人は災いの元(2)
「ちょっと水さん!」
彼の非礼に椿は声を上げた。
仮にも化野に棲む
神に向かって
その言い方はどうなんだと
言いたいのだろう。
しかし、
彼には椿の叱責も効かない。
「いいんだよ、椿。
これくらい言わないと、
水神様だって踏ん切りが
つかないだろうからね」
彼は余裕の笑みで
水神様を見上げる。
これは参ったとばかりに
水神様は
大層な溜息を吐いて、
「分かりました」と告げた。
「話が通じて良かったです」
「私の持つ能力
というのはずばり、
御神水を生み出すことです」
椿は口を押さえて目を丸くした。
彼はどういうことだろうと
首を傾げる。
水神様の話は
少々言葉足らずであった。
「ただの水を浄化して
御神水を造り出している、
ということですか?
確かにそれは
すごいかもしれませんが、
何も村人が
震撼するようなことでは……」
「いえ、違うのです」
水神様が初めて
彼の言葉を遮った。
「何が違うんですか?」
「水を浄化するのではなく、
造り出すのです」
彼はその言葉に
妙な既視感を覚えた。
その言葉を文字ではなく、
光景として
目にしたことがあるような
気がするのだ。
「水を造り出す。
それはすごいですね。
でも、今のご時世、
日本はさほど水不足で
困っていないので
震撼するようなことでは
……観光の対象になることは
あるかもしれませんが」
「それも違います。
ワコの滝や霊泉と呼ばれている
水は私が生成したものです。
もちろん、
水を浄化することもできます。
ただ、浄化と生成は
大きく異なる点があります。
水の生成には
代償が伴うということです」
彼は急かそうと思うが、
水神様の表情に気を取られて
それどころでは
なくなってしまった。
罪悪感と裏切りを
まぜこぜにしたようだ。
震え声が聞こえたかと思うと、
水神様はもう決意を固めていた。
「その代償というのが――死体です。
正確に述べると、人骨です」
椿は両手で口を覆う。
彼は硬直した。
水神様の告げた真実は
彼の予想を遥かに上回った。
それはあまりにも
人から敬遠されてきたもの。
人にとっては許されぬ禁忌。
息すら漏らさず
呆然と立ち尽くす二人を見る
水神様は
寂しそうな目をしている。
「これでもまだ、
私を綺麗だと
言ってくださいますか?」
水神様の姿が朧に映る。
輪郭が曖昧で
不鮮明な水神様の影。
水神様の目からは
一筋の涙が流れていた。
その涙の訳を
彼は誤解してしまうのだ。
寂しそうなのに、
触れられることを拒んでいる。
水神様の言動は
拒絶されることを
望んでいるかのようであった。
しかし彼は水神様の
拒絶など無視する。
気にも留めない。
「貴方は十分お綺麗ですよ。
罪悪感に
涙を流されるくらいですから」
「そう、ですか」
水神様はぎこちない返答をした。
拒んでほしかったからだろう
と彼は考える。
彼はさっと空気を入れ替えて
気を取り直した。
「それから、いくつか
質問してもよろしいですか?」
「はい、私に
お話できることでしたら」
いつの間にか
水神様の涙は乾いていた。
まるで泣いていたことなど
なかったように
痕すら残っていない。
「水生成に使われる死体は
貴方がご用意
されているのですか?」
彼にも失礼なことを
訊いている自覚はあった。
それでも
確認せずにはいられないのだ。
目の前の美しい水神様が
好き好んで
手を汚しているだなんて
思いたくはないから。
「いいえ。
村の者が御神水を
造り出すためにと
運んでくるのです」
水神様はお澄まし顔だ。
これくらいの質問では
動揺しないらしい。
「では、死体や人骨に
手を加えることが
人の世では悪だと
されているのは
ご存知ですか?」
彼は踏み込んだ
質問を投げかけた。
それは答えが否にしても、
相手を傷付けるものに
違いはなかった。
「水さん、それは――」
彼の過ぎる発言に
椿は口を挟もうとするが、
水神様は彼の発言に
心を荒立ててはいないようだ。
「良いのですよ、椿様。
お気になさらず。
私もそのことは
存じ上げております。
ただ、私の中では
人が土に還る代わりに、
水に還っている。
そう思っているのです。
万物の死や生は廻って、
環のように
どこまでも繋がっています。
水生成もその一環です」
水神様は
差し込む日に照らされて、
とても神秘的だった。
それだけに、
どこか幻想的で
この世に存在しない
絵の中の人物のように見えた。
人骨を扱う
水生成の話をしているのに
水神様はどこか他人事で、
人の死を
些末事のように捉えていた。
どれだけ人に
姿形が似ていようとも
水神様は神様であって人ではない。
そんなことを今さらながら
彼は痛感したのだ。
「水生成は自ら進んで
行われていることですか?」
彼は畏怖すらも抑え、
水神様への質問を続けた。
「いいえ。村人のためです」
水神様は表情一つ変えない。
しかし、彼は水神様から
抑圧された何かを
感じ取っていた。
言葉一つ一つに
何かを秘めているように。
「そんなの――」
椿はそんな水神様の言動に
横やりを入れようとした。
そんなのは間違いだと、
言ってしまいたかったのだろう。
しかしそれは
彼が手を伸ばして阻んだ。
「最後に一つ、
よろしいですか?」
「どうぞ」
水神様はにこやかな
笑みを浮かべて応対する。
それはこれ以上
踏み込まれないための
予防線のようだと彼は思った。
「御神水が商売道具として
扱われていることは
どうお思いですか?
もっと細かく言うと、
貴方が商売道具として
扱われていることは
どうお思いですか?」
水神様の眉が
ピクリと反応する。
「それ、は……」
肩を落として
俯く水神様に彼は容赦しない。
ここぞとばかりに
食らいかかる。
「まだ天然水の
範疇ならいいですがね、
50mlの水を
一万円だなんていう
法外な値段で
売りつけているんですよ。
貴方が良かれと思って
行っている行為は
村人を金の亡者にして
しまっているんです。
それを知ってもまだ、
貴方は
村人に肩入れしますか?」
ついに水神様は
口を噤んでしまう。
椿も途中で口を出そうとしたが、
敢えてそれはしなかった。
椿も同じような
思いがあったからだろう。
水神様は俯き、
二人と目を合わせないまま
「私は……」と口を開いた。
「それでも、
こうするしかないのです。
私には村人の要望を
拒むことなどできませんから」
弱々しいはずなのに、
水神様の言葉は
強い意思を感じさせる。
彼はその
隠された意思を探ろうとした。
「それは一体――」
「お帰りください」
水神様が言い放った。
「え」
彼は水神様のあまりの
声音に硬直してしまう。
「聞こえなかったのですか、
お帰りください。
じきに隼人がここへやってきます。
隼人は穢れを知らぬ
真っ白な子です。
これ以上このお話はできません。
隼人には聞かせられないことなのです」
さきほど人の死を
些末に扱った水神様は、
たった一人の隼人を気にかけて
話を打ち切った。
それほど
大事な存在なのだろう。
彼は見えない何かを察し、
大人しく引き下がることにした。
「分かりました。
それでは俺たちはこれで。
隼人と目一杯遊んでやってください」
「ええ、もちろん」
水神様は
はにかみ笑いを浮かべる。
きっと、隼人だけに対しては
真摯でいたいのだろう。
どれだけ自身が汚れても、
その中に一つ決して
譲れない核がある。
自分にとってそれは何だろうか。
隣の椿が喧しい帰り道で、
彼は答えを模索していた。
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