幸福は夢に、希望と絶望は現実に

如月蓮太郎

第1話

⚠︎何のとは言えませんが、もしも読者様がなんらかの恐怖症の類をお持ちの場合は大変お気を付けください。






 目が覚めると、そこにいた。


 白くて、白くて、どこまでも白くて、視界は白に染まってる。


 それから、感覚が薄い。足を地面に着いて立ってるはずなのに、足の底には何も感じない。


 暑くもなければ、寒くもなく、痛みがなければ、癒しもない。


 ただただ、そこには白がある。


 そんな場所に、僕は立っていた。


 いや、そうだな。そこには一応、白ではないものもあった。


 それは、僕だ。


 けれど、そんなの大した問題じゃない。だって、僕は白の住人ではないのだから。


 だって、僕には色がある。


 髪や脚は黒く、肌は薄い橙色──いわゆる肌色をしている。腕に見える血管は緑色をしていて、今は見えないけど、たぶん瞳や唇にも色があると思う。


 色があるってことは、生きてるって証拠だ。


 だから、僕は生きている。


 なら、色のついた生者である僕はどうしてこんな所にいるんだろう。


 ここは、本来僕のような者がいて良い場所ではない。


 周りを見渡してみても、あるのは白だけ。


 だから、僕は少し歩いてみることにした。


 こういうのを探検って呼ぶのかな。あんまりしたことがないから、ちょっとだけ緊張してきちゃった。


 けど、同時に興奮もしてきた。


 一体、この先には何があるのだろう。


 そうして、歩いた。


 歩いて、歩いて、歩いて、歩いて──歩き続けた。


 それでも、視界に映るのは白だけだった。


 まだだ。まだ足りない。もっと、もっと歩かなくちゃ。


 それから、もっと歩いた。


 歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて──歩き続けた。


 目先にあるのは、白。


 だめだ。足りない。こんなんじゃ、全然足りない。


 もっともっと歩くことにした。


 歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて──歩き続けた。


 白、白、白、白、白。


 足りない。足りない足りない足りない。だめだだめだだめだ。もっともっともっと歩かなくちゃ。


 もうどれだけ歩いたかは分からないけれど。


 この場所に、時間があるのか分からないけれど。


 今はただ、歩くんだ。


 そこで、視界に初めて、白以外のものが映った。


 ここよりも、ずっとずっと遠くに、何か黒い点のようなものがあった。


 だから、そこに行くことにしたんだ。


 歩いて、歩いて、歩いて、近づくごとに、それは形を表していって、いつしかハッキリとしたものになった。


 それは、扉だった。


 大きな大きな、黒い扉だった。


 白だらけのこの場所に、1人だけ、黒として孤独に立っていた。


 けれど、その扉にはあるべきものがなかった。


 扉を開くための把手がついていない。


 ってことは、引き戸ではなくて押し戸かな?


 そう思って扉を押してみたけど、びくともしなかった。開くどころか、倒れることさえなかった。


 ふと、そこで、扉の向こうに気配を感じた。でも、扉は開かない。


 試しに、その扉の裏側を覗いてみた。


 そしたら、そこには真っ白な人がいた。


 もっと正確にいうなら、人の形をした白い何かだった。


「こんなところで、何をしているのかな」


 急に話しかけられてしまったせいで、困惑してしまった。


 その声は、とてもかっこよくて、凛とした男の人の声だった。


「君は生者だろう? どうしてこんなところに?」


 僕が質問に答えずにいると、その人は、不思議そうな表情をした──ような気がした。


「うん? どうしたんだい?」


 僕は必死に喉を指差して、意図を伝えようとした。


「もしかして、声が出ないのかな?」


 うんうんと、首を縦に振った。


「そうか、それは残念だ。久しぶりに、子供と会話ができると思ったんだけどな」


 その人は、本当に残念そうな声で言った。


 なんだか、それを見た途端、とても嫌な気持ちになった。


「──ぁ──ぅ──」


 その人のために、頑張って声をだそうとしてみるも、か細い呻き声しか出てこなかった。


「ああ、無理をしなくていいよ」


 僕のやろうとしたことを悟ったのか、その人は僕を手で制止した。


「私のために頑張ってくれて、ありがとう」


 ううん、と言うように、僕は首を横に振った。


「ふふ、そうか……ところで」


 優しい笑い声を漏らしたのも束の間に、次の瞬間には先程のような凛とした声に戻っていた。


「君は、自分がどうしてここにいるのか、わかっているのかな?」


 僕は否定を示すために首を横に振った。


「ふむ……となると、やはり君は生者なのだろうね。もしかしたら、今の君は風前の灯火──息も絶え絶えの瀕死状態なのかもしれない」


 瀕死……ってことは、僕は死にそうってことなのかな。


「怖いかい?」


 質問の意図を理解できなくて、僕が不思議そうに首を傾げると、その人はもう一度尋ねた。


「死ぬのが、怖いかい?」


 『死』

 

 それは、終わるってことだ。


 生とは続くことであり、死とは終わることである。と、僕は勝手にそう思ってる。


 人は続くことを正義とし、終わることを悪とする。だから人々は、生き続けることを正しいことだと定め、死に絶えることを悪いことだと教え込む。


 正義なんて、誰にも決められるものではないのに。悪なんて、誰かが決めていいものではないのに。


 そうやって、勝手に決めつけて、自分が正しいと信じて疑わないんだ。


 そうやって、人は自分っていう存在を無理やり補填しながら生きていくんだ。


 斯く言う僕もそうだ。


 自分が正しいと信じて疑っていない。


 だから、もし、本当に僕の考えが正しいのだとしたら、僕は。


 死は、怖くない。


「……そうか、君は首を横に振るか」


 その人は、ほんの一瞬だけ優しく微笑むと、また一瞬で戻ってしまった。


「まぁ何はともあれ、君が生者であるというのなら、これ以上ここにいさせるわけにはいかない」


 そう言いうと、その人は横にズレるように立ち、扉に手を翳した。


 その瞬間、こちら側にもなかったはずの把手が出現した。


「さあ、この扉を潜れば、元の場所に戻れる」


 その言葉を聞いて、僕は、踵を返して歩き出した。


「無駄だ」


 その言葉通り、歩いているはずなのに、まったく前に進むことができなかった。


「逃げるな」


 …………


「逃げていては、何も変わらないぞ」


 わかってるんだ。


「いいや、わかってない。お前は何もわかってなどいない」


 本当に、わかってるんだ。


「いや、どちらかと言えば、わかろうとしていない。と言った方が適切か」


 違う。


 僕はわかってる。


「なら、どうしてお前はお前がここに来た理由を知らない?」


 それは、本当に知らないだけで……


「嘘だな。本当は覚えているはずだ。たが、お前自身の無意識がその記憶を閉じ込めているんだ」


 違う、僕は本当に知らないんだ。


「そうやって逃げるのか。現実から」


 違う、逃げてるんじゃない。


 本当に、本当に知らないんだ。


「一度逃げると、ずっと逃げ続けて、逃げることばかり上手くなって。そのうち、それ以外のことが何もできなくなるぞ」


 違う違う違う違う違う違う違う。知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない。


「はぁ……まあいいさ。どうせ、元からこうなるだろうとは思ってた」


 半分呆れたような、半分諦めたような声を出すと、そいつはもう一度扉に手を翳した。


「それじゃあな。臆病者」


 そう言った瞬間、1人でに開いた扉が僕に目掛けて飛んできて、でも、回避どころか体が全く動かなくて。


 扉に飲み込まれた。


 そうして、僕は目を覚ました。


 そこは病院だった。


 白い病室、白いベッドに白いカーテン。


 何もかもが白かった。あそこ程ではないけど。


 ベッドの横を見ると、車椅子が用意されていた。


 車椅子には、『須藤飛鳥』という札がぶら下がっている。


 2年前から愛用している、病院が用意してくれた僕専用の車椅子だ。


 僕は家に帰るために、動かない脚を引き摺るように、器用にベッドから車椅子へ乗り移った。


 そうして、僕は誰にも見つからないように裏口から車椅子を押して出て行った。


 見慣れた河川敷を車椅子を押して進む。


 ただ、見慣れているのは河川敷だけであって、そこから見える景色は、僕の見慣れているものとはかけ離れたものだった。


 あらゆる建造物が大破状態の上に黒焦げで放置され、川の水位は無いにも等しいほどに低下していた。


 でも、こんなのまだ良い方だ。


 未だに火の消えきっていない所もあれば、家を失って彷徨っている人だって沢山いる。特に小さな子供は酷いものだ。


 河川敷を降りて住宅街に入った直後だった。


 カシャカシャと音を立てながら、足元に白い、けれど所々焦げ跡が残っている何かが転がってきた。


「……すみま……せん……」


 生気の感じられない声に顔をあげると、声の主は6歳くらいの小さな男の子で、両の肩から紺色のリュックサックを背負っていた。


 どうやら、転がってきたものはリュックサックから漏れたものらしかった。


 その子は無言でそれを拾うと、一度ぎゅっと抱きしめてから、大事そうにリュックサックにしまった。


 おそらく、親のものなのだろう。こんな現状では、それを然るべき所に預けずにいる者を咎める者はもういない。


 生気を感じられない声、死人のような光のない瞳、痩せ細って今にも死んでしまいそうな体。


 最近ではこういう子をよく見かける。その容姿を見ただけで、何があったのかは一目瞭然だ。


 ふらふらとした足取りで男の子が去っていくのを見送ってから、僕もその場を去った。


 そうして、ようやく目的地に辿り着いた。


 以前は木製で貫禄のあった姿をしていたそれも、既に天井の大半が無くなり、真っ黒となっていた。


 その建造物の扉の隣には、『須藤』と書かれた札が貼られているのがギリギリ見てとれた。


 僕は車椅子に乗ったまま家に上がると中にはもうかつても面影など一切なかった。


 中はただただ黒く、焦げ臭いだけだった。


 そして、僕は母と共に過ごしたリビングに向かった。


 リビングもまた、色んな所が焼け焦げていたけれど、ここには面影があった。


 母と共に入っていた炬燵の足が一本だけ残っているし、母と共に見ていたテレビも中身を剥き出しにして半分だけそこに転がっている。


 元は窓だったはずの粉々になった沢山のガラスの破片もあれば、焼けた座布団の切れ端もある。


 こうやって改めて見てみると、意外と残っているものだなと、少しだけ感心してしまった。


 なんて、やってる場合じゃないか。


 思考を中止すると、僕は事前に用意していた、天井から吊り下げられた縄の元に近寄った。


 今の僕ではどうしても天井まで手が届かないので、かつての友人に頼んでやってもらった。


 友人が零し続けた涙の中から僕の名を呼びながら、必死に縄を付けていたのを今でも覚えている。


 僕は縄に自分の首をかけて目を閉じた。


 目を閉じれば今すぐに思い出せる、あの光景。


 いつものように、リビングで夕飯を母さんと食べていた時のことだった。


 窓の外で眩い閃光が放たれたと同時に、いち早く察知した母が僕を庇うように抱き寄せ、殺人的な爆発音が轟いたかと思うと、既に天井と壁の大半と、母と、そして僕の脚はそこにはなかった。


 ……と、これ以上考えても仕方ないか。


 もう何もかもが今更だ。


 だって、これから僕は母のところに行くのだから。


 僕もこれから、あの白の一部になるのだから。

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