柊:過去
「は、はいもちろんです……」
「私が生成する水は
自然に湧出するものではありませんので
際限もありますし、底もつきます。
それでも二十年ほど前までは
十分賄っていけたのです」
「足りなくなったんですか、
どうしてそんな突然?」
彼はあることを忘れていたために
こんな馬鹿な質問をしたのだ。
「その頃から私の生成する水、
後の御神水に変化が起きたのです。
ある日を境に飲み続けている者が若々しくなりました。
正確には若返りの現象が起き始めたのです。
それを利用しようと目論んだのが村長の三雲でした。
御神水を販売するようになったせいで
元あった水源は底をつき始めました。
人骨がないことには御神水は生み出せません。
そこで目を付けたのが遺体処理でした。
化野には火葬場はありません。
昔は他所の遺体を請け負い、
土葬することもしていたそうです。
村長はその制度を再び始めました。
それから土葬されていた遺体
――いえ白骨死体を掘り起こし、
私の元へ持ってきて水に変えさせました。
それからのことは柊様もご存知の通り、
高額で御神水を売りつけ、
金儲けに走っているのです。
金儲けに目が眩んだ人間というのは
なんと醜いのでしょうね」
村長のことを口にした途端、
水神様の目から光が消えた。
翳る表情は村長への蔑みにも見える。
「人は金に弄ばれる生き物ですからね。
ところで、ワコの滝の水を賄うには
どれだけの人骨が必要ですか?」
水神様は驚きを見せたが、
すぐに取り繕ってみせた。
「そう、ですね……
十人分ほどあれば足りるかと」
「ではもう一つ。
一昨昨日の真夜中にワコの滝裏の洞窟で
村長を見かけませんでしたか?」
水神様がピクリと反応し、閉口した。
何かを察したようだ。
「ええ。城崎艶子という女性と
会っているところをお見かけしましたよ」
水神様の饒舌な返答に彼はほくそ笑んだ。
どうやって水神様のボロを出そうかと
目論んでいると、
聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。
「すいにいちゃん、やっと見つけた!」
そう言って隼人は彼の背中に突進してきた。
「いたたたた……どうしたんだ隼人。
急に飛び込んできたら
危ないじゃない、か……」
彼の目にはぼろぼろと涙を流しつつも、
何かを堪えている隼人の顔が映った。
「すいにいちゃぁん、これ、
すいにいちゃんのところへって
りんおねえちゃんが。
ぼく、村長さんたちにつかまえられて、
それでりんおねえちゃんが……」
堪えきれずに溢れ出した涙を拭いながらの
説明は意味不明だった。
どうしてこんなことになっているのかさえ、
彼には分からない。
「とりあえず深呼吸して落ち着け。
話はそれからだ」
隼人は涙ぐんだ目で彼を見つめたまま、
「うん」と応える。
すーはーすーはーと何回か呼吸を繰り返すと
ようやく隼人も話せる状態に回復した。
「あのね、これりんおねえちゃんからあずかってきたの。
すいにいちゃんにわたしてほしいって」
隼人は背負っていたリュックを肩から下ろし、
彼に手渡した。
確かにそれは椿が持っていたものだ。
どうして隼人がこれを……?
「わざわざ運んできてくれてありがとうな」
隼人から受け取ったリュックの中身を取り出すと、
不鮮明なジップロックに入れられた尖器があった。
ジップロックを開け覗き込むと、
それには血が付着していた。
それからICレコーダーも無造作に放り込まれている。
耳元で再生してみると、村長の声が聞こえてきて
――すぐに再生を止めた。
隼人がまだ喋りたそうにこっちを見つめているのだ。
「どうした隼人?」
「りんおねえちゃん、
ぼくを助けるために身代わりになって、
つかまっちゃったの……」
怯えたように隼人は嘆く。
彼は気が気でなくなる。
「村長にか!?」
「うん……」
血相を変え、声を荒げる彼に隼人は
怖じ気付いているように見える。
しかし隼人が怯えているのにも
構っていられないくらい由々しき事態なのだ。
「何処に連れて行かれたのか分かるか?」
彼は隼人の両肩を掴み、顔を寄せた。
あまりの一生懸命さに隼人は
申し訳なさを感じたのか目を逸らす。
「ううん、わかんない。
ぼく、逃げるのに必死だったから
……ごめんなさい」
「隼人が謝ることじゃない。
むしろ、知らせてくれてありがとうな。
大丈夫だ、見当はついてる」
彼は隼人の両肩をぽんと叩き、
肩の力を抜かせる。
「すいにいちゃん、
りんおねえちゃんを助けてくれる?」
不安そうに揺れる瞳が彼を捕らえる。
「もちろんだよ。
だって椿は、大事な俺の助手だからな」
にかっと笑ってみせると、隼人の頬も綻んだ。
それから彼は隼人を水神様に託し、
住宅地へ向かっていった。
最高のシチュエーションで
犯人とその秘密を曝しあげるために。
いつしか肉塊も水に融けて朽ち果てる定めであるのに、
人は懸命に抗おうとする。
その姿は滑稽でもあり、
脆いほどの儚さは美しくもあった。
人はいつだって水から逃れることはできない。
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