第199話


 私の一日は夜明け前に始まる。


 ベッドを出て、いつもの簡素な白のブラウスとくすんだ茶色のハーフパンツに着替えた後、洗面所へ。

 顔を洗って歯を磨いて、黒い眼の上で整えられた前髪と、後ろに流した長い黒髪に寝癖が無いのを確認し、お気に入りのバレッタを着ける。

 


 これで準備完了。


 いつも通りキッチンに向かい、二十人分の朝御飯を作る。

 今日はウインナーに鶏肉のスープに、白パン。

 中々に豪華な顔ぶれだ。特に白パンは、町で評判のパン屋さんのものなので、美味しいことが確定している。

 念のためスープの味を確認。うん、今日も中々に美味い。



 鍋を食堂に持っていく途中で、チビ達が起きてきた。


「おはよ。早く顔洗ってきちゃいなー」

「はーい!」


 揃って返事をしたあと、バタバタと走って行く。

 朝から元気で何よりだ。



 スープの鍋を置き、食器を並べているとシスター・ナリアが礼拝堂から出て来た。

 一旦手を止めて、笑顔で挨拶をする。



「おはよう、オウカ」

「おはよ、シスター・ナリア」


 真っ黒な修道服と反対に、フードから溢れる銀色の髪が、お日様を反射してキラキラと輝いている。

 今日も綺麗だな。なんとなく、嬉しくなる。


「今日もいい匂いね。毎日助かるわ」

「毎日それ言うねー」

「ふふ、そうね。でも貴女も、中々お母さんって呼んでくれないわね」

「う。あ、ほら、ご飯出来てるから」

「うふふ。はいはい」



 みんな揃ったところで手を合わせ、声を揃えて「いただきます」を言う。

 他所ではやらないらしいけど、この教会は昔から食事前にはこれをやっているらしい。

 命を頂くという意味なんだとか。

 誰が始めたかなんて知らないけど、なんとなく気持ちいいし、行儀良く見えるので私も真似をしている。


 今日も、いただきます。



 なんとなく、何かが引っかかった気がするけど、気にしない事にした。




 朝食を終えてチビ達と食器を洗った後は、洗濯と掃除。

 二十人分の洗濯と教会中の掃除となると、中々に重労働だ。

 けどまあ、みんなで分担したら案外すぐに終わる。


「ほらほら、遊んでると転けるぞー」

「だいじょーぶ……うわぁ!」

「あーほら、言わんこっちゃない。ほれ、手ぇ貸しな」

「あんがとー」


 見事にすっ転んだチビを引っ張り起こし、年長組のみんなで踏み洗い。

 その間に、年少組が教会の掃除をすませてしまうのがいつもの段取りだ。


 洗い上がったら硬めに絞って裏庭に干して終わり。

 本日も綺麗な晴天。これなら昼過ぎには乾きそうだ。


 よし、と一つ頷いて、朝の仕事は終わり。

 急いで部屋の荷物をまとめ、学校に向かう。




 学校では色々な事を教えてくれる。

 文字、数字、歴史、あと一番苦手な魔法。

 他は覚えたり考えたりできるけど、魔法だけは上手くいかない。

 私は魔力制御が出来ない体質らしいけど、努力することを辞めてはいけないと思っている。

 頑張れば何でもできる訳じゃないけど、料理も勉強も仕事も、努力しないとどうにもならないし。

 まだまだ、諦めるには早いはず。



 ……ついでに、努力で身長も少し伸びてくんないかなー。

 チビ達に追いつかれてて、ちょっと焦るんだけど。

 割と切実に。




 学校が終わるとそのまま町のパン屋さんへ向かった。


 今日も魔法が使えなかった事に少し凹む。

 けれど、すぐに気持ちを切り替える。


 仕事にそういうのを持ち込むのは良くないし。

 ただでさえ、好意で雇ってもらっている身だ。

 お店に迷惑はかけられない。


 今日も売り子と、明日のパンの仕込みのお手伝い。

 ここのパンはとても評判ですぐに売り切れてしまうけれど、旦那さんは教会の分をこっそり取り置きしてくれる。


 顔は怖いけどとても優しいのだ。いつか恩返しをしたいと思う。



「おいオウカ。お前、今日はもう帰れ」


 お客さんの波が一段落した辺りで、いきなり旦那さんにそう言われた。


「はい? や、まだ仕込み終わってませんよ?」

「お前、明日が何の日か忘れたのか?」


 明日? 何だっけ。卵の特売日は週末だし。


「……何かありましたっけ?」

「馬鹿野郎!! お前のの誕生日だろうが!!」


 ああ、そっか。そう言えば、シスター・ナリアに言われてたな。



 私は十六年前、教会に引き取られた孤児らしい。

 らしいというのは、実は私はここ数ヶ月以前の記憶が無いのだ。


 最初の記憶は、黒髪黒眼の女の人が私を見つめているシーン。

 それから私は、知らない人達に連れられて、この町の教会にやってきた。

 もともとこの町で過ごしていたと聞いたけれど、イマイチ実感は無い。


 町のみんなはとても良くしてくれる。

 優しい人ばかりだけれど、たまに寂しそうな顔をされるのは、ちょっと申し訳ない。

 彼らには私との記憶があるんだろう。


 んー。我ながら、どこに無くして来たんだろうね、記憶。

 誰かひょいって持ってきてくんないかな。


 まー、それはさておき。


「あはは、忘れてました」

「今日はもういい。明日も休みだ。ほれ、いつもの奴」


 しかめっ面で大袋いっぱいのパンを渡してくれる。

 これ、いつもの三倍はあるんだけど。

 そっと顔を見つめる。旦那さん、耳が真っ赤になってる。

 お。目を逸らされた。照れてんのかな。


「ありがとうございます。じゃあ、また明後日に」

「ああ、気をつけて帰れよ」

「はぁい!!」


 いつもなら半額なところ、今日はなんとタダにしてくれた。

 誕生日って良い日なのかもしれない。



 ウキウキとした気分で教会に帰りつくと、シスター・ナリアがお出迎えしてくれた。


「シスター・ナリア。ただいま」

「ああ、おかえりなさい、オウカ。貴女に届け物が来ていますよ」


 ……届け物? なんだろ……まあ、それはともかく。


「後で見とく。それより、今日はパンをたくさんもらったんだよ。いつもなら半額なのに!」

「それは喜ばしいことですが……先に届け物を見た方が良いわ。

 王都からの届け物だから」

「……へぁ? 王都? なんで?」

「手紙も預かっています。部屋に置いてあるから見てらっしゃい」

「なんだろ……はぁい」


 一旦キッチンに寄ってパンを置き、部屋に戻る。

 使い古された文机の上に、一抱え程の小包と便箋びんせんが置いてあった。

 あー。これか。

 便箋を手に取って小刀で封を開け、手紙を読んでみる。



『貴女の運命をお返し致します。

 王国騎士団団長 コダマレンジュ』



 ……はぁ。え、どちら様? 運命ってなに?

 小包の油紙を剥くと、知らない焼印が入った木箱が出てきた。

 あ、これ、蓋が開く。



 赤と白。二つの大きな拳銃。

 それと、飾りの無い指輪。

 木箱の中には、それだけが入っていた。




 ……えぇと。なんだこれ。

 銃先にある桜のモチーフが可愛いけど、良く見ると拳銃は弾を込める部分が無い。

 凄く出来が良いオモチャだのようだ。

 なにこれ。イタズラにしては手が込んでるけど、本気で意味が分からない。


 指輪を手に取ると、内側に何か彫ってある。

 けど、知らない文字だ。シスター・ナリアなら分かるだろうか。


「……なんだこれ?」


 呟くと同時、指輪が淡く光った。

 え、なに、何で光ってるのこれ?


「――声紋認識完了。

 ――起動しました。

 ――お久しぶりですね、マスター」



 指輪が、喋った。



「……ぎゃああああああああっ!?」


 取り敢えず、全力で床に投げ捨てた。




 なんだ、いまの。

 指輪が光ったと思ったら、言葉を喋った。


 なに、お化け?

 教会にお化けとか止めてほしいんだけど。

 ……うわ、心臓ばっくばく鳴ってる。


「……なんなのよ、マジで」

「――あの日と同じ反応ですね、オウカ」

「またしゃべったああああああ!?」


 ずざざざっと距離を取る。

 後ろは窓。最悪、こっから逃げるしかない。

 そんで表に回ってチビ達を逃がす。うん、それでいこう。


 あ、シスター・ナリアに退治してもらうとか……

 いや、お化けは流石に無理か?


「つーか! なんで私の名前知ってんのよ!」

「――先日、ミナヅキカエデの協力を得て、情報の欠落箇所の修復が完了致しました」

「……は? え、なに?」


 情報……なに? てかミナヅキカエデって誰?


「――オウカ。私を手に取ってください」

「え……やだ。なんか怖いし、意味分かんないし」

「私は貴女の味方です」


 ……なんだろう。こんだけ怪しさ爆発なのに。


 何故だが、信じても良い気がする。


「……えぇと。あなた、悪い事する?」

「――ありえません」

「私の味方なの?」

「――私はいつでも、オウカの味方です」

「よしゃ……うりゃっ」


 指輪を拾い上げる。よく見ると、何製なんだろうこれ。

 銀製なら高く売れるかな?


「――Start connecting to the storage area...

 ――Completed. Backup data, restoration start」


 また謎の言葉を言われた。


 記憶領域に接続開始?

 バックアップデータ、復元開始ってなに?




 ……いや。ちょっと待て。なんだ、今の。

 何で、




「――オウカ。貴女の運命をお返しします」





 直後、記憶の奔流に飲み込まれた。


 五感を刺激する様々な思い出達。


 溢れかえってくる、怒涛の感情。





 気が付けば、私は涙を流しながら座り込んでいた。

 握り締めた手の中には、





「――おかえりなさい、オウカ」

「は、はは……ちょっと、意味が分からないんだけど。説明してよ」


 訳が分からない。私はあの時、もう一人の私と一緒に消えたはずだ。


「――ソウルシフト前に、オウカの記憶データを全て私の中にコピーしておきました。

 ――緊急的な措置のせいで一部データが欠落していた為、ミナヅキカエデの協力を得てデータの復元作業を行っていました。

 それが完了した為、私をここに送ってもらった次第です」



 消えたはずの私の記憶は、リングは大事に持っていてくれたのか。



 そっか。私は、消えずに済んだんだ。



「――やってやりました」

「ああ、最高だ、相棒」



 ポタポタと涙がこぼれ落ちる床にリングを置いて、握りこぶしをコツンと当てた。

 英雄達のサイン。健闘を祈る。そして。



「お疲れ様。ありがとう、リング」

「――また、共に歩みましょう、オウカ」

「もちろんっ!」



 チェーンを取り出し、リングを首から下げる。

 鏡の中の私は、満面の笑みを浮かべていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る