君子、美人(危うき)には近寄らず


 取材を終える頃には

 もう日が落ちかけていた。



「お疲れ様です。

 取材にご協力いただき、

 どうもありがとうございました」



 礼儀正しく腰から曲げて

 礼をする彼。


 写真係として同行していた椿も

 それに倣うように礼をする。



「いえいえ、こちらこそ

 大したおもてなしも

 できませんで

 申し訳ありません」



 石井の謙虚な態度に

 彼は胸を痛める。


 良心の呵責というやつだ。


 

 それでも、

 御神水の若返りの効能に対する

 疑惑が晴れた訳ではない。

 調査は続行だ。


 そうと決まれば、

 やらねばならないことがある。



「すみませんが、

 化野で宿はありませんか?


 何分、宿を取るまで

 手が回らなくてですね。


 ないなら一度ここを出て、

 また明日

 出向くことにしますが……」



 他所へ

 客を取られると焦ったのか、

 石井は丁寧に

 旅館の場所を説明してくれる。



「多分あそこなら、

 今から向かっても

 大丈夫だと思いますよ。


 それに、あそこの旅館は

 美人女将がいることで

 有名なんです。


 料理も美味いんで、

 村中の人間も

 利用してるくらいですから」



 石井は興奮気味に

 旅館のことを語ってくれたが、

 彼の耳には「美人女将」

 という単語が木霊していた。


 どんな容姿をしているのか

 想像していると、

 椿に耳を引っ張られた。



「……水さん、

 鼻の下が伸びていますよ。

 不潔です」



 椿は蔑むような

 眼差しを彼に向ける。

 いかにも

 嫌悪しているという顔だ。


 しかし彼は

 そんなことなど気にも留めない。



「男ってのは、

 美しい女性が

 好きな生き物なんだよ。


 それに、

 俺には決まった相手もいない。


 君に非難される覚えは

 ないはずだけど?」



 堂々と開き直る始末だ。


 そのうえ、

 まるで他人行儀だった。


 あまりの態度にさすがの椿も

 気分を害したようだ。



「……そうですね、

 失礼致しました」



 口では引き下がるも、

 納得はしていないと見える。



 彼はなぜかいつも、

 椿には当たりが強い。


 何かあると軽く

 あしらおうとする癖がある。


 しかしその度に、

 強く当たりすぎて

 椿を傷付けているのも事実だ。


 思い通りにならない彼女が 

 苦手なのに、

 彼は突き放しきれないでいる。



 それから暫くが冷戦続いた。


 それは村長たちと別れてから

 旅館へ到着するまで

 終わることはなかったのだ。




 旅館へ着くと、

 玄関先で女将らしき

 着物の女性が立っていた。


 三十代前半だろうか。


 女性はこちらに気付くと、

 穏やかな笑みを浮かべ、


「月下旅館へ

 ようこそ

 おいでくださいました。

 柊様、椿様」


 と丁寧に対応してくれた。



 予約はしていないはずなのに

 どういうことだろうと

 水は困惑した。

 そして、

 胸にわだかまりを抱いた。



「石井さんの方から、

 ご連絡をいただいたんですよ。


 取材に来られた方がじきに

 ここへいらっしゃると。


 こんな田舎まで

 ご足労いただき、

 誠にありがとうございます。


 

 さあさ、

 お部屋にご案内しますので、

 どうぞお上がりください」



 木製の戸を開けると、

 品の良い廊下が見えた。


 昔ながらの

 老舗旅館といった趣だ。



 女将は二人が靴を脱ぐ間、

 じっとこちらを見つめていた。


 不思議に思うも、

 その後は何事も

 なかったかのように、

 二階の部屋まで

 案内してくれた。


 そのため、

 彼は気にしないことにした。


 何しろ美人に

 見つめられたところで不快感はない。



 それどころか、

 女将の醸し出す

 秘めやかな色気に

 彼は惹かれていた。



 そこは角部屋で

 辺りの景色が一望できた。


 すると女将は

「あっ」と声を漏らし、

 木製のボードを差し出してきた。



「すみませんが、

 お客様のお名前と

 電話番号の記入をお願いします」



 そう言えば、予約も何も

 手続きを行っていなかった。


 部屋に通されたため、

 すっかりそのことが

 頭から抜けてしまっていたのだ。



「はい、分かりました。

 名前と電話番号は

 代表者だけで構いませんか?」


「はい、そうです」



 単調なやりとりを終え、

 彼はさらさらとそれらを記した。


「どうぞ」とボードを返すと、

 女将は目を丸くしていた。


「何かありましたか?」


 しかし彼が問い掛けても、

「い、いえ」と生返事だった。

 

 それだけのことなのに、

 彼は女将のことが

 念頭を離れなかった。



 その後、

 女将が諸注意をしている間も、

 女将の顔をじっと見つめて

 惚けていた。



「お食事まで

 二時間少々あります。


 お食事は菊の間になります。


 それではごゆるりと

 おくつろぎください」


 と部屋を去るまでそれは続いた。

 まるで魔法にかかった

 少年のようだった。


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