足踏

 彼氏と喧嘩した。キッカケは些細で、いつもの小競り合いの延長だった。

 ただ、私が余計なことを言った。人にはいくら仲良くなっても触れてはいけない部分がある、いや、仲が良いからこそ触れられない禁域がある。親しき仲にも礼儀ありとはよく言ったものだ。

 一昨日揉めて、昨日仲直りした。電話越しでの謝罪ではあったが、明日会ってくれるという。向こうは向こうで非があると思っていたらしい。

 ……率直に言って、怖かった。電話を掛けて、着信音が三回鳴った頃には血の管に穴が空きそうなほど心臓が早鐘を打っていた。四回目、かけ直そうかと考えた瞬間に彼は出た。落ち着いた向こうに対して、こちらの第一声はさぞ腑抜けたものだったのだろう。

 明日、改めて謝ろう、そう誓って電話を切った。アポイントは勿論口頭で取り付けた。そして今、ぼんやりと暗くなった携帯の画面を見つめている。楽しかった思い出の写真がふっと消え、自分の情けない顔が映り込んだ。

 ああ、もしかしたら、あの瞬間、全て無くしていたかもしれないのか。

 扇風機の回る音だけが聞こえる部屋の中で、先程まで恐れていたもしもが口を衝いて出る。口に出すと、言葉は脳内に想起を促すらしい。陰鬱になりそうで、徐ろにイヤホンを両耳へと突っ込んだ。やたら古臭い篭ったギターの音が鼓膜を突き抜けて消えてゆく。

 一頻りが止み落ち着いたところで、彼氏に連絡を入れる。

「やっぱ今から会えない?」午後八時。

「今からバイトだっつってんだろ」午後八時十分。

 そこから先は人生で一番長い夜だった。

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