2 彼女と偶然の再会をすること。そして、人は好きな相手ほど顔を覚えられないこと。
会社からの帰り、駅から家までの10分ほどの単調な道のり。ふと、新しい店が開いているのに気づいた。
2階建ての、ビルとも言えないその建物の地下に降りる階段。その先にバーが新設されていた。店構えがガラス張りになっており店内が見通せるようになっている。
客はおらず、バーテンと思しき女性が手持ち無沙汰げな雰囲気で、すでに清潔な店内をさらに清掃している。
人気がない方が落ち着いて酒が飲めそうだ。そう思い、寄っていこうという気になってきた。
店に入るとバーテンダーが微笑む。褐色の肌に金色の髪。日本人ではなかった。
どこかで見かけたような気がしたが、カウンターに座り、バーテンダーの顔をハッキリと見て思い至った。
「イアラ」
思わず口に出る。カイロで出会った彼女だった。
イアラもハッとしたような顔で私を見た。彼女もまた私を覚えていたようで奇妙な再会を喜んでくれた。
ふと、ジャケットのポケットの中をまさぐる。指先に固いものが当たった。取り出さなくてもわかる。それは黒い、顔のない陶像だった。いつの間にか持ち出し、いつの間にか肌身離さず持ち続けている彫像――ニャルラトテップだ。
陶像をまさぐっているうちに、のどが乾いてきた私は生ビールを注文する。
バーのビールサーバーの蛇口は金色のイメージだったが、この店の蛇口は黒かった。まさに漆黒というべき色で、色彩のない黒色にもかかわらず輝きが感じられる。
差し出されたビールを飲む。普通のビールよりも金色が強いように思える。実際に一味違うのか、この店の雰囲気のせいか、それとも仕事でくたくたに疲れていたせいか、普段飲むものより美味かった。
「あなたって人の顔の区別って付く方?」
ビールの美味しさに呆けていた私にイアラが声をかけた。
しかし、それは異様な問いかけだった。顔の区別? 考えたこともなかった。
「たとえば、初恋の人ってどんな顔だったか覚えてる?」
さらに付け加えられた彼女の質問に私は戸惑った。
初めて好きになった人。その人のことはよく覚えている。初めて出会った時のときめきや動揺、仲良くなるために取った大胆な行動。覚えていることは多い。
でも、それは幼い頃のことだった。
どんな顔だった?
自分自身に問いかけるが、あまりにも小さかったためか、思い浮かぶ顔はおぼろげなものに過ぎず、はっきりと思い出すことはできない。
「ふふっ」
答えられない様子の私を見てイアラは笑った。
「人間って意外と人の顔を覚えていないのよ。特に、好きな人の顔ほど、なぜか、ね」
その言葉は妙に納得のいくものだった。
かつて、私が好きになった人、両想いになり付き合った人、よく遊んだ友達、恩師というべき先生や上司、そして両親。彼らの顔を思い出そうとしても、そのことごとくがおぼろげだった。
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