第9話 ある意味での新生活

彼女が言っている意味を上手く飲み込めないものの、とりあえずリビングに通して、ソファーに向かい合うようにして座る。もちろん、スーツケースは僕が運んで邪魔にならないところに置いておいた。

「それで……どういうことです?」

「敬語なんて使わないでくださいませ、ご主人さま」

「……それでどういうことなのさ?」

ちょっと投げやりになっているのは許して欲しい。

「どうもこうも、契約に従っているまでですので」

「ここに住むの?」

「はい。もちろん、私もごくたまには大学に行きますが、基本的にはみつみ様がお帰りになられるまではこちらに住み込みで働かせて頂きます」

きっぱりと、僕の顔をまっすぐに見て断言する。

「いやでも、流石に……」

殆ど同棲ということになる。年頃の娘さんと一緒の生活とか流石に抵抗感しかない。

「そんなご主人様にみつみ様からメッセージを頂いております」

「聞きましょう」

「『進乃介にこっちの家を任せるとは言ったものの、お姉ちゃんとしては心配です。そこでソフィアちゃんになら安心してお願いできるのでこのような形にしてみました(笑)。あなたが私を心配するように、姉の私も弟のことが心配なのです。このような姉心を進乃介なら分かって頂けると思います』。とのことですので」

ぜ、絶妙にこちらが無碍にできない。流石姉さん、僕の心理を抑えている。

「……ソフィアさんは大丈夫なの?こんなおじさんと一緒は抵抗あるだろ?」

僕もまだ24歳だが、大学生からすればおじさんみたいなものだろう。

「いえ、全く。私は全然構いませんよ。お金もその分頂いておりますし」

最近の若い子はこんな感じなのだろうか。その表情は全く変わらず、真意を読み解くことはできない。本当に何も思っていない可能性もあるが、にわかには信じがたい。

「とりあえず、保留させて下さい、後で姉と話してみますので……」

毅然としたソフィアさんに対して、弱りきった僕はこう返すことしかできなかった。どっちが年上か分からないなあ。

「分かりました、ひとまず私は自分の荷物を片付けさせて頂きますので、それが終わったらおゆはんの準備をさせて頂きますね」

ソフィアさんは僕の返事も聞かずに、部屋――倉庫にしていた場所――に消えていった。

姉さんがいなくなってしまった寂しさはいつの間にか吹き飛んでいたが、そのついでに僕の心の部屋をぐちゃぐちゃに荒らす事故も発生し、もはや何が何だか分からない。何か大きな策略に流されているのではないか、そんな無意味で根拠のない陰謀論にでもすがらないと僕の平静は保てそうになかった。


◇◇◇

メイド服の女性は逃げるように新しく住むことになる部屋に侵入する。

あくまでも優雅に音を立てないようにとできる限り意識をしているようだが、本職の人が見ればその所作は付け焼き刃に過ぎないものと看破されてしまうだろう。

「うー……」

彼女はドアの前でそのまましゃがみ込む。その陶器のような肌――彼女自身はあまりに白くて不健康そうにしか見えないと気にしているようだが――は燃え上がるように一気に赤味が広がっていく。

なるほど、彼女は恥ずかしさのあまり動けなくなっているようだ。

「大丈夫かなあ」

その目には少し不安の色が見える。羞恥、不安――そして高鳴りっぱなしの心臓。進乃介と同様に彼女は彼女で平静ではなかった。

「頑張ろう……!」

両手でガッツポーズをして、あくまでも小声でここの家主に聞こえないように気合を入れている。

彼女の行動が何を意味しているのか……それはもう少し後に分かるかもしれない。

「あ、スーツケース置きっぱなし! 戻らなきゃ……でももう少し落ち着いてから出ないと顔が赤いのバレちゃう……」

少なくとも、慌てて立ったり座ったりしてわたわたするその姿に、先程までの毅然とした態度はどこにもなかった。





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