─ いつもの日

集落はきひの中腹にある。二十ほどの家が点々と建ち、木々が低く見晴らしがいいのでどこからでも人をみつけられる。だから、ここから抜け出せたものはだれもいなかった。痩せた土地で岩がゴロゴロとしているため作物はろくに育たない。

住む場所としては荒涼とし薄暗く、人を捉える牢獄にしては明るい、そんな集落にゆきは生きている。


「ゆき、じいさまが呼んでる」

「はあい、すぐ行きます」

学校から帰るやいなや母に呼び止められた。ゆきはみななを部屋に連れて行き、布団の上に降ろすと慌てて外に飛び出た。

じいさまは集落の中央、広場(ただっ広いだけの荒れ地)で何人かの青年に囲まれていた。

「じいさま、今帰りました」

「無駄なことをいつまで続ける気だ。ばかもんが」

おかえりは、母にもじいさまにも言われない。いつものことだった。ゆきたちが学校に通うのをよく思っている者はいない。集落の子供だってゆきをばかだ、無駄だとあざ笑った。ゆきはみななが一番だから何を言われたってどうでもいいが、じいさまが面倒事を押し付けてくるのだけは嫌だった。

「肉がたりん、今日は”あまや”の娘の誕生日じゃろう。鹿かイノシシでも取れればいいが」

もう日が傾く。と、誰も言わなかった。日が暮れて山に入るなど死と同意義だとみな知っているが、ゆきなら平気だと皆知っているからだ。

「ゆき、お前のわがままを誰が聞いてると思っとるんじゃ?みんな迷惑しとるのにおまえときたら。母も母だがのお、あのあばずれがお前らなんぞうまなけれりゃなあ。はあ、何をしたらいいかわかるだろう」

「はい。とってきます」

そんな毎回いやみったらしく言われたら嫌でもわかる。じいさまは物忘れがおおいから言わないと気がすまないのだろうが。時間の無駄だなあと毎回思っている。

(みななをかまってあげたかったのに)

ゆきはさっさと行こうとじいさまに礼をして駆け出した。その背に男たちが声を投げた。

「おおい、おれの娘のも頼むわ」

「いないあいだ、おっかさんはまかせろお」

げらげらと笑い声が後ろから上がる。ゆきはもう何も感じない。いつものことに腹をたてることも、面倒だった。



ゆきは山が好きだ。朝露に濡れる草や、夕に激しく吹き付ける風、夜に揺れる木々の擦れる音。生まれたときからゆきはそれらとともに生きてきた、

だから夜山を恐れる人のことがいまいちピンと来ないでいる。ゆきたちは山に生かされているというのに、なにが怖いんだろう。

クマも狼も、所詮はゆきとおなじ山に寄生する生き物だ。

ゆきは空を見上げた。月がポッカリと浮いている。そのおかげであたりは明るく木々の影がよくみえた。

その奥にいるのは、クマだった。

(お前も月を見上げているんだなあ)

きれいだものね。わかるよ。



「うさぎ、とってきたのねえ」

母が困った声を上げた。

「ゆきが捌く」

「クマとったって、あまやさんが言っとったけど」

「あまやさんの娘にやったよ。あとはみんなに」

「でもうさぎはじいさまに言わなかったでしょう?だめよ勝手にとっちゃあ」

言ったら取り上げられるだろう。ゆきは言葉を飲み込んだ。臆病な母はゆきが勝手をするとすぐ狼狽える。けれどゆきがそうしなければこの家はずっと草をかじって暮らすことになると、母はわかっているのだろうか。

ゆきは兎の皮をむき、肉を叩いた。血抜きは帰り際にしたからきれいに剥けた。母に渡すと、やはり困った顔をしたが、結局鍋汁にすることになった。


母が麦飯をまぜている間に、ゆきはみななの部屋にむかえに行った。

「みなな、ご飯だよ。今日はウサギ肉だよ」

みななはゆきが降ろしたときと同じ格好でぼうっとしていた。だれもこの部屋に来なかったのだ。

「いっぱい食べるんだよ。みななはちっちゃいからね」

ゆきはみななを抱きあげ、囲炉裏に向かう。ちょうど母が鍋からうさぎ汁をよそっていた。

「はい、ゆき」

母が渡すお椀はひとつだけ。置かれた飯もひとつだけ。みななのものはない。

「みなな、あーんして」

母は、何も言わず自分の飯を食べている。みななは寄せられた匙から汁をすすった。うまく飲み込めなくて、口のはしからだらだらとこぼれていくのをゆきは自分のそでで拭う。次は麦飯だ。

「みなな、おいしい?」

「にいい、いい、おい、おおち」

ゆきはにこと笑いかけた。みななも笑うと、麦飯がぼとぼと溢れる。母が乱暴にお椀をおいた。がちゃん、と音が響いてみななが身をすくませる。ゆきはみななを抱きしめた。

「おいしいね、みなな。母さんの飯はおいしいねえ。もっとお食べね」

ゆきがあやすと、母が言う「ゆき、はやく食べちゃいなさい」

「みななが食べた後ね」

返事はなかった。


ゆきは集落のことが嫌いじゃない。

結局、じいさまも母もここから出られないだけなのだ。威張り散らしているじいさまだってそのうち捨てられて狼に食われる。みんなの犠牲になってる母だって年をとればお払い箱だ。夜に山を這い回るゆきにはだれも敵わない。

だからみななが生きている。

変なバランスでこの集落はずっとあり続けている。



(この均衡を崩した先に、みななの未来があるなら、何も惜しくはない)

ゆきの命だって。


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