疑心暗鬼(2)

「ここが水源です」



 村長は前方を指差す。


 そこには畳一畳分程度の

 小さな泉があるだけだった。



「え、ここですか……?」



 さきほどの滝に

 圧巻させられたせいか、

 随分この泉はちっぽけに見える。


 若返りが期待されるという

 御神水の源とは思えない。


 若返りなんていう禁忌を叶えるなら、

 もっと秘教のようであってもいいのに。



 彼はあの噂で

 妄想を膨らませていたため、

 その小規模さに落胆した。



 その態度が露骨であったのか、

 石井が必死に霊泉の凄さを語り出す。


 御神水の魅力を伝えるための

 取材と銘打っているだけに、

 このままでは

 危ういと思ったのだろう。



「いや、小さいながらも

 あの滝の水は全部ここから

 生まれているんですよ!


 それに何と言っても

 御神水は美味いんです。

 是非、試飲してみてください」



 石井は泉の石壁に

 立て掛けてあった柄杓で水を掬う。


 そのなめらかな所作と水の動きに、

 彼はまた心を動かされた。



「どうぞ」



 目の前に差し出された柄杓には

 玉水が汲まれている。


 太陽の光に照らされて

 反射する御神水は

 彼に飲まれるのを

 今か今かと待っていた。



「水」というものにこだわりを持つ

 彼にそれを受け取らない

 という選択肢はなかった。



「いただきます」



 彼は無遠慮にそれを受け取り、

 柄杓に口を付ける。


 一口、

 口に含むと

 甘みと爽やかさが口腔を漂う。


 以前に飲んだそれとは大違いだった。



「どうですか、

 うちの御神水は美味いでしょう?」



 にこにこと上機嫌で

 石井は彼に問い掛ける。


 相手の思惑通りになるのは

 気に食わないが、

 これは認めざるを得なかった。



「……美味しいです」


「それは良かった。


 御神水を商品として売り出す前に、

 水質調査を依頼したことが

 あったのですが、


 pH6.0~7.5、硬度50ppm以下、

 有機物1.5ppm以下、

 蒸発調査50~200ppm、

 鉄分0.02ppm以下、

 塩素イオン50ppm以下の六項目で

 ほぼ満点をいただきました。


 調査に来た方々が

 絶賛してくださいまして、

 早く飲みたいと

 言ってくれたんですよ。


 何と言っても

 うちの御神水は甘いんです。


 それから、

 他所から来た方々に

 御神水で淹れた茶を

 お出ししたときも――」



 その後、石井の御神水自慢は

 小一時間に亘って続いた。


 このままでは取材にならないと

 彼が口を挟んだところ、

 ようやく石井の長話は

 幕を閉じたのだ。


 石井の御神水や

 化野に対する執着を

 甘く見ていたのかもしれない。



「――では、こちらから幾つか

 ご質問させていただいても

 よろしいでしょうか?」


「はい、

 私にお答えできることなら!」



 快活な笑みを浮かべる石井を見て、

 彼は心を痛ませた。


 善人のような人を

 騙すのは気が引ける。


 ここで訊いたことも

 記事に載せようと考えた。



「では一つ目。


 御神水を販売しようと

 試みたのはいつからですか?

 また、実際に販売し始めたのは

 いつからでしたか?」


「確か、

 十数年前だったと思います。

 売り始めたのは十年前のはずです。


 水質調査や許可が下りるのに

 時間がかかったので」



「では二つ目。

 御神水を販売しようと思った

 きっかけは何でしたか?

 また、その理由もお聞かせください」



 そこで石井が

「うぅーん、あれは確か

 二十年くらい前のことだから……」

 と首を傾げた。


 腕も組み、

 必死に思い出そうと

 しているようだったが、

「すみません、私にはちょっと」

 と断られてしまう。



 場が沈みかけた頃、

 村長が

「それには儂がお答えしよう」

 と口を開いた。


 さきほどの厭な視線から

 村長を警戒している

 彼としては意外なものだった。



「是非お願いします」



 ぽかんとしている彼に代わり、

 椿が頭を下げた。



「石井の漏らした通り、

 あれは二十年ほど前のことでした。


 他所の者がやってきて、

 御神水で淹れた茶を出したところ、

 絶賛されましてね。


 茶がいい訳ではなく、

 水がいいのだと気付き、

 水質調査を

 お願いしてみたのですよ。


 そこで、石井が話していたように

 太鼓判をもらったんで、

 販売に踏み切ることにしたんです。


 その頃丁度、村の経済も

 上手く行っていなかったので、

 賭けのようなものでしたよ」



 ほっほと笑う村長。


 さきほどまでの怪しさはどこへやら。


 彼はすっかり

 毒気を抜かれてしまった。


 あの厭な視線は

 誤解だったのだろうか。

 人を疑うとキリがない。


 彼にとって

 疑心暗鬼は友達のようなものだ。


 ただ一つ、

 彼の胸に痞えが残っていた。


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