夢か現か
なんとかして
寝付くことはできたものの、
彼は結局夜中に
目を覚ましていた。
元々寝付きの悪い
体質である上に、
懸念事もあるせいか
眠りも浅かったようだ。
寝直そうとも思ってみたが、
一度目覚めると
頭が冴えてしまうらしい。
仕方なく起きることにした。
ふと窓の外に目を遣ると、
淡い光が視界に映った。
なんとなくそれが気になって、
机と椿を跨ぎ窓を開けてみる。
淡い光が
飛び込んできたかと思うと、
それは彼の指先に止まった。
「これは、蛍か……?」
頷くように蛍は飛び上がり、
部屋の戸口へと浮遊していく。
まるでこっちに来い
とでも言っているようだ。
どうせ寝付けないだろうし、
夜の化野を散策するのも
いいかもしれない。
虫が入ってこないよう窓を閉める。
それから彼は
机に置いてあった
部屋の鍵を手に取り、
羽織り物を肩に羽織り、
スマホを懐に仕舞い込んだ。
椿を起こさないよう
忍び足で戸口まで向かうと、
彼は部屋を後にした。
廊下の軋む音に怯えながら
先へ進む彼だったが、
案外誰とも出くわさない。
だとしても、
正面玄関は閉まっている
はずだからどこから
出るのだろう。
階段を下りると、
蛍は正面玄関とは
逆の方へ飛んでいく。
まるで彼の心中を
覗いているようだ。
付いていくと、
勝手口のような
小さな戸があった。
蛍は彼を急かすように、
ドアノブ付近で浮遊する。
ドアノブに手を掛けると
すんなり開き、
彼は旅館を脱出した。
そこからは物音を
気にすることもなくなった。
昼中に歩いて回った
森を突き進むと、
心地好い空気が漂っていた。
小川がささらぐ様子も
昼中とは違った
静謐さを感じさせる。
そういや、
蛍は水の綺麗なところに
棲むという。
水が美しいのは
事実のようだ。
とすれば、
問題はやはり――
などと考え事をしていると、
突然前にいた蛍が姿を消した。
どこへ行ったと
辺りを見回すが、
蛍はどこにも見当たらない。
今から旅館へ戻っても
まだ眠る気にはなれないし、
蛍を探すことにした。
そのまま突き進んでいくと、
火か何かの明かりが見えた。
火があるということは
人もいるのだろうと
彼はそれに近付いていく。
次第に目が慣れ初め、
そこが昼間訪れた
ワコの滝の裏側で
あることが分かった。
洞窟のようだ。
時計は見なかったが、
空は濃い藍色をしている。
夜中であることは
確かだろう。
こんな時間に
うろついているのは
碌なことではないだろう。
と、自分のことは
棚上げしている彼であった。
傍目から見れば
彼も十分不審者だ。
「何してるんだ……?」
木々の隙間から
ひょっこりと顔を覗かせ、
その不審な光景を
観察し始めた。
どうやら最初に見かけたのは
村長と石井だった。
それから他に
もう一人いるのに彼は気付いた。
何か話し込んでいるようだ。
この距離では
話の内容までは聞き取れない。
バレないように近寄ると、
もう一人の容姿も確認できた。
すらりとした長身の女性だ。
藍白の長髪が
水から生まれた
風で揺蕩っている。
秘色と桔梗色をした
着物を身に纏い、
優雅な雰囲気を纏っていた。
彼はその三人に
そこはかとない違和感を覚えた。
何がどうとは言えないが、
何かおかしい。
直感のようなものだった。
その顔を拝もうと
顔を突き出すと、
眩い光が放たれる。
彼は咄嗟に
スマホを取り出し、
撮影を始めた。
ネタになると
直感したのだろう。
美しい女性は
宙に両手を伸ばし、
目を瞑っている。
ほどなくして
女性の手元から水が現れ、
宙に留まった。
信じられない光景だった。
水が宙に浮いているのも
そうだが、
何もないところから
水が生まれたことだ。
暫く惚けていると、
その水を宙に
揺蕩わせながら
三人は洞窟を抜け、
さらに奥へと進んで
行ってしまった。
彼はスマホの録画を止め、
再び懐に仕舞う。
彼は後を追い、
事の真相を確かめようとする。
しかし、
その先に日中に会った
隼人を見つけてしまった。
どうして
子どもがこんなところに……。
彼は三人の後を追うのは
後回しにし、
隼人の後を追うことにした。
もしかしたら隼人が
何か知っている
かもしれないと感じたのだ。
気付かれないように
ゆっくりと後を追うも、
隼人はすばしっこく
途中で見失ってしまった。
その後、
洞窟に足を踏み入れてみたが、
別段変わったところは
見受けられない。
ついでに、三人の向かった
方角へ突き進み、
霊泉に辿り着くが、
どこが変わったという
様子もなかった。
玉水は取り留めもなく流れ、
滝の元へと降り立っていた。
少量では
優しさを感じるのに、
大量になると
威厳すら感じさせる。
それは自然の摂理の通りで
何もおかしいところなどない。
自分の気のせいか
幻覚だったのだろう。
彼は三人の行方を
探すのもようやく諦め、
旅館へ戻ることにした。
目の前に淡い光が灯る。
それはどこかに
消えてしまったと
思われていたあの蛍だった。
蛍はまた彼の前を浮遊すると、
ぷわぷわと
小川目がけて飛んでいく。
蛍に足下を
照らされながら
歩みを進めていくと、
幻想的な世界が広がっていた。
淡い緑や黄色の光の粒が
小川を照らして、
淡色に輝く水辺を
生み出している。
蛍は甘い水を好む
習性があるというが、
これだけの蛍が集う
ワコの滝は
お墨付きと言えるだろう。
彼はその場にしゃがみ込み、
蛍の放つ光に見蕩れていた。
次第に光の色が薄れ行き、
一斉に蛍たちは
飛散してしまった。
何やら不穏な気がして、
彼は足早に
旅館への帰路を目指した。
旅館に着くと、
あの勝手口から戻り、
部屋へと滑り込んだ。
得も言えぬ恐怖が
彼を襲っていた。
あまりの恐怖故に彼は
熟睡していた
椿を叩き起こして、
さきほど
目撃したことを話した。
しかし、寝ぼけていた椿は
彼の話を取り合ってくれない。
むしろ、
「水さんの方が
寝ぼけている
のではないですか?」
と言い捨て、再度床に
就いてしまう始末だった。
椿にまでそう言われると、
なんだかそんな気がしてきた。
そのうちに恐怖心も治まり、
彼はようやく
眠りに就いたのだった。
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