ひとりぼっち


「もう二十二年も経つのに

 諦められないなんて、

 滑稽だろう?」



 彼は肩を落として、

 自嘲気味な笑みを零した。


 こんな俺を笑ってくれよ

 とでも言いたげだ。



「そんなことありませんよ。

 水さんの

 お母様のことでしょう?

 何年経ったとしても、

 諦められなくて当然ですよ」



 慰める椿の言葉も届かず、

 彼の心は荒くれていた。



「じゃあ……母親に似た女性に

 惹かれるのも

 当然と言えるか?」


「それは……」



 椿は口を噤んでしまった。


 ほら、と言わんばかりに

 彼はまた自嘲する。



「俺は、

 誰よりも水でいたいんだ」



 嘆きのような

 独白を受け止めることは

 椿にさえできない。



「そうだ、夕食まで

 まだ小一時間ほどありますし、

 村の散策をしましょうよ!」



「下手に知らない場所を

 うろつくと迷子になって、

 時間通りに帰られなくなるぞ。

 それにもう暗い。


 ここは街灯も少ないようだし、

 夜間無闇に外出するのは

 控えるのが無難だろう」



 彼は理性的な言葉責めで

 椿を畳み掛ける。


 そういったものに

 弱い彼女は

 肩を落として嘆息した。


 よく彼女をからかい、

 あしらう彼だが、

 こんな顔を

 させたいのではない。



「……一時間だけだぞ」


「本当ですか!?

 御神水を用いたお菓子が

 扱われているらしいので、

 どうしても

 行きたかったんですよー」


「暗くならないうちに行って、

 さっさと帰るぞ」


「はい」



 ぶっきらぼうな彼の言葉。


 しかし椿は楽しそうに

 彼の後をついていった。



 旅館を出ると、

 辺りは朱色で

 染め上げられていた。


 黄昏時だ。



「誰れそ彼」が転じて、

 黄昏になったとされる。


 また、これと同義で

 彼は誰れ時

 という言葉もある。


 こちらは

 読んで字のごとくだ。


 入り相の

 鐘が鳴るともいうらしい。



 街頭がなくとも

 散策できそうな暗さである。


 旅館を出て左側に目を遣ると、

 仄かな灯りが灯っている

 通りが見えた。


 灯り目指して

 歩みを進めると、

 ぽつぽつと小店が顔を出す。



「わぁー茶屋に、八百屋に、

 雑貨屋に、和菓子屋に、

 酒屋……心惹かれるものが

 沢山ですね!」



 結った二つの毛束を揺らして、

 椿は喜びを露わにする。



「一時間内に帰るんだから、

 そういくつも寄れないぞ。

 それと椿、

 口元から涎が垂れてる」


「え、本当ですか!?

 やだ、恥ずかしい……」



 頬を赤く染める椿を見て

 彼は満足げに笑う。


 彼女の困った顔でも

 こういう顔は好きなのだ。



「嘘だよ。

 椿があまりにも

 食いしん坊だから、

 からかっただけさ」


「もー酷い!

 そういうデリカシーのない

 冗談は許せません。

 女性の品位を貶めた罰として、

 一つ奢って

 もらいますからね!」



 怒りを露わにする椿だが、

 それはぷんすかという

 表現がお似合いだ。


 あくまで発言に

 怒っているのであって、

 彼自身に怒っているのではない。 


「はいはい」



 彼は椿の頭を

 わしゃわしゃと掻き回す。

 宥めるつもりなどない。



 それから二人は椿の意見により、

 茶屋へ足を運んだ。


 椿は抹茶と

 練り切りのセットを、

 彼はブレンド珈琲を注文した。



「お待たせ致しました、

 一服セットと

 ブレンド珈琲になります。

 ごゆっくりどうぞ」



「わー、美味しそう!

 いただきます!」



 椿は目を輝かせる。


 練り切りは

 季節ものを

 模していることが多い。


 目の前に置かれるそれは

 青梅を模したものであった。


 椿は黒文字に手を付け、

 一口に切り分けると

 口元へ運んだ。



「んー美味しいです!」と

 彼女は至福の表情を浮かべる。



「それは良かった。

 でも、

 こっちの珈琲も美味いぞ。

 水がいいと、

 それだけ

 美味くなるんだろうなぁ」



 椿は黒文字を下ろし、

 彼をニヤニヤと見つめた。



「どうしたんだ急に」


「いいえ、

 特に何もありませんよ。


 ただ、何だかんだと 

 水さんも

 楽しんでいらっしゃるな、

 と思いまして」



 指摘されて

 彼は急に恥ずかしくなった。



「ま、まあこれも

 取材の一環だよ」



 照れ隠しは

 大人の嘘で誤魔化す。


 都合の良い言い訳も

 きっと椿には

 見破られていると

 彼も分かっている。


 口先の言い訳が

 欲しかっただけだ。



「そうですか。

 それなら、

 御神水関連のお店を

 さくさく回りましょうね」



 それから二人は

 茶屋を後にした。


 椿は見え透いた嘘を

 逆手に取り、

 他の店にも

 彼の足を運ばせたのだった。


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