POLYHEDRA/PERSONA/BIAS/ARTISM

 人を、多面体のように感じる時がある。

 それぞれの面に顔が描かれていて、その多面体は簡単に転がり、すぐ別の顔を覗かせる。それは時折、見せる相手によっても転がってゆく。

 人は面を着けているのかもしれない、と感じる時がある。

 心という部屋の、その壁一面に飾られた仮面を、幾つか選んで持ち運ぶ。それはそれは華麗な手捌きで、途切れることなく取り替えてゆく。目にも留まらぬ名人芸。誰しもが持つ超絶技巧。

 しかしそいつも化けの皮、剥いでしまえば水の泡。

 外してしまえば素性が明かされ、知りたくもなかった現実に打ちひしがれる、なんてこともしばしば。しかしこの世は残酷で、床にぶちまけた水が盆に返るなんてそんな都合の良いことは起こらない。それでも知りたくなるのが人間たる所以なのか。人はどうやら、それが取り返しのつかないことになると本能で悟ったとしても、己の興味を優先してしまうきらいがあるらしい。困ったものだ。

 人の本質は簡単に変質する、とも思う。その光は誰かの偏光板を潜り抜ける頃に別の色を放っている。直射日光を浴びて平然としていられる人間なんて極々僅か、居たとして、無条件で他人の感情を受け容れる者の感性など、鈍っているとしか考えられない。そうやって色眼鏡を通したときに、時に一層眩しく感じる者もいるだろう。虹色へと変質する者もいるだろう。しかし所詮は相対的感情論。暗所にいれば眩しさは毒となり、目が眩むような光の中にいれば闇など目に付かない。

 ……完全な相互理解など、結局は夢物語なのだろう。

 異質な物を理解出来ない馬鹿ばかりだから、二千年を遥かに超す間に世界しゃかいが回っているのだ。一丁前に神様面して、少しばかりの寂寥を嘆くから、この世に芸術という物が存在するのである。そういう意味では、この世は良いとは思わないが、そう悪いことばかりでもないのだろう。やはり単なる善悪で物事を割り振るなど言語道断で愚の骨頂なのだろうか。やはり神様面して、そんなことを考えている。

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