「お逃げください」(2)

「どういう意味ですか?」


「申し訳ありませんが、

 お答えすることは

 できません。


 どうか、訳を聞かずに

 お逃げください。


 貴方方まで

 この村の厄介事に

 関わらせたくないのです……」



 女将は唇を噛み締め、

 そっと目を伏せた。


 質問に答えられないことが

 とても歯痒いように見える。


 それに、

「お逃げください」とは

 やけに大袈裟な表現だろう。



「すみませんができません。


 村長や石井さんから事情は

 聞いている

 かもしれませんが、

 俺たちは化野へ

 取材目的で

 やってきたんです。


 まだ資料や取材も

 終えていないので、

 明朝に帰る訳には

 いかないんですよ」



 尤もらしい嘘を吐き連ね、

 彼はこの場を

 やり過ごそうとした。


 淡々とした物言いは

 嘘であることを勘付かせない。


 女将は肩を落とし、

「そうですか」と言葉を吐く。

 

 どうやら説得は諦めたようだ。



「ですが、

 これだけは言っておきます。


 用事が済み次第、

 すぐにお帰りください。


 長居しないに

 越したことはありません」



 それだけ言うと、

 女将はお辞儀をして


「こんな夜分に

 失礼致しました」


 と席を立つ。



 急に畏まった女将の態度に

 よそよそしさを覚えた。


 もう出て行くのだと思うと

 寂しく感じられて、

 彼は腰を上げる。



「あの――」



 呼び止められて女将は振り返る。


 特に話すことなど思い付かない。


 彼は「えと、その……」と

 しどろもどろになる始末だ。


 何も言わない彼を前に

 女将は目を丸くする。



 女将が踵を

 返そうとしたのを見て、

 彼は思わず叫んだ。



「あの!


 わざわざご忠告いただき、

 ありがとうございました。


 なるべく早く取材は

 終わらせようと思います。

 お休みなさい」



 もっと別な何かを言われると

 思っていたらしい女将は

 ぽかんとして、

 暫く固まっていた。


 しかしその硬直も解けると、

 柔和な笑みを浮かべ、

「そうですか」と答えた。



 戸に手を掛け、

 女将はそこで立ち止まった。


 何か言い残したことでも

 あるのだろう。


 振り返り、

 彼の方をじっと見据える。



「夕餉の質問、

 化野ではないどこかで

 またお会いしましたら、

 そのときにお答えしますわ。


 もちろん、

 さきほどのことも。


 どうか

 ご無事でいてください。


 もう一度、お会いしましょう

 ――それではお休みなさいませ」



 女将は静かに戸を閉め、

 今度こそ部屋を後にした。


 女将がいなくなって

 部屋は再び静まり返る。


 しかし、静寂は

 すぐに打ち破られてしまう。



「女将さん、一体

 何のつもりだったのでしょう。


 明朝にでもここを出ろって

 ――やはり、あの噂は

 本当なのかもしれませんね」



 椿は噂の信憑性が増し、

 俄然やる気になったようだ。


 しかし彼はそうでもなく、

 椿の言葉にも

 曖昧な返事をした。


 今は噂の真偽よりも

 女将のことが

 気にかかったのだ。



 女将が化野の秘密を

 握っていることは

 間違いない。


 女将は頑なに

 答えようとしなかった。


 けれども、

 しきりにもう一度

 会おうとする女将に

 彼は不信感を抱いた。

 考えても

 どうしようもないだろう。



「もういい頃合いだし、

 そろそろ寝るか」


「そうしましょう」



 入り口に近い彼が

 明かりを落とす。


 外灯もないため

 外からの明かりもない。


 念のため、

 豆電球に切り替える。



 布団に潜り、

 机越しの椿を一瞥した。


 悩み一つなさそうな顔をして

 心地好さそうに眠っている。


 酔いもすっかり覚め、

 眠気などないが

 身体を休めようと彼は

 無理矢理床に就いた。



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