疑心暗鬼

「ここですよ。

 ここがワコの滝です」



 石井が促し、彼は顔を上げる。


 水が轟くように流れ落ちていた。


 轟轟と勢いよく

 水が流れ落ちるせいか、

 白く噴き出している

 ようでさえあった。



「ほぉー……」



 彼の口からはそれ以上の

 言葉が出なかった。


 わざわざ口に出して

 評価するよりも、

 内に留めて

 観賞したい美しさなのだ。



 白く流動する水と透明で

 静かに漂う水との

 コントラストが美しい。


 それだけでない。


 水が生み出す風によって

 周囲の木々がさわさわと揺れ動く。


 時々ちらつく木漏れ日は

 小川の両端にある

 石に生えた苔を明るく照らす。

 自然美が循環しているようだ。



 何よりも彼が心を奪われたのは

 水の美しさだった。


 見た目もさることながら、

 その魅力は多彩であった。

 色、涼、音、匂い。



「綺麗ですね」



 彼の背後から

 そっと呟く声がする。


 椿も彼と同様その美しさに

 見蕩れているのだろう。



「ああ」



 美しい風景を眺めながら、

 彼は感嘆とは

 異なる溜息を漏らした。


 水はやはり偉大なのだ。



 そこで観賞の思考も途切れ、

 仕事をしなくてはと

 気分を入れ替える。



「ワコの滝、と仰いましたが、

 どういった由来なのでしょう?」



 由来由来と、

 彼はそういう観念に

 こだわる男なのだ。


 何かと理屈をこねたがる質で、

 何かを定義することが好きである。



 そういう性分は

 記者に向いているのだろう。

 だが、

 人としては少々面倒臭い。



 問い掛けられた

 石井は渋面を浮かべる。

 首を傾げてしまった。


 何も知らないのだろう。


 続けて村長の方へ目を遣ると、


「昔からそう呼ばれているもので、

 儂にも分かりませんのよ」と嘆いた。



 水の流れる音や

 木々の擦れる音ばかりが虚しく響く。


 話題に失敗し、

 水は次の話題に切り替えられずにいた。


 それは村長らも同じで、

 下手に何かを口にするのを

 憚られているようだった。


 皆が口を噤み、

 いつまでもこの静寂が

 続くかのように思われた。



「それじゃあ、ワコの滝の

 水源はどこにあるのですか?」



 椿がその静寂を断ち切ってくれた。


 彼を含む三人が

 ほっとしたように緊張が弛む。


 石井は待ってましたと

 言わんばかりの笑みを浮かべている。



「そうでした、

 そのお話をするべきでしたね。

 それでは説明がてら――」


「それには儂がお答えしましょう。

 おい石井、

 お前は先頭に立ってくれ」


「分かりました」



 村長は強引に回答権を奪い取り。

 二人に歩み寄った。



「お尋ね直しますが、

 ワコの滝の水源は

 どこにあるんですか?」



 村長は頬元を目一杯引き上げて

 にぃっこりと笑う。


 彼は村長の仕草に気色悪さを覚えた。



「御神水は天からの授かりでして、

 霊泉と呼ばれる

 泉の湧き水なんですよ」



 椿は彼の隣から

 ひょっと顔を突き出した。



「病気などに効き目のある

 不思議な水が湧き出る

 泉のことをいいます。

 御神水という名前も

 そこからきておりますんよ」



 村長の答えはまさしく

 あの噂を裏付けるものだ。



「そうなんですかー。

 すごい水なんですね!」



 村長と椿は彼を

 間に挟んで言葉を交わす。


 それが気に食わず、

 彼はそっと前方を見遣ってみた。


 すると、石井の

 もどかしそうな視線に気付いた。


 質問も終え、

 村長は石井の方へと離れていく。



 それ以降も、

 石井は村長に怯えるように

 口を噤んでしまう。



 森にはざくざくと

 地を踏みしめる音だけが

 鳴り響いていた。


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