巷で噂の「御神水」(2)

「失礼ですね。


 私だって、女性としての

 嗜みくらい心得ています

 ――とそんな話がしたい

 訳ではありません。


 水さん、何か大物の

 ネタをお持ちですね?」

 


 活き活きとした表情と

 胸の前で構えられた

 二つの握り拳はあどけない。


 しかし、体格は

 女性らしい肉付きをしている。


 黒髪のボブヘアは

 両端の長い毛束だけが

 赤い紐で結われており、

 より幼さを強調する。


 それらが合わさり、

 大人とも子どもとも言えない

 容姿を生み出していた。



 彼はまた一つ溜息を吐く。



「そうだけど、

 君は連れて行かないよ」



 椿が嗅ぎ付けてきたことによって、

 彼は村へ取材に出向く決心をした。

 いや、

 そうせざるを得なかったのだ。


 得体の知れないものに

 未成年の椿を巻き込む訳にはいかない。



「えぇーどうしてですか!?

 何かいやらしい魂胆が

 おありなのですか?」



 拒絶され、

 椿は食い気味に質問を繰り返した。


 身を乗り出し、

 鼻先が触れそうなほど

 顔を近付けている。


 どうして簡単に

 あしらえないのだろう。


 飾り気もなければ、

 自分を偽らない椿に

 彼は腹を立てていた。



「そういうんじゃないよ。

 君は足手纏いだからね、

 単に連れて行きたくないだけだ」



 内心では椿を守ろうとする

 気持ちが働くのに、

 口先では突き放すような

 ことばかり言う。


 彼女に対しては

 いつもこうなのだ。


 だのにどれだけ突き放しても、

 椿は自分の傍を離れようとしない。



 椿は馬鹿な少女だ。


 真っ直ぐすぎて、

 彼の目が潰えて

 しまいそうなくらいである。


 だから、

 彼は椿のことが好きにはなれない。 



「そんなことおっしゃいますけどね。

 水さん、私がいないと

 先方の女性に手を出すでしょう。


 それでどれだけ会社に

 迷惑をかけたとお思いですか?


 私は確かに

 足手纏いかもしれませんが、

 貴方の監視役は務められますよ。


 そのうえ、水さんには

 一人で取材に出向く権利がありますが、

 私には好色な貴方を

 止める義務があります」



 子どものようであったのが、

 途端に大人の顔をした。



 椿は気丈な娘だ。


 まだ子どもであるのに、

 二十八の水よりも

 大人な一面がある。



 それは彼が大人になる過程で

 忘れてきたものだ。


 この口喧嘩には

 勝てないような気がすると、

 彼は諦めることを選んだ。



「で、つまり?」



 言わずもがな、

 椿は満足げな表情を浮かべた。



「何を言われようとも、

 この凛は水さんにお供致します!」



 相変わらず威勢の良い女だと、

 彼は呆れと感心を同時に抱いた。




 編集長に

 今から行くとの報告をすると、

 取材のアポイントメントは

 取っているらしい。


 彼は一度家に戻り、  

 取材旅行へ出向く準備を済ませた。


 それから椿の住まう下宿先で

 椿の支度を待っていた。



「椿、まだかー?

 早くしないと置いていくぞ」


「はい……

 支度終わりましたので、

 今行きます」



 小振りなトランクケース片手に

 椿が階段を駆け下りてくる。



「じゃあ行くぞ」



 椿に背を向け、

 歩き出した彼だったが、

 どことなく元気のない

 彼女に不信感を抱いていた。



 その後二人は

 いくつか電車を乗り継ぎ、

 噂の村へと足を運ぶ。



 車内では、遅れた情報の伝達がなされていた。

「――えっと、それはつまり、胡散臭い御神水というのを法外な値段で売りつけている村を晒し者にしようということですね?」

 身も蓋もない物言いだ。椿のこういうところが危ういのだと、彼は危惧している。

「あのねえ、椿。もっとマシな物言いをしなさい。これだから、箱入り娘は常識がなっていなくて困るよ」

 額に手を当て、はぁーぁと大層な溜息を吐いてみせる。彼は溜息ばかり吐く男だ。椿という少女といると、それは殊更である。

「でも、あながちデマとも言い切れないんでしょう?」

 歯に衣着せぬ物言いをしたかと思えば、彼女の目が鋭いものに変わっていた。そして、その指摘も彼を歯痒くさせるものだった。

「そうなんだよ。だからこそ、君には付いてこさせたくなかったんだ。私一人なら躱せても、無鉄砲な君だとどんな地雷を踏むか分からないからね。いちいちそんな懸念をするくらいなら、一人で向かう方が幾倍も楽なんだよ」

 彼の肩はすっかり竦まっていた。足下に視線を落とし、椿という眩しさから目を背けている。

「だったら、なおさらですよ。水さん一人で危険な場所になんて行かせられません。それに、今回の場所は特に気になるじゃないですか……もしかしたら、あの人にも会えるかもしれませんし」

「期待なんてするだけ無駄だよ。あの人はもう、いないんだ。そういうものなんだよ」

 歯切れの悪い椿の言葉に、彼は食い気味に口を挟んだ。

 そう、もう二十二年経っても会えない人に会えると期待するだけ虚しい。会いたいと焦がれる度、彼の心は悲痛で悶えた。それは恋よりも厄介だ。

 いくら口頭で嘘を連ねようとも、己の心だけは騙せない。彼の根幹を成したその人の行方を彼は今も捜し求めている。

 ガタン、ゴトンと揺れる電車の音が静かな車内に寂しく響いた。

 

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