第3話 家政婦なのかメイドなのかは問題か?

目の前には美少女メイド。僕らの部屋の前。ご近所さんに見られるとあらぬ誤解を招く。

ストップした思考でもなんとかそこまでは考えることができたので、とりあえず家の中に招き入れる。二つの鍵を閉める金属製の音が妙に耳に響いて、なんだか悪事を働いているような気分になる。

「いやあ、よく来てくれましたねえ。さあさあ、とりあえずリビングへ」

みつみ姉さんはそつなく対応しているようだが、口元が若干と震えているのを見逃す僕ではないぞ。と、やっているうちに流石に多少落ち着いた。

しかし、落ち着いたところでコの字型のソファーに座るメイドという異常な光景が眼前に広がっていることには変わりない。うん、契約はなしにしようそうしよう。

鏑木かぶらぎみつみ様、鏑木進乃助様。この度は当社のサービスに申し込み頂き誠にありがとうございます。すでにメールにてお送りさせて頂きましたが、念の為紙媒体での資料も用意しておりますのでご確認下さい」

守実もりざねソフィアと名乗った彼女は黒革の大きなダレスバッグから書類の入ったファイルを取り出し、テーブルの上に乗せる。真っ白な手には行儀よく整えられた爪が並んでおり――とやけに細かな部分ばかり目に入ってくる。

「ありがとうございます。拝見致します」

そういってみつみ姉さんは書類を一枚ずつめくる。

「それでは、早速業務に入らせて頂きます。夕食の準備からとお伺いしておりますが……進乃助様、あちらのキッチンを利用する形でよろしいでしょうか?」

「あ、え、はい。よろしくお願い致します」

彼女が来てから初めての僕の発言がこれである。急に話しかけられたのでしどろもどろでも仕方ない、ということにして欲しい。

「承知致しました。それでは失礼致します」

立ち上がって優雅に一礼。そのままダレスバッグを掴むとキッチンに消えていってしまう。彼女が入室してからわずか数分のはずだが、どっと疲れてしまった。特に何が起こったわけでもない、と言いたいが年若い女性がメイド服で家に侵入しているというだけで十分異変といえよう。

「姉さん、もしかして知っていたんじゃないの?」

この姉は書類をばらばらとめくるだけで全然ちゃんと確認していないようだが、それでも僕の言葉を聞いてピタリとめくる手を止める。

「知っていたって、何が、かな?」

「そりゃあ、メ……ああいう服装の方がいらっしゃるってことだよ」

「ああ、なるほど。事前にね、知っていたわけじゃあないけど、私がインターホンに出たから、ほら、分かっていたわけですよ」

なんだかしどろもどろだけど、まあ責めているわけじゃない。全然ちょっとしたいたずらということで済ませられる程度のことだ。

「で、どうするつもりなの?」

「どうするって?」

なんのことか分からないと言わんばかりにとぼけた表情だ。

「いや、契約のことだよ。流石にこのままお願いするのも難しいでしょ」

「そんなに迷うことじゃないと思うけど。だって、少なくともいま進乃助が気にしているのって服装だけでしょ? 服装は着替えてもらえばいいし、まずは彼女の仕事ぶりを確認するのが先ね」

それに美人で悪いことなんてないでしょ、と付け加えられてしまう。ぐうの音も出ない正論だった。

「まあそうだ」

「ちゃんと。だからこそ、試験のために『家庭的な料理』をリクエストしておいたの。あえて抽象的で幅広いものだから、彼女の感性とか腕前とかを測れると思うよ」

なんというか、この姉にしては随分計算高いことをしているように思う。もっとも社会人としての姉をあまり見たことがないから、会社ではこういう振る舞いもできているのかもしれない。

「はいはい。それにしても、姉さんも随分と社会人らしくなったね」

「弟にそんなことを言われるのも嫌だけど、一応お褒めに預かり光栄です」


ちらちらと後ろを振り返りつつ、ソファーに座りながら一時間。一応テレビを付けてニュースを眺めていたものの、頭に入るはずもなかった。振り返ればアイランドキッチンの向こうに美少女メイドがばっちり見えるのだから落ち着かないに決まっている。ちなみに、すっかり日も落ちて室内灯に照らされる彼女の髪の毛はあいかわらず金色にも銀色にも見えたので、そういう色なのだろうと納得した。

姉はというと、書類を自室に持っていった後はソファーで寝っ転がりウトウトしていた。人見知りの姉だが、内弁慶なところがあるので自宅では誰がいようとリラックス

できるのかもしれない。僕なんかはたとえ自宅だろうと家族以外の見知らぬ人がいればここまでリラックスはできない。


「お待たせしました」

言葉が少なくともよく通る彼女の声はここまで届き、姉を睡眠の淵から連れ戻す。彼女の声色も表情も全くブレないが、なぜか冷たい印象を受けない。他人の家で家事なんて普通は緊張するように思うけど、さすがプロフェッショナルということなのかもしれない。さて、料理の方はそのプロフェッショナルなところを見せてくれるのか気になるところである。

「はい、ありがとうございます」

とりあえず、さっきとは異なり普通の声色で返すことができたと思う。流石に他人がいる異物感は拭えていないが、重要な商談の前のような緊張はとっくになくなっている。

この家の構造は南向きの大きな窓の側にテレビがあり、そこに向かってコの字型のソファーとテーブル配置している。さらにその後ろにダイニングテーブルとアイランドキッチンが広がっているという具合で、正直二人で暮らすにしても相当広いと思う。

そのダイニングテーブルには木製のボウルに入った色とりどりの生野菜サラダを中心にしっかりと味の染み込んだ肉じゃが、シンプルなわかめと豆腐の味噌汁、ほうれん草の胡麻和え、炊きたてのご飯。僕と姉でも料理はするが、いつも出来合いのサラダと丼物みたいな具合で、せいぜい作れるのは一品だ。ここまで立派なキッチンがあっても宝の持ち腐れ状態だったが、しっかり活用されているのを見るとなんだか感慨深い。

僕と姉は向き合っていつもの席につき、彼女にはお客様用の簡易な椅子に座ってもらった。

「へっへっへ、いただきまーす」

さっきは試験だとか息巻いていたが、そんなことはすっかり忘れているのか、みつみ姉さんは食事を楽しむことしか考えていないように見えた。まあ、確かに美味しそうだがとりあえず僕も食べてみるほかない。

「いただきます」

生野菜のサラダは洋風で他のものは和風。なんだか変な組み合わせのようにも思えるが、実家でもこういう形はよくあったことだし、栄養バランス的にもいいのだから文句なんかあるはずもない。

そういうわけでまずは肉じゃが。玉ねぎ、牛肉、じゃがいもというシンプルな組み合わせだが、見るからにじゃがいもにはしっかり味が染み込んでいる。いったいこの時間でどうやったのかと不思議に思っていると、守実さんが横から回答してくれる。

「炊飯器が二台ありましたので、そちらの肉じゃがは炊飯器で作らせていただきました」

学生時代は姉も僕も一人で暮らしていたのでそのときの名残である。

「なるほど。鍋だとよくないんでしょうか?」

「鍋で作ると短時間で味を染み込ませるのが難しいと存じます。他方、炊飯器で炊くことによって、手間なく短時間で味を染み込ませ美味しく作ることができます」

「へぇー、そうなんだ。美味しいなら手間がないほうがいいもんねえ」

ほくほくのじゃがいもを口に入れながら姉さんも会話に参加する。にっこにっこで食べており、やはり純粋に食事を楽しんでいるようにだ。

守実さんは炊飯器のメリットについて説明しつつも、僕たちにサラダをよそってくれる。説明は機械のように正確で、かつ辞書のように網羅的。聞いているだけで楽しく、またさりげない気遣いも嬉しい。

「炊飯器料理というのも面白そうです。流石、プロの方。料理もお詳しいんですね」

素直な気持ちでそう褒めたのだが、守実さんの表情は硬いままだ。

「ありがとうございます。これからも喜んでいただけるように精進致します」

「いやいや、今後の進化が楽しみね!」

なんとなく、守実さんの対応が硬い気がするので姉さんの合いの手もありがたい。


「ごちそうさまでした」

その後もなんとか会話を続けつつ、ご飯を食べ終わる。

「いやあ、美味しかった! バッチリよくできています!」

なんで若干上から目線から感想をいう姉さん。

「ありがとうございます、みつみ様。進乃助様はいかがでしたでしょうか?」

水を向けられたので、改めて今日の夕食について考える。

冷たい言い方をすれば、なんの変哲もないどこにでもあるような家庭料理。しかし、その正体はしっかり叩き上げられたであろう極めてレベルの高いベーシック。丁寧に出汁を取り、食材の一つ一つをそれぞれに適した形に切り揃えるなど僕と姉さんではこうはいかない。おそらく守実さんの生真面目な心遣いなのだろう。しかし、なぜだか分からないが、姉と僕が微妙に受け継いだ両親の料理の味を感じ、ほんの少し郷愁を覚えてしまった。同じ教本を使って勉強したのかもしれないし、自分の家にいるという状況がそうさせたのかもしれない。理由はどうあれ、素直な気持ちでまた食べたいと思ってしまった。

「とても美味しかったです。ごちそうさまでした。また今度もよろしくお願いします」

そう告げてペコリと頭を下げる。先程まで考えていた「この契約を解消するのかどうか」について……結論は言うまでもない。

「はい、ありがとうございます。引き続きどうぞよろしくお願い致しますね」

先程までの硬い雰囲気を取れて、守実さんはここに来てから初めて笑った。大輪のひまわりのようなものではないが、森の中に差し込む木漏れ日のような暖かな微笑だった。こちらについても……感想は言うまでもない。

そういうわけで、我が家には家政婦さんが定期的に来ることになった。


「ところでソフィアちゃんは家政婦さんなの、メイドさんなの?」

「それって今聞くことかな、姉さん」


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