水神様
翌朝は水も寝坊することなく、
旅館の朝食に間に合った。
朝食を摂り、
身支度を整えると
午前八時を回っていた。
二人は無駄骨に終わった
昨日の分を取り返そうと、調査に出向く。
空は快晴だ。
周囲で土砂災害が起こっているだなんて
信じられない。
それもまた不自然なことだと
彼は疑心していた。
地道に聞き込みをして歩き回るうち、
それも底をつき始めた。
昨日椿が言っていた
不自然な出血について
再度調査するべきか
彼が悩んでいたところだった。
ふと気付くと、
一昨日隼人と出逢った
休憩場の近くまで来ていた。
また同じところにいる
訳もないだろうと
隣を見遣ると、椿の姿がない。
数十メートル先を駆けていた。
「はぁ。また椿は……」
どうせすることも見つけられないと
彼は椿の後を追う。
彼が椿に追いつくと、
椿は丁度隼人に
話し掛けているところだった。
「隼人くん、
またこんなところでどうしたの?」
隼人はまた足をぷらぷらさせて
伏し目がちだった。
椿は隼人の目線に
合わせるようにしゃがみ込んだ。
すると、その相手が
椿だと気付いたらしい。
「りんおねえちゃん?」
椿が「そうだよ」と返すと、
隼人は嬉しそうに声を上げた。
「あのねあのね!
きのうおかあさんと
なかなおりできたんだよ。
おかあさん、
ごめんねって言ってくれて
ぼくの頭をなでてくれたんだ」
ちょっと恥ずかしがるような
にへらとした笑みを見せた。
「そっかー、
良かったね隼人くん。
でも、それならどうして
こんなところにいるの?」
椿の質問で
彼はまた顔を曇らせる。
今笑っていたのに、
泣きそうな表情になった。
「今日学校の子に
“気持ち悪い”とか
“うそつき”って言われたんだ」
ん? と椿は
不思議そうに首を傾げる。
「え、でも今日は
土曜日だから学校はないよね?
あったとしたら
こんな時間から
ここにいないだろうし……」
うーんと真剣に考え込む。
椿がこういう性格だからこそ、
隼人はほぼ初対面だった
椿に事情を話せるのだろう。
「あのね、朝から学校の子と
遊ぶやくそくしてたんだ。
でもね、とちゅうから
仲間はずれに
されちゃったんだよ」
肩を落として
再び視線を足下に落とした。
隼人が理由もなく
無視されるような
子どもにも見えなかった。
「無視される前に何かあった?」
彼と同じような
考えだったのだろう。
隼人は斜上を見上げ、
「あっ」と声を漏らした。
「そういや、無視される前に
“水神様”の話してたかも」
隼人が口にした
「水神様」という単語に
彼は既視感を覚えた。
胸の奥が呼応するように
彼の中で木霊するのだ。
「水神様ってなんだ?
詳しく聴かせてくれ」
普段そこまで
感情的にならない
彼が食い気味に尋ねた。
隼人はもちろん、
椿も彼の
変わりように驚いていた。
「う、うん……分かった。
図書館で水神様っていう
神様を見つけてね、
気になったから色々調べてみたんだ。
森のどこかに水神様を
まつったほこらがあるって
書いてたから、探したの。
そしたらね、ほこらの近くに
きれいなおねえさんがいたんだ。
その人に話しかけて名前を聞いたら
『私は村の者から
水神様と呼ばれています』って
教えてくれて、
それから
お話しするようになったんだよ」
彼は思う。
隼人は寂しかったのだろうと。
人恋しくて何かに出逢いたくて、
水神様なんていう
非現実的なものにまで縋ったのだ。
それはまるで自分のようだった。
「つまり、
水神様と会ったんだな?」
「そうだよ。
それをね、学校の子に話したら
気持ち悪いとかうそつきだって
言われちゃったんだよ」
隼人の目にはうっすらと
涙が浮かんできている。
抑え込んでいた感情は
誰かに話すことで
解放されてしまったのだろう。
「その水神様とやらは
どこにいるんだ?」
隼人は不安げに瞳を揺らして
彼を見上げる。
「……信じてくれるの?」
「ああ、もちろん。
俺は隼人の言葉を信じたからこそ
こうして訊いているんだ。
教えてくれるか?」
隼人の顔が下を向く。
沈黙の後、
彼は静かに首肯した。
「ありがとう」と
彼が感謝を告げると、
隼人は照れ臭そうにはにかんだ。
「ねえ、名前なんて言うの?」
脈絡のない隼人の質問に
彼は目を丸くする。
しかし、
子どものすることだからと
すぐに笑いを零した。
「柊水だ」
また「柊おじさん」や
「水おじさん」とでも
呼ばれるだけだろう。
彼は覚悟していた。
「じゃあ、
すいにいちゃんって呼ぶね。
すいにいちゃん!」
不意打ちの
「にいちゃん」呼びに
彼は面食らった。
おじさんと
呼ばれるつもりでいたから、
なんだか照れ臭い。
何も答えられずにいると、
隼人が「どうしたの?」と
顔を見上げてくる。
子どもの無邪気さは時に魔物だ。
「何でもない。それより、
水神様の居場所を
教えてくれるか?」
なんとか平静を装い、
彼は隼人に再度問い直した。
彼に問われ、
本題を思い出した隼人は
そういやそうだった
という顔を見せる。
どうやら忘れかけていたらしい。
「うん、もちろんだよ。
すいにいちゃんは
ぼくの言葉を
信じてくれたから。
すいにいちゃんはいい人だよ。
すいにいちゃんなら、
水神様とも
なかよくなれると思うんだ」
あどけない隼人が
口にした「いい人」。
彼は人格肯定的な意味で、
他人からいい人と
言われた試しがなかった。
自分の穴を埋めるために
多くの人を傷付けてきた
彼にとってはあまりに
不似合いな言葉だったのだ。
「……そんな簡単に
“いい人”なんて
言わない方がいいぞ。
信じた分だけ、
騙されたときに傷付くんだから」
こういう否定するときの言葉は
大抵刺々しいのに、
妙に弱々しかった。
溜め込んだものを
溜息代わりに
吐き出しただけのようだ。
椿は
心配そうに彼を見つめていた。
それをぶつけられた隼人は
きょとんとして、
首を傾げていた。
よほど不思議なのか、
彼をじっと観察している。
「あ、いや気にしなくていい。
俺はいい人じゃないって
言いたかっただけなんだ」
彼が必死に訂正するも、
隼人は構わず
彼を凝視し続ける。
視線の熱さに
彼は黙り込んでしまう。
俯きかけた彼の顔を
上げさせたのは隼人だった。
「すいにいちゃん、
だれかにきずつけられたの?」
顔を上げると、
鋭い隼人の視線が刺さった。
心を覗かれているような
悲しい心地がする。
こんな子どもに
本心を悟られるなんて未熟だ。
「大丈夫だ。
隼人が気にするほどの
ことじゃない。
それよりも、
俺たちを水神様のところへ
連れて行ってくれないか?
どうも土地勘のない
場所だと迷いそうだからな」
隼人は少し
戸惑っていたがすぐに、
「うん!」と
答えてくれたのだった。
隼人を先頭にして
三人は歩き出した。
隼人は上機嫌で
てくてく歩いて行く。
その様子はあどけなく、
可愛らしい。
やはり
子どもだからだろうか。
しかし、自分が
子どもだった頃は
そんなことはなかったはずだ。
もっとすれていて、
無理に背伸びをしていた。
彼は自分と
隼人を比べているうち、
ふとある疑問が生じた。
「そういや
隼人はいくつなんだ?」
会話もしていなかったため、
その声は
静かな森によく響いた。
隼人はくるっと振り返り、
彼の方へ寄ってくる。
「ぼくはね、
まだたんじょうび
きてないから九才だよ。
今年で十才になるんだー」
隼人はにこにこと語る。
母親にあまり
構ってもらえなくて、
水神様を調べるくらいだ。
自分に興味を
持ってもらえることが
それだけで嬉しいのだろう。
「そうか、じゃあ隼人は
小学四年生か?」
「うん、そうだよ?
それがどうしたの?」
詳しく訊いてくる彼に
隼人はくすくす笑い出している。
しかし、彼は背後から
じっとりとした
視線を感じていた。
「むぅ……」
そんな唸り声が耳に入るが、
彼は構わない。
放っておくと、
彼は椿から急襲に遭った。
突進したまま、
勢いよく飛びついてきたのだ。
「水さん、酷いですー!
私だけ除け者にしたり
しないでくださいよ」
椿は彼の衣服を
ぎゅっと握り締め、
背中に顔を埋めている。
彼の隣を歩いていた
隼人はいつの間にか、背後に回り、
椿をじっと観察していた。
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