていた。
四人を逃がさないと村人たちが結託した今、
押さえるべきは出口でしかないのに。
出口なる場所はやはり駅であった。
そこ以外にも出口はあるが、
人気のない場所に出るのは避けるべきと考えたのだ。
出口である駅に着くと
やはり村長らが待ち構えていた。
今度はさきほどとは比べものにならないほどの人がいた。
数十人といったところだろうか。
隼人がいる中、電車が来るまで
守り続けるのは不可能に等しかった。
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