胡散臭い「化野(あだしの)」(2)
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
椿に背を向けて歩き出す彼。
その影を踏みしめながら、
後ろを付いていく椿。
普段の彼女は
お淑やかとは程遠いけれど、
この様子は大和撫子宛らに思う。
村長たちに気付かれぬよう
二人は速度を速めて歩いた。
そうして歩みを進めるうちに、
景色が変わっていく。
ただの砂利道の両端に
水が流れており、
涼やかな微風が二人を包む。
「気持ちいい風ですね」
「そうでしょう。
村中に水路を引いているので、
周囲よりも
いくらか涼しいんですよ。
見た目も趣があって綺麗ですしね」
彼に向けたはずの言葉は
なぜか石井に拾われてしまう。
彼以外の人に聞かれていた羞恥心と
彼に無視をされたという苛立ちで、
椿は複雑な表情をしていた。
彼はそっと椿を一瞥してみる。
椿は頬を紅く染めながら
ふくれっ面をしていた。
小動物のようだと
彼はふっと笑いを零す。
それに気付いた椿が
彼の服の裾を掴むが、
彼は無視を通した。
「ところで、この村は
化野という名前のようですが
……化野村なんですか?
それとも、
化野という地名なんですか?」
「ここは……
正確には村ではないんです」
石井は半身を向けながら、
彼の質問に応じた。
真剣なのに、どことなく
仄暗い表情をしている。
しかし彼は
そんなことなど気にも留めない。
「というと?」
「ここは、
村と呼ぶには規模も小さく、
人口も少ないところです。
どちらかと言うと、
集落に近いですね。
泉地域に属さなければ、
ここは村として認められません。
ですが、御神水で村の生計を
立てられるようになってからは、
ここ化野を独立した地域として
認められるようになりました。
規模が小さいのであくまで、
集落と呼ばれる形式にはなりますが、
そんなことはどうでもいいんです。
私はここが好きなんです、
ここを守れるなら
それで十分なんですよ……と、
少々話が長すぎましたね。
もうすぐ森の入り口です、
先を急ぎましょう」
石井は内向的ではあるが、
この化野にそれなりの
執着を持っているようだ。
だからこそ、
案内役にも名乗りを
挙げてくれたのかもしれない。
背を向けて歩く石井を見据えて、
彼は故郷というものについて
考えていた。
彼にとっての故郷は、
今住んでいる地域とさして
離れていない場所にある。
しかし、そこまで
執着を抱いていないのだ。
故郷とは場所そのものよりも、
帰りたいと思う場所
であることが肝心である。
彼にはそれがない。
執着する理由がないのだ。
森に入り、木陰がさらに
涼を与えてくれる。
右側を流れる
小川のささらぐ音がまた心地好い。
自然豊かでこんなにも
心地好いところなら、
石井のように
執着するのかもしれない。
それと共に彼は
郷愁に襲われる。
自分の故郷とは
一体何なのだろう。
しかし、今はそんなことを
考えるときではないと、
すぐに気持ちを切り替えた。
「そういや、化野の名前の
由来については
お聞きしていませんでしたよね。
珍しい名前ですよね。
どんな由来なのか、
教えていただけませんか?」
彼は石井に
問い掛けたつもりだった。
だが、その問いはさらに
その向こうの
村長にまで届いたようだ。
「それには儂がお答えしよう」と、
歩みを止めないまま口を開いた。
「化野は墓地を意味する言葉です。
元々ここは火葬技術が
進んでいなかった頃、
周辺地域の
土葬を請け負っていました。
水が美味いのは当たり前だった時代、
ここは貧しいところだったと
伝え聞いております。
そうすることが
生きる術だったのだと思います。
ですから、儂はこの名前を
誇らしく思っておりますんよ」
村長は前を向いていて、
もちろん顔は拝めない。
厳めしい顔付きをしていた村長だが、
きっと満足げな笑みを
浮かべていることだろう。
村長の声は
胸を張っているようだった。
そんな考え方もあるのか。
醜いと思っていた名前が
ようやく腑に落ちたのであった。
生きる上で必要だったし、
必要とされていたそれに応えた。
所謂、
利害の一致なのだと気付いたからだ。
「そうなんですか。
先代は心優しい方だったんですね」
感慨深げに彼は頷いた。
しかし、
同情した訳ではなく、
ただ単にそうなのだろうと
推察した言葉であった。
すると、彼の
三歩後ろを歩いていた椿が
彼の服の袖を掴み、
ひょっこりと顔を出した。
「その慣習は
いつまで続いていたんですか?」
彼は思わず目を丸くし、
絶句する。
この娘は何を言い出すのだと
冷や水を垂らしながら、
相手の出方を待った。
村長らは立ち止まり、
こちらを振り向いた。
さすがにこの問いには
村長たちも驚かされたようだ。
石井は首を傾げる。
村長は顰めっ面をした後、
「そんな怖い顔せんでもええです。
そりゃあこんな話を聞かされれば、
掘り下げたくなるのが
人ってもんですよ」
と笑顔で返してくれた。
心臓が暴れ太鼓のように
荒ぶっていた彼は
そっと胸を撫で下ろす。
その仕草を見て、
村長はまた笑った。
自分が思っていたほど
悪い人でもないのかもしれない。
彼は少しずつ警戒心を解いていった。
「近頃は火葬技術も進んで
この辺りでも
火葬が主流になりましたんで、
もうとっくに
土葬の請負は止めましたよ。
もう随分になるでしょう。
少なくとも
百年以上は経っているかと」
「そうでしたか。
それだけあれば、
土や自然に還っていそうですね。
質問に答えていただき、
ありがとうございます」
「いえいえ、
儂もここに興味を持って
もらえて嬉しいですよ」
水はふと、
椿の台詞が気になった。
「土に還る」
人間は死んだら骨になって、
土に還るという話を
耳にしたことがある。
今時、火葬の方が主流で
殆ど土葬なんて行わないため、
骨になるというよりは灰になる。
そう考えると、
現代人は自然に還ることすら
叶わないのだろう。
生命は循環しないのだ
――と思案に耽っているうち、
ようやく
目的の場所へ着いたようだ。
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