容疑者たちの言い分(3)
残るは雨水一人だ。
雨水の方は周辺住民から居場所を
聞き出すことができず、
雨水の自宅へ向かうことにした。
雨水を尋ねたいというと、
住民が快く住所を教えてくれたのだ。
雨水の家は甘味処から
十分強歩いた場所にあった。
この辺りでは
一際大きい建物だった。
二階建ての日本家屋だ。
雨水という男は
とっくに成人していると聞いたが、
この様子だと実家暮らしを
しているのだろう。
集落の中で暮らしていたら
わざわざ一人暮らしをする方が
却って不自然なのかもしれないが。
インターホンなどないため
彼は玄関まで歩き、その戸をノックする。
しかし返ってくるのは
無機質に刻まれる音ばかりだ。
ノックでは奥まで届かないのだろうと、
彼は声を上げて
来訪を伝えることにした。
「雨水さーん、
いらっしゃいませんかー?」
どこからともなく
ゴトッと物音がした。
雨水家の人間は
誰かしら在宅のようだ。
もう一度呼びかけてみるが、
玄関に向かう
足音は聞こえてこない。
出る気がないのだろう。
無駄骨を折ることになりそうだと
彼は溜息を吐く。
それを見かねて、椿も声を上げる。
「雨水さーん、
あなたと
お話がしたいのですが、
いらっしゃいませんかー?」
やはりシンと
静まり返っている。
仕方ない裏口に回るかと
胸中で彼は企む。
「椿、一度帰ろうか」
「そうですね」
二人が踵を返して歩き出すと、
家の方から人が
ドタバタと暴れ回っているような
音が響いてきた。
たちまち玄関へ駆けてくる
足音が耳に入り、彼はほくそ笑んだ。
ガラガラビシャンと
威勢良く戸が開かれ、その主が顔を出す。
「お待たせしました!
さあどうぞ、立ち話も何ですので
お上がりくださ、い……」
その人物は
彼を見て困惑していた。
さらに言うなら、萎縮していた。
椿の可愛らしい女の声がしたから
わざわざ出てきたのにという顔だ。
「わざわざありがとうございます。
すみませんが、
雨水恭哉さんですか?」
「は、はい、そうです!
ああそうだ、それより先に中へ
お上がりください。
この暑い中、
客人を外で立たせる
訳にもいきませんので」
椿がひょっこり顔を出し、
声を掛けると雨水は
すぐに気を好くした。
傍目にも
デレデレしているのが丸分かりだ。
初対面で噂にしか知らないが、
碌でもない奴だろうと
彼は直感した。
「俺もいいんですか?」
「はい。
彼女の保護者でしょう?」
雨水の台詞は皮肉交じりで
彼は額に皺を寄せた。
「まあ、そういうものですね。
そういや紹介が遅れましたね。
俺は柊、彼女は椿です。
では遠慮なく
上がらせてもらいますね」
家に上がると、中は意外にも
普通のフローリングだった。
椿がそれを気にしていると、
内装をリフォームしたのだと
得意げに語ってきた。
部屋に通され、茶まで出されて
椿は緊張していた。
しかし彼は違った。
「そろそろお話
よろしいでしょうか?」
一瞬雨水が萎えた顔をするが、
それもなかったように
笑顔で答える。
「はい、何でしょう?」
柔和を装っている雨水には
どんな秘密があるのだろう。
「昨夜から今朝方まで
何をなされていましたか?」
それを尋ねたのは
彼ではなく椿だった。
何だかんだで椿も事件の真相を知ろうと
急いているようだ。
お目当ての相手に質問されたというのに
当の本人はあまり嬉しそうではない。
むしろ、顔が引き攣っていた。
「あの……」と心配そうに
椿が顔を覗き込もうとすると、
雨水はすぐに笑ってみせた。
しかしその笑みは
どこかぎこちない。
「ええと……柊さん、
これはどういった
類いの質問ですかね?」
矛先を彼に突き返し、
雨水は自己防衛に出た。
こういう反応をするのは
大抵やましいことがある奴だ。
「取材の一環です。
今住民の皆さんにお話を聞いて
伺っているんですよ。
答えにくいようなら
答えなくても構いません。
また別の質問に
移らせていただきますので」
彼があっさり引き下がり、
雨水は安堵したようだ。
「そうでしたか。
では、そうして
いただけると有り難いです」
雨水は助かったように
感じていることだろう。
しかし実際はそうではない。
徐々に彼の計略に
嵌まっているのだ。
「では、次の質問です。
雨水さんは
城崎艶子さんと
どういったご関係ですか?」
雨水はさらに
顔を引き攣らせた。
額に冷や汗も浮かんでいる。
その動揺っぷりは
人には言えないような
関係性故だろう。
雨水は唇を噛み締めて
何も言葉を排出しない。
彼はさらに質問を掘り下げていく。
「人には口外できないような
関係ですか。
そうですよね、
人妻にあんなことや
こーんなことをしているだなんて、
とても女性の前では
口にできませんよねえ?」
雨水の眉がヒクつき、
顔を曇らせていく。
「何が言いたいんですか?」
声のトーンは椿に
声を掛けたときよりもワントーンは低い。
凄むような低さだ。
「艶子さんは美麗な方ですから、
男としては手に入れたくなるのも当然。
艶子さんは誰かと一緒になるのを
拒んでいたようですし、
振られたんでしょう。
それで身体の関係を迫ったが、
それすらも拒まれて……
無理矢理したんじゃないですか?」
雨水は激昂し、
机を叩き付けて
勢いよく立ち上がった。
「失礼だ!
言いがかりにもほどがある!」
隣の椿はおろおろと狼狽えている。
こんなことになるとは
予想していなかったのだろう。
「でもですね、艶子さんは
亡くなっていたんですよ。
脚の付け根から血を流して
――意味、
分かりますよね?」
今にも殴りかかられそうなのに
彼は雨水を煽ることを止めない。
雨水は沸騰したような
顔をして憤っている。
それでもなんとか怒りを
抑えようとしているようだ。
「……僕が彼女を強姦したとでも?
話にならない。
何の証拠があって
そんなことが言えるんですか?」
雨水は話すうちに自分は
不利でないことに気付き、
余裕の笑みを浮かべる。
「何の証拠もないからこそ、
憶測で話しているんですよ。
違うなら違うと
はっきり否定してください。
もちろん、的確な理由も添えて」
雨水は苦々しい顔をした。
否定しなければ
女将の強姦致死の容疑者にされる。
かと言って否定すれば、
昨夜のアリバイ或いは、
女将との関係性を
吐かなくてはならない。
どちらも雨水にとっては
不都合なことだろう。
彼はこれを狙っていたのだ。
そんなとき、
椿が「あの」とおずおず声を出した。
「私、あの姿を見たときから
ずっと違和感を覚えていたんです。
女将さんのあの血、
不自然なんですよ。
中が切れて出血したにしても
多すぎますし、
あんな風に床に飛び散っているのも。
だからきっと――」
その先を言わせまいと
彼は椿の口を塞ぐ。
雨水は沈黙した後、
誰に対するものか
分からない嘲笑を浮かべた。
「強姦や殺人の犯人に
されちゃたまりませんからね。
お話ししますよ。
でも残念ですねぇ、
柊さんのお見立ては間違っています。
確かに僕は彼女に
振られたことはありますが、
性行為は同意の上ですよ」
雨水は彼を負かせられたのが
よほど嬉しいらしく、
にまにまと笑みを浮かべて上機嫌だ。
対して彼は
ちっとも気にしていなかった。
それより話の続きの方に興味があるのだ。
「と言うと?」
「僕と彼女は
いわゆる“セフレ”関係なんです。
夫を亡くして、
捌け口のない彼女と彼女としたい僕。
利害は一致しているでしょう?」
女将とセフレ関係であることを
恥ずかしげもなく
明けっぴろげに話す雨水。
今は世間体や羞恥心よりも
自尊心が勝っているのだろう。
椿は「まぁ……」と赤面し、
顔を覆い隠した。
彼は平常と変わらない
表情をしている。
アリバイがなければ
まだ疑う余地はあるのだから。
「それでアリバイの方は?」
彼の問いにまたも雨水は
したり顔を浮かべる。
「もちろんありますよ。
昨夜は別な女性のところにいましてね、
一晩中寝具の上で
遊戯していましたよ。
嘘だと思うなら、
御山詩鶴という女性を
尋ねてみてください。
訳を話せばきっと
僕のアリバイを証明してくれますよ」
鼻をふふんと鳴らし、
得意げである。
どれだけ下卑たことを
語っているのか
知らないような顔だ。
「そうですか。
今のところ、雨水さんは
女将殺害の
容疑者からは外れそうです」
彼は淡々とそう告げた。
眉一つ動かさず、
顔色も変えずに。
無機質な彼の反応を見て、
雨水は調子に乗っていた。
「それなら今までの非礼を――」
「でも、雨水さんが
どうしようもない
クズだとは言い切れますよ」
否定すら許さない
冷たい目で雨水を見据えた。
雨水は歯軋りをしながら、
怒りを抑えているようであったが
それも時間の問題だろう。
「ありがとうございました!」
一触即発の空気を断ち切ったのは
椿の一声だった。
視線が一斉に椿へと集中する。
それでも椿は構わず続けた。
「ご協力いただき
ありがとうございました。
それでは私たちはまだ
取材が残っていますので、
ここで失礼させていただきます」
ぽかんとする彼の腕を引いて、
椿は雨水家を後にした。
「椿」
「なんですか?」
いつものように笑顔でいる椿に
彼は怒りを見せる。
「あともう少しで雨水が事実を
喋らなくなるところだったじゃないか。
発言のタイミングには気を付けろ」
そんなことを今さら言われるとは
夢にも思ってなかったらしい。
椿は肩を窄めて、しゅんとする。
「はぁい……」
「まあでも、さっきのは助かった。
ありがとな」
椿は彼の言葉で気を好くし、
頬を薄桃色に染めた。
その後、御山という女性に
女将のことを話した上で
昨晩のことを訊いた。
すると予想通りに
事実であることが証明される。
外で食事を済ませ、
明日に備えて骨休めをした。
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