6 病院で医者に独白すること。そして、彼と自分の正体を知り安寧を得ること。
気がつくと病院にいた。
ぼんやりとした頭のまま私は医者と話をしている。医者に自分がどういう状況なのか説明していた。
――最後に覚えていることは?
医者の声が響く。医者の背後には煌々と輝く照明があり、長身の医者によって私の全身は影に覆われている。
私の前に顔のない女と男が……、いや男だったか女だったかわからないが、私の前に迫りくる異形のものたちがあった。
そうだ、私は顔のない得体のしれない生き物たちに囲まれて、逃げだしたのだ。だが、逃げてどうなったのだろう。そこからは思い出せない。
――それで、そのものたちに心当たりは?
医者は頷きながら聞いてくれている。白衣に身を包んだその男は、白衣とは正反対の黒い肌をしていた。照明による逆光で私には漆黒のような皮膚として映る。
彼の言葉に促され、私の記憶はさらによみがえる。
会社で出会った見知らぬ顔の数々はやはり人間ではなかった。奴らもやはり顔のないものたちで、私の同僚に成りすましていたようだ。それが自然な解釈だろう。
しかし、いつの間にここまで異形のものたちに囲まれてしまったのだ。私は空恐ろしく思う。
――その手に持っているもののことは覚えていますか?
黒い肌にスキンヘッド、銀色の縁のメガネ。メガネの奥から鋭い眼光が光る。
手に持っているもの?
意識すると、確かに私は手の中で黒い像を持て余していた。これはカイロで手に入れたナイアーラトホテップの彫像だ。
私はカイロでこの像を手に取ったことは覚えている。イアラに像の説明を受けたことも。
だが、私はこの像をどうやって手に入れたのだろうか。
金を払ったのか?
譲り受けたのか?
盗んだのか?
どれもピンとこない。思い出すことができない。
なんとか思い出そうとして、その前後のことに思いを馳せる。だが……。
というか、そもそも私はカイロに行ったのか? カイロから帰ったのか? 私の記憶の中で鮮明なのは、カイロの街並みと彫像の店の中だけだった。
カイロに行ったことは妄想でしかないのだろうか。
しかし、カイロにいたこと自体は記憶にある。それに、だとしたら、どうやってこの像を手に入れたというんだ。
私は意味もなく黒い陶像をまさぐり続ける。額がじっとりと汗ばんでくるのを感じる。
焦りで目が泳ぎ、医者に目が向く。そして、顔を見てはっきりした。
この医者は――、
「イアラ!」
私は思わず彼の名を叫んだ。すると、イアラは微笑む。
その笑顔はどこかで見た覚えがあった。
私は両手でまさぐり続けていた黒い像に目を向ける。
今まで顔がないと思っていたその彫刻だが、はっきりと黒い怪物の笑顔を感じ取ることができた。イアラの微笑みとそっくりだ。
――そう、私はナイアーラトホテップ。イアラだ。
イアラの顔が笑みによって歪んでいく。口は裂け、目は肥大化し、額の中央に窪みが現れて燃えるように赤々と輝く。その窪みはまるで第三の目のようだった。その姿は怖気を催すほどに異様だった。
「§ΘΞΔ!」
私は叫ぶ。だが、その悲鳴はあまりにも間抜けな、それでいて甲高い、冒涜的な音色として吐き出された。音色は私の口先から伸びた管から発せられている。
いつの間にか、私の姿は変わっていた。
私の口は蝶や蛾のように管の延びたものとなり、呼吸をするたびに伸び縮みする様は、自分のことながら滑稽だった。
腕は退化して胴と一体化し、腹からは臓器がむき出しになり、足は無数の触手となり蠢いている。
こんな時、自分が怪物になってしまったことを動揺するのが普通かもしれない。実際、頭の中では困惑する言葉が何度も巡ってくる。
だが、心のより深いところでは、本来の姿に戻ったのだという納得があった。
この姿が私の本性なのだ。人間の姿に恐れおののいていたが、当然だ。私から見たら怪物は人間たちの方なのだから。
――ふふふ。
ナイアーラトホテップが朗らかな笑顔で私を見つめていた。
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