13、俺はジェンスロッド・サイタマー。






 俺はジェンスロッド・サイタマー。

 侯爵家の嫡男だ。


 十六歳になり中央都の学園に入学し、充実した毎日を送っていた。

 だが、冬休みに入り領地へ帰省した際に、両親から「婚約が決まった」と一方的に告げられた。


 それがよりによって、北の公爵家の娘だと言うじゃないか!


 北の公爵家といえば暗い表情を浮かべて陰気な連中だと評判だ。

 冬は雪に覆われてしまう領地は貧しく、公爵家とはいえろくに社交にも顔を出さないような家と縁を結んだってなんの得にもならないだろう。


 親友のアルベルトに相談したら、彼も北の公爵家を良く思っておらず大層同情された。

 贈られてきた肖像画を見たが、やはり陰気な顔をした子供が描かれていた。薄い金髪とくすんだ紫の瞳、青白い肌に白いドレス姿はまるで幽鬼のようで今にも背景の闇に沈んでいきそうだ。

 こんな何の楽しみのなく生きているような女と結婚したら、人生が灰色だ。冗談じゃない。


 両親に訴えても聞く耳を持たれなかったため、俺は独断で北へと馬車を走らせた。

 直接、婚約を破棄してやろうと思った。


 だが、北の領地へ入ったところで、あまりの雪の深さに馬車が動かなくなった。

 往生しているところに、轟音が響いて道の脇の斜面から大量の雪が滑り落ちてきた。


 白い闇に埋め尽くされ、抜け出すことができず、体がどんどん冷えて力を失っていくのがわかった。


 死を覚悟して、俺は意識を失った。



 暖かい。

 凍えていた体がぬくもりを取り戻していくのを感じて、俺は目を開けた。


「目が覚めましたか?」


 女の子の声がする。溌剌とした明るい声だ。

 目を開けたのにぼんやりしていて何も見えない。俺は何度も目を瞬いた。


「起き上がれますか?」


 女の子の声が言う。ぼやけた視界に明るい金色が広がる。


「う……、きみ、は……?」

「私はホーカイド公爵家のレイシールと申します」

「え……?」


 明るい声が名乗った名前に、俺は目を丸く見開いた。


 レイシール・ホーカイド?

 それは俺の婚約者の名前だ。


 頭を振って目を一度ぎゅっと瞑ってもう一度開いた。


 蜂蜜のような色の金髪に、きらきら光る紫の瞳が真正面にあった。


 えっ?

 誰だ、この美少女?


 頬をほんのり赤く染めてにっこり微笑んだ少女が、湯気を立てるカップを差し出してくる。


「どうぞ」


 慌ててカップを受け取ろうとするが、指がうまく動かなかった。


「失礼」

「えっ……えっ?」


 カップを持てない俺に気を遣ったのか、美少女が手にしたカップを俺の口元に運んで飲むように促してきた。


 え?これ、飲んでいいのか?


 可愛い女の子がじっと見上げてくる。なんだこれ、可愛い。あの肖像画はなんだったんだ?似ても似つかないじゃないか。


 肖像画の中で白いドレスを着て陰鬱な表情で背景に沈んでいた少女は、きらきら光る瞳と金色の髪、血色のいい肌でにこにこ笑っている。可愛いし。臙脂色のドレスの上に暖かそうな上着を羽織って、なんだかもこもこしている。可愛い。


「はい、あーん。ゆっくり飲んでくださいー」


 可愛い。カップをゆっくり傾けてくれるので、俺はそれに従って飲み込んだ。甘い、とろりとした液体が喉に落ちてくる。腹の底からじんわりと暖かくなってくる。


「レイシール!そんな奴に構うな!」


 女の子をみつめながら暖かく甘い液体を飲み込んでいると、突然横から邪魔された。


「おい、サイタマー。てめぇ、いったい何しに来やがったんだ?」


 カップを奪った男が恫喝してくる。よく見ると、学園で見かけたことのある男だ。ヒョードル・ホーカイド。


 学園では物静かな男だと思ったが、今の奴は硬質な美貌を盛大に歪めて俺を睨みつけてくる。


「お兄様。ジェ……サイタマー様はきっと婚約を解消に来られたのですわ」


 女の子がにこやかに言った。

 え?


「おそらく、私の肖像画をご覧になって「こんな醜い娘が婚約者なんて冗談じゃない」と憤慨して、ご両親に黙って直接私に婚約破棄を告げにやってきたのですわ」

「なにぃぃぃぃぃっ!!」


 女の子の言葉に、ヒョードル・ホーカイドが激昂する。


 え?いや、確かにその通りなんだが、なんでこの子が知っているんだ?

 俺、まだ何も言っていないよな?


 婚約の際に贈られた肖像画を見て醜さに嫌気がさして婚約を断りに来た、なんて、まだ一言も口走っていないはずだ。

 だいたい、この子を見て間違っても「醜い」なんて言えるはずがない。可愛いし可愛いし可愛いし、弱っている俺に手ずから暖かい飲み物を飲ませてくれる優しい天使だ。


 こんな天使が俺の婚約者……


「サイタマーごとき、こっちから願い下げだ!父上!今すぐ婚約解消をーっ!!」


 天使の言葉を聞いて鬼の形相になったヒョードル・ホーカイドが部屋から走り出ていく。


「えっ、ちょっ……」


 待ってくれ。それは困る!いや、確かに婚約解消をしにきたんだけれど、ちょっと待ってくれ!


「はい、どうぞ」


 ヒョードル・ホーカイドを追いかけようとしたが、まだ体がうまく動かない。焦る俺に、さっきと同じように天使がカップを差し出してくれる。


 うう……天使が可愛すぎて身動きがとれないっ。


 ヒョードル・ホーカイドを止めなくてはいけないのに……あれ?なんで止めないといけないんだっけ?婚約を解消されるから……いや、俺は婚約を解消しに来たんだけど、あれ、でも、婚約を解消されると困る。なんで困るのか……だって、天使が。


 ぼーっとする頭で甘くて暖かい液体を飲み下し、俺はなんだか温かい幸福感に包まれたのだった。



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