容疑者たちの言い分
彼は休憩がてら森の奥にいた。
人との関わりを
一度遮断するためでもある。
しかし彼の疑心暗鬼は
深まるばかりだ。
汚い人間の心の内ばかり
覗いていると、
自分まで濁りそうである。
椿と二人になっても、
心には
暗雲が立ち籠めていた。
「すーいさんっ、
お菓子食べましょう!」
椿は両腕を伸ばして、
水に飛びついてきた。
横たわる木に
腰掛けていた彼は
バランスを崩し、
滑り落ちそうになる。
「椿、いきなり
飛びつくなんて
危ないじゃないか!」
彼の怒声が響いても、
椿はちっとも
顔を曇らせない。
むしろ、
ニコニコしている。
「水さん、
糖分補給しましょうよ。
脳を使うには
糖分が必要不可欠ですよ」
叱られてもビクともしない
椿に彼は毒気を抜かれる。
余計なことを
考え込んでいた自分が
馬鹿みたいだった。
「はいはい、分かったよ。
で、何を食べるんだ?」
「じゃーん!
暑くても溶けないチョコです。
これなら夏でも気軽に
チョコが
食べられると思いまして」
椿だって、
毒されない訳ではない。
人を疑うことだって知っている。
それなのに、
こうして気さくに
振る舞えるのは一種の才能だ。
いつも冷たく
あしらったりする彼も
実は椿に救われている。
本当に邪魔ではないから、
突き放せないでいるのだ。
気を取り直し、
二人は気になった人物に
的を絞り、
事情聴取を行うことにした。
特に疑わしいのは
常連客の桧山、
板前の小宮、
村の男性の雨水の三人だ。
二人はまず、
後回しにしていた常連客の
桧山を尋ねることにした。
旅館に戻り、
桧山の泊まっている
部屋へと通してもらう。
「初めまして桧山さん。
女将のことで
お話を伺いに参りました」
戸を開けた先にいた桧山は
細身で眼鏡は
掛けていなかった。
いかにも真面目
という言葉が似合う。
整えられた黒髪、
きっちり着こなされた
スーツがそれを物語っている。
「誰ですか、あなたたちは!?」
想定内の反応だ。
初対面の人に話し掛けられて、
普通に応答する方が
変わっている。
「俺は柊で、
隣にいるのが椿です。
俺たちはここに取材で
やってきていたんですが、
女将が亡くなったので
そちらの調査をしています」
「艶子さんの姿が見えない
と思ったら、
そういうことか……!
誰だ、僕の愛する女神を
奪ったのはぁああああ!」
頭を掻き毟ったり
叫声を上げたりと
情緒不安定なようだ。
普段大人しい人間ほど
発狂すると恐ろしいという。
だが、桧山の言動は
演技かもしれない。
「女将が亡くなっていたこと、
本当は知っていたん
じゃないですか?」
訝る振りをして、
彼は
桧山の本心を覗こうとする。
「知っていたら、
ここで呑気に過ごしている
訳がないでしょう。
僕は彼女を愛しているんだ。
自殺だとしたら
僕は彼女の後を追いますよ、
彼女を一人にはさせません」
桧山の言葉は
この部分だけを切り取れば、
美しい純愛に
聞こえないこともない。
しかし背景を知っている
彼たちにとって、
それはストーカーの
狂愛にしか聞こえなかった。
「じゃあもし、
他殺だったらどうしますか?」
興味本位で訊いてみると、
桧山の顔付きが
また変わった。
「そりゃあもう……
殺すしかないでしょう!?」
目を見開き、
不自然に傾いた首が
不気味さを表していた。
怒りと殺意に満ちたその声は
既に狂ってしまっているようだ。
「でも桧山さんは、
女将に何度も
告白を断られていますよね。
それだけ愛していられるなら、
殺したくなることも
あるんじゃないですか?」
これは一種の賭けだった。
桧山が本当に犯人なら
この問いは危険すぎる。
しかし彼は心のどこかで
桧山は犯人でないだろうと
感じ取っていた。
挑発のような
彼の問い掛けに、
意外にも桧山は
乗ってこなかった。
それどころか、落ち着きを
取り戻し始めたようだ。
「それはあり得ません。
僕には死体を愛でる趣味は
ないですからね。
生きている艶子さんが
愛おしいんですよ。
禁忌に満ちた
そこはかとない色気と
悲哀を放つ
彼女が好きなんです。
僕が愛おしいのは
彼女の苦しみです、
死んだらその苦しみも
見られないでしょう?」
一瞬でも
桧山をまともかもしれない
と思ってしまった。
それはあっさり
覆されてしまったけれど。
ただ、彼の中で
桧山は犯人ではないという
気持ちが濃くなっていった。
「と、ところで、桧山さんは
昨晩から今朝方まで
どうなされていましたか?」
「あなた方の言うように
昨晩も振られましてね。
近くの飲み屋で
飲み明かしましたよ。
地元の人やこの旅館に
泊まっている人も
何人かいたので、
アリバイにはなると思います」
彼は桧山の話にあまり
耳を傾けていなかった。
話をメモするのは椿の仕事だ。
「ついでに
もう一ついいですか?」
「何でしょう」
彼を言い負かしたと
思ったらしく、
桧山は上機嫌で問いに応じる。
「その飲み屋に、
小宮さんや雨水さんは
いませんでしたか?」
「小宮さんはいましたけど、
雨水さんって誰です?」
桧山は惚けているようには
見えなかった。
「知らないならいいんです、
気にしないでください。
ではアリバイの方も
確認しておきますね。
質問は以上です、
ありがとうございました」
それだけ言うと、
彼はさっさと部屋を
後にしてしまう。
椿も慌ててお辞儀だけして
部屋を後にした。
「水さん、
待ってくださいよー!」
廊下を駆ける度、
軋む音が鳴り響く。
木製の床であるせいか、
平常より椿の足音が
五月蝿く聞こえる。
「なんだ、少し休みたいのか?
それならあと二人の
アリバイ聴取が
終わるまで待ってくれ」
彼はまた
振り向きもせずに答えた。
椿は別段
そのことに怒る様子はない。
しかし、彼の服の裾に掴み、
足を止めさせようとした。
ようやく彼も足を止め、
椿の方に振り返る。
「どうした椿、
まだ何かあるのか?」
「だって、あの人明らかに
怪しいじゃないですか!
それなのに水さんが
さっさと出て行っちゃうから
……放って
おいていいのですか?」
椿の言葉は力強く感情的だった。
それだけに、
心が強く揺さぶられている
ということでもある。
視線を足下に落とすと、
椿の脚が
ガクガクと震えていた。
「大丈夫だ椿。
ここじゃなんだから、
外で話そうか」
「はい……」
椿は彼の服の裾から
手を離すことはないまま、
旅館の外に出た。
そのまま
離れの近くまで歩き、
周囲を確認する彼。
「よし、ここならいいか。
どうして桧山を
犯人じゃないと思ったか
教えてやる」
「お願いします」
椿はようやく
彼の服から手を離し、
彼の正面に立った。
「椿が桧山の話を
熱心に聴いている間、
俺は桧山の視線の先を
見つめていた。
嘘は目に表れる。
左上を見ているときは
嘘や体験したことがないことを
思い浮かべているときだ。
でも桧山は右上を見ていた。
右上を見ているときは
過去や体験を
思い出しているときだ。
だから俺は桧山が
犯人じゃないと思った」
彼の言うそれは
一種の心理学である。
仕事柄、相手を
知るためのスキルは
身につけておく
必要があるのだ。
「そういうちょっとした
仕草から嘘かそうでないかを
見分けるなんてすごいですね!
尊敬し直しました」
椿は恥ずかしそうに
へへっとはにかむ。
「ま、納得したなら次行くぞ」
彼は一分でも早く
事を進めようと急いている。
スクープは鮮度が
大事なためもあるだろうが、
今回のそれはまた
別理由なようだ。
「あ、待ってください。
もう一つだけ」
椿にはまだ
気になることがあるらしい。
あんな説明一つで
納得しろという方が、
無茶なのかもしれないが。
「なんだ?」
それは彼も
自覚していたようで、
椿の問い掛けに応じる
姿勢を見せた。
「どうして桧山さんに
小宮さんや雨水さんのことを
訊いたりしたのですか?」
「手間を減らしておきたいのと、
二次被害の予防線だよ」
曖昧な彼の物言いに椿は
「ん?」と難しそうな顔をした。
その答えは雨水の
人間関係に隠されている。
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