酒と嫉妬には吞まれるな


 旅館へ戻ると、

 玄関先で女将とばったり

 遭遇してしまった。


 どうやら、

 時間になっても

 指定の部屋に現れない

 二人を探していたらしい。



 村を散策していたのだと話すと、

 女将は別段怒る様子もなく、

 菊の間へ案内してくれた。



「こちらでお食事となります」



 元々は会食の

 予定だったらしいが、

 二人が大幅に遅刻したことで

 もぬけの殻となっていた。


 陳列されている膳には

 食べ終えた後の

 食器が残っている。


 それを忙しなく仲居たちが

 片付けている最中だった。



「本当にすみません……」



 水は思わず謝罪を口にしたが、

「よろしいのですよ」と

 女将は笑って受け答えた。



 女将は何も乗っていない

 膳の前に二人を案内すると、


「お食事をお運びしますので、

 こちらで

 少々お待ちください」


 と菊の間を後にした。



「やっぱり女将さん、

 美人だなぁ」



 彼は恍惚とした表情で

 色っぽい溜息を吐いた。



 それが気に食わない椿は

 口先を尖らせて、

 彼の好色を揶揄し始める。



「ほんっと、

 水さんは綺麗な女性に

 目がないですね。


 それで仕事に

 支障をきたしたことが

 何度おありだと

 思われているのですか?


 プライベートまで

 とやかく言いませんので、

 仕事のときくらい

 女性にかまけるのは

 止めてください」



 水の好色を非難するときの

 椿は容赦がない。


 直情型な椿と言えど、

 このときばかりは

 理論責めしている。



 しかし彼は

 素知らぬ風を装い、

 平然としている。



「俺の好色なんて、

 今に始まったこと

 でもないだろう。


 それに今回は、

 綺麗だとその美しさを

 愛でているに過ぎない。


 それなのになぜ君は、

 そこまで俺の

 嗜好に口出しするんだ?


 私的なことに口出しされる

 謂われはないはずだが?」



 彼はしれっと御託を並べた。


 椿の答えなんて

 分かっているだろうに、

 敢えてそうしない

 彼はやはり天邪鬼だ。



 椿は仕返しされるとは

 思っていなかったようで

 狼狽えている。


 口論するときは、

 自分に矛先が向いても

 いいように

 準備をしておくべきだ。



「えっと、その、それは

 ……ひ、日頃の

 行いが悪いからですよ!


 貴方はいつも

 女性を誑かしてはすぐに

 手放されるではありませんか。


 同じ女性として、

 貴方が女性を弄ぶのが

 許せないのです」



 語尾になるにつれ、

 椿は顔を伏せていった。

 

 肩がわなわなと震えている。



「それこそ、

 君には関係ないはずだが?


 君に直接的な

 迷惑をかけたことは

 一度だってない。


 君は俺を叱るふりをして、

 感情をぶつけている

 だけじゃないのか?」



 感情的な椿に反して、

 彼は淡泊で

 冷たい受け答えをした。


 椿も容赦ないが、

 彼だって椿には容赦ない

 切り返しをしている。



「そんなこと、

 ありません……っ」



 鋭い指摘を

 受けたにも関わらず、

 椿は往生際が悪かった。



 彼はふーっと

 長い溜息を吐き出す。


 どうやら、

 椿を黙らせようと

 椿を畳み掛けるつもりらしい。



「じゃあ言わせてもらうけどね、

 恋愛ってものは

 他者に侵害されない、

 侵害しては

 ならないものなんだよ。


 誰が誰を好きになるか、

 ましてや、

 その相手とどうなろうと

 口出しできるものじゃない。


 これに例外が

 認められるとするなら、

 他者の恋愛を侵害したり、

 横恋慕した際に

 相手側から非難された場合。


 あるいは、

 法に抵触した場合のみだ。


 まあ、特定の相手がいるときに

 他者と恋愛をするのは

 御法度だけどね。



 どちらにせよ、君は

 そのどれにも適応されない。


 つまりは、

 君に俺の恋愛を口出しする

 権利はないということだよ」



 のべつ幕なし喋り続けた彼は

 別段表情を

 変えることもなかった。


 むしろ、

 それを黙って聴いていた

 椿の方が百面相している。


 彼の突き放すような物言いが

 椿の癪に障ったのだろう。



「そ、そんなの、屁理屈です!」



 椿は必死なのに対し、

 彼は涼しい顔をしている。


 涼しい顔を通り越して、

 余裕の笑みさえ浮かべた。


 この口論で

 椿が勝つ術はないのだと、

 確信しているのだろう。



「屁理屈だとしてもね、

 そうやって碌に

 反論もできていない時点で

 君は負けを

 認めたようなものなんだよ

 ――いい加減認めたらどうだ。


 俺の母親と

 女将に嫉妬したんだろう?」



 彼はついに

 自分の隠し持っていた

 切り札を使用した。


 みるみるうちに、

 椿の顔が真っ赤に染まっていく。


 恥ずかしさと怒りが

 同時に込み上げたようだ。


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