椿:真相(2)
「いやっ、やめて離して!」
その肉声は紛れもなく隼人のものだ。
ロケットのペンダントはさっと鞄に仕舞い込む。
声を辿っていくと村長と石井の姿が見えた。
村長の腕の中には隼人もいた。
まだこちらには気付いていないようだ。
今すぐに飛び出したいのをぐっと堪えて、
彼女は隠密に接近していった。
「こいつ、御神水の秘密を
知っているらしいじゃないか。
しかもよりによって水神様のことを
子どもらに話したそうじゃないか」
記者センサーが反応した彼女はすかさず
ICレコーダーの電源を入れた。
「いやでもしかし、
誰も相手にはしていなかったようですし……」
「たわけ者が! そんな生温いから
女将にも付け込まれるんだぞ。
もうあんな面倒事は二度と御免だ」
なんとか村長を宥めようとする石井だったが、
村長は聞く耳を持たない。
むしろふんぞり返っていた。
「村長、その話はここですることでは……!」
焦った様子の石井に対し、村長はふふんと
鼻を鳴らして笑みを浮かべた。
「どうせこいつにもう身寄りはいない。
始末してしまうから
冥土の土産に聴かせてやればいいさ」
「なっ……!!」
思わず声を漏らしてしまい、彼女は慌てて身を潜める。
言質だけでも取れればこっちのものなのだから。
そう思い、逸る気持ちを抑えた。
「ですが、この子はまだこんなにも幼い。
事の全容だって知っているわけではないでしょう。
殺すまでしなくとも」
石井が口にした「殺す」という単語に
隼人はヒッと声を上げた。
じたばた暴れていたのが嘘のようにガタガタと震え、
鼻をぐずぐずさせている。
「愚か者め。
知られたからにはこいつは生かしておけん。
身寄りもないんだ、
こいつが死んだって大事にはなるまい」
村長の身勝手甚だしい物言いに彼女は憤っていた。
殺す? こんなにも可愛くていいこを?
ふつふつと湧き上がる怒りは留まることを知らない。
唇を噛み切りそうなほど噛み締めて
彼女はなんとか怒りを抑える。
「また、殺すのですか……?」
石井が神妙な面持ちでそう口にした。
「また」という単語に隼人も彼女も反応する。
「また殺すなんて、物騒な物言いをするでない。
女将には水になってもらったまでだ。
水にしてしまえば、遺体も残らないで済むしな」
村長は実の息子の前で詫びることもなく、
むしろ開き直った態度で言い放った。
その表情からは微塵も罪悪感が感じられない。
邪魔なものを一掃したというように
清々しくさえ見えた。
村長の腕の中で項垂れている隼人は
壊れた人形のように生気なく涙を流していた。
それでも口元は微かに動き、
「おかあさん、ぉかあさん」と繰り返していた。
さすがに隼人も母親は亡き者であることを
感じ取ってしまったはずだ。
「とりあえずここを退きましょう。
ここでは人目につくかもしれませんから」
「そうだな。こいつを洞窟まで連れて行って、
始末するとするかの。
遺体処理はまた水神様に任せればいい」
彼女は口を覆った。
水神様が人骨を水にできることは知っていた。
けれど、村長たちの犯罪の片棒を
担がされていたとは夢にも思わなかった。
そうか、だから水神様は従うしかないのだ
と言っていたのだろう。
でも、それより何よりも……。
「ねえ、泉が――
水神様が死んだ人を水にしてたって本当なの!?」
さきほどまで大人しかった隼人が血相を変え、
村長たちに真偽を問いだした。
二人の話を繋ぎ合わせて、
そういうことだと小学生ながらに
分かってしまったのだろう。
「五月蝿いガキだな……まあいい。
冥土の土産に答えてやるとするか。
そうだ、水神様は儂らには逆らえんのだ。
先祖に恩があるからな。
これからもせいぜい金儲けのために
こき使わせてもらうわい」
村長はあくどい笑みを浮かべた。
隼人の顔からさーっと血の気が引いていく。
絶望を表すかのように目から光が失われていった。
隼人は我を失い、獣のように暴れ出す。
村長だけでは押さえきれないようだ。
「おかあさんもういない……泉、嘘吐き!
嘘吐き! 嘘吐き!
ぼくのおかあさんを返せっ!!!」
怒りに狂った隼人は殴る蹴るなどして
村長の腕から脱兎するも、
村長の命令により
すぐさま石井に取り押さえられた。
「ふんっ。手間の掛かるガキじゃい。
おい石井、こいつの口を布か何かで覆っておけ。
それから手足も縛っておくんだ」
必死に抵抗を試みる隼人だったが、
がたいのいい石井に拘束され
身動きが取れなくなっていた。
「押さえながらはさすがに無理ですよ。
私が押さえますから、村長がしてください」
石井は真面目な顔をして
恐ろしいことを口にしていた。
もうこれ以上は放っておけない。
隼人の命の存亡が危ぶまれる。
「仕方ない分かったわい。それじゃあ――」
村長が隼人に手を掛けようとする瞬間、
彼女は足下に落ちていた小枝を放り投げた。
それは見事村長の頭に命中し、
村長たちの気は小枝に逸れる。
彼女は無我夢中で駆け出し、
隼人を捕らえている石井に跳び蹴りをかました。
間髪入れず、村長にも鳩尾に拳を入れる。
その間に石井の拘束から解き放たれた隼人は脱兎し、
彼女の元に飛び込んできた。
「りんおねえちゃん……!」
子どもらしい表情を取り戻した隼人が慰めを求める。
しかし、彼女は抱き留めることはしなかった。
代わりにそっと頭を撫でてやる。
「隼人くんいい?
このリュックを持って、水さんにこれを渡してほしい。
その後は水神様のところにでも行って、匿ってもらうの。
私も後から追うから、隼人くんは今すぐ逃げて!」
有無を言わさず彼女は隼人にリュックを背負わせる。
小さな身体には不釣り合いだが、仕方ない。
「でも泉、嘘ついてた」
隼人は口をへの字形に結び、
行きたくないと駄々をこねる。
りんおねえちゃんも一緒に来てとでもいうように、
服の裾を引っ張って。
しかし、背後からは呻き声がしており、
うかうか話をしていられるのも今のうちだ。
大人の事情に隼人を巻き込みたくないが、
今はそんなことを言っている場合でもない。
説得は水神様に任せるとしよう。
「そうだね。でも、それは
隼人くんを守るための嘘だったと思うよ。
隼人くんを危険な目に遭わせたくないっていう
思いやりかもしれない。
本当のことは水神様しか知らないよ。
隼人くんは今まで水神様と過ごした時間を
たった一つの嘘だけで壊しちゃうの?
隼人くんにとって
水神様はそんな程度の存在なの?」
少々追い詰めるような物言いをすると、
隼人はぶんぶんと首を左右に振った。
苦しそうに顔を歪めて半泣き状態だ。
「ちがう、ちがうよ。泉はぼくの親友だもん」
「そっか。なら、ちゃんと話し合って
仲直りしたらいいんだよ。
さあ、早く行っておいで。
水さんにそれを渡して、今聴いたこと説明するの。
分かった?」
彼女は子どもを諭すような
親にでもなった気持ちだった。
それに気が急いていて、
あまり冷静ではいられない。
「うん、でもりんおねえちゃんは……?」
隼人は不安そうに瞳を揺らして彼女を見つめる。
優しさは時に足枷になる。
そしてその足枷は命さえも脅かす。
「後から追いかけるか、
水さんに迎えに来てもらうから平気だよ。
さあ早く行っ――」
隼人の説得し終えるのを待たずに、
背後から奇襲をかけられる。
足首を掴まれ、バランスの取れなくなった
彼女は派手に顔面から転倒した。
「りんおねえちゃん!!」
「いいから早く行って!
隼人くんまで捕まったら、
おかあさんも水神様も水さんもきっと悲しむ。
私を心配するなら早く水さんのところへ行って、
それを渡して、説明してきて!」
必死に足首を掴む手を振り払おうとするが、
上手くいかない。
一度体勢が崩れると、戦闘態勢には入りにくい。
なんとか村長の顔面を蹴り飛ばして立ち上がると、
「早く!」と再び隼人を急かした。
彼女の剣幕に気圧され、
隼人はようやく決心したようだ。
「りんおねえちゃん、
助けてあげるから待っててね!」
「あっ、おい!」
「あなたたちの相手は私です!」
彼女には空手の心得があるため、
そこそこの戦闘技術は持ち合わせている。
しかし、男二人がかりとなると戦況は
どう考えても不利なものだった。
初めのうちこそ、
女性だからと手加減していた隙を付けた。
しかしそれ以降はその隙も激減する。
ついには彼女が後ろを取られ、
村長の命で羽交い締めにされてしまった。
「いやっ、離して――」
大の男に羽交い締めにされて
そう易々と脱兎できるわけもない。
彼女は正面に立つ村長に鳩尾を殴られ、
脱力させられた。
カクリと首が落ちる。
薄れゆく意識の中で彼女の目には
村長の下卑た表情が映った。
狼の顔をした雄がいたのだ。
それはいつぞやの見合い相手のようだった。
下心満点で気色が悪く、
吐き気を催したからよく覚えている。
あのとき、彼と――
柊水と出逢っていなければ
今の天真爛漫な自分はここにいないだろう。
彼女は彼との出逢いを思い出し、
ふっと笑みを零して浅い眠りに落ちた。
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