信じられたワケ(3)
「うん、そうだよ。
水神様から言われて
がんばってみたんだけど、
おかあさんとなかよしに
戻るのはできなかったなぁ。
一つ一つする度にね、
ほめてもらえたりはしたんだけど、
やっぱりダメだった」
諦めるのはまだ早いなんて
安易な言葉を
かけられる訳もなかった。
頑張ったことを否定して、
努力を押し付けるようなものだ。
それでいて、あまりに他責的すぎる。
彼は考える、
どんな言葉をかけるべきか。
「そうか、そうだったんだな。
そういや、水神様のことを
別な名前で呼んでたけど、
あれはどうしてなんだ?」
下手に慰めるよりは
話題転換する方がマシだった。
大人だって、
いつも上手くやれる
訳ではないのだから。
隼人はそれを察してか否か、
彼の話題に反応してくれる。
やはり隼人は心優しい子なのだ。
「しばらくはね、
水神様って呼んでたんだけど、
ぼくも名前で呼びたくなって
名前教えてほしいって言ったの。
そしたらね、私だけに付けられた
名前はないって答えられたんだ。
だからぼく、
それなら水神様の名前を
付けたいって言い出したの。
水神様はいいよって言ってくれて、
“泉”って名前にしたんだ」
彼は活き活きとしていた。
母親のことを語るより
ずっと嬉しそうだ。
それこそ、親子の不仲を示している。
「そうか。で、
どうしてその名前にしたんだ?」
彼はそれを指摘するほど
酷な男ではなかった。
自分の聞きたいことばかりではなく、
隼人の話したいことを
喋らせてあげようと思ったのだ。
「だってね、水神様は水を操ったり、
湧き出させたりできるんだよ。
それって泉みたいだなって。
そのまますぎるかもしれないけどね」
隼人は照れ隠しに頭を掻いた。
「そんなことないよ。
綺麗で素敵な名前だと思う。
泉って、白い水って書くもんね。
水神様にはぴったりの名前だよ」
椿が賛美の言葉を連ねると、
隼人は頬を桃色に染めた。
微笑ましい空気が漂っていたというのに、
彼はそれに
水を差すようなことを口にする。
「なあ隼人、
母親の話しか出ないけど、
父親はどうしたんだ?」
非常識極まりない発言である。
普通ならば思っても
口には出さないものだ。
彼の場合は非常識なのか、
野次馬精神なのか判別し難い。
隼人は硬直し、口を噤んだ。
呆気にとられたようであった。
まさか、そのことを訊かれるとは
夢にも思っていなかった顔である。
徐々に隼人の硬直が解けるにつれ、
顔色が曇り始めた。
眉も下がり、微かに震えてもいる。
動揺しているのが丸分かりだ。
「三年前にね、死んじゃった、の」
椿はもちろん彼も息を呑んだ。
「ダメ」そう伸ばしかけた
椿の手を隼人は押し止めて、
次の言葉を続ける。
椿の手は隼人の揺れで震えていた。
彼はそっと隼人の方を一瞥する。
隼人は目に
たくさんの涙を溜めていた。
今にも毀れ落ちそうなのを
必死に留めて、口を開くのだ。
「三年前だよ。ぼくがね、
学校から帰ったらおとうさん、
布団の上で寝てたんだ。
そばにはおかあさんもいたよ。
苦しそうで、
悪い夢でも見てるのかなって、
ゆすって起こしてあげようとしたんだ。
でもね、おとうさんの音、
聞こえなかったの。
あったかいのに、
どんどん冷めていくんだ。
その日初めて、“死ぬ”ってこと、
本当の意味で分かったよ。
それからね、
おかあさんがきびしくなって、
あんまりかまってくれなくなったの」
目の前で落ちる滴。
一度落ちると堤防を失った
川のように水を溢れさせた。
熱を帯びた水滴が垂れいく背景に、
隼人の母親が
垣間見えたような気がした。
たがが外れ、
泣きじゃくる隼人に
彼はどうもできなかった。
泣かせた本人が慰めにかけられる
言葉など知らない。
かと言って、
両腕を伸ばす勇気すら出せなかった。
結局は椿が胸を貸し、
隼人の気が済むまで
泣かせることで落ち着いた。
泣き止んだ隼人に謝ろうとするも、
隼人は
「急に泣き出しちゃってごめんね」
と先手を打ってきた。
そのせいで彼は謝ることすらままならず、
むしろ子どもに気を遣わせてしまった
罪悪感で心が埋め尽くされた。
なんとか隼人に別れを告げ、
二人はようやく
肩の力を抜くことができた。
「私も気になっていましたから。
だから、止めなかったのですよ」
椿は彼の顔を覗き込んでくる。
こちらの様子を窺っているようだ。
「励ましなんていらないから」
椿の思いやりが却って彼の気に障り、
椿の方を見ることができなかった。
「いいえ、励ましではありませんよ。
本当のことを言ったまでですから」
「君のそういうとこ、本当腹立たしいよ」
彼は自嘲気味に笑う。
その後、椿の方を見ても笑った。
「もうっ、どうしてですか!?」
声を荒げて怒る椿を見て、
彼はさらに頬を緩ませた。
本当に、椿のこういうところが
たまらなく愛らしい。
一緒にいるだけで
病みかけた気さえも和んでしまう。
「それよりも、さっきの隼人の
話で気付いたことはなかったか?」
椿はきょとんと首を傾げる。
何のことだとでも言いたげだ。
彼は大袈裟に溜息を吐き、
椿を小馬鹿にする。
「むぅ……そういうのはいいですから
早く教えてくださいよ」
「女将の話と似てるんだよ。
数年前と亡くなった夫と
三年前に亡くなった父親、
女将の小学生くらいの子ども、
昔は仲が良かったのに
今は見かけない親子と
構ってくれない母親。
これだけ共通点のある他人が
この集落の中に
どれだけいると思う?」
そこまで言われてようやく
気が付いた椿は目を光らせた。
「それってつまり、
女将さんは隼人くんの母親で、
隼人くんの母親は
女将さんってことですよね?」
「ああ、おそらくな。
名字を訊いてないから
断言はできないが、そうだろう」
彼の返答の直後、椿は戦いた。
とんでもないことに
気付いてしまったのだろう。
「隼人くん、
お母さんが亡くなったのに
話してくれて……」
その質問を重ねたのは彼であり、
椿に罪はない。
だのに、お人好しな節がある
椿は他人の分まで痛みを感じてしまう。
「椿のせいじゃない。
それに、俺だって隼人に
父親のことを訊くまで
確信が持てなかった。
仕方ないさ、
人間誰だって知らぬ間に
誰かを傷付けてしまうことはある。
その分の詫びも込めて、
女将殺害の犯人捜しに取り組めばいい。
今俺たちにできることは、
真犯人を見つけて女将を
弔えるようにするくらいだからな」
彼は不器用に
椿の頭をくしゃりと掻き回した。
「そうですね。
後悔するよりそれが先でした」
いくらか気力を取り戻した椿を見て、
彼は安堵する。
しかし、彼には椿以上に
女将殺害の真犯人を
見つけ出したかった。
それは一刻を争う。
彼には、あのあどけない隼人が
危険に晒されるように思えてならないのだ。
その間も川の水は流れ続け、
絶えることなくささらぐ。
その水源となる霊泉は
ただ静かに息を潜めて、
見つけ出してくれるのを待っている。
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