限界集落少年、都会へ行く
@kaumeu
第1話 ゆき
ゆきは山で生まれ、山で死んでいく。
ここ出ることはないとゆきは小さいころからわかっていた。ゆきは山の中にひっそりとある集落が嫌いではないが、この集落のすべてが自分にまとわりついて離さないのだと諦めてもいた。
頑固なばあさま、怒鳴るじいさま。痩せた土地は実りが少なく、草木は地を這うよう。臆病な母、ちいさくてかわいいだけの妹。ゆきは彼らのために薪をひろい、鹿を狩り、自分を殺す。それでいいのだろう。いいのだろう。ゆきは山を見上げた。山は何も言わずただそこにある。彼らは皆、この山にこうべをたれて生きていく。
■
ゆきは痩せぎすの少年だった。同じ十三歳の少年たちの中では頭がひとつ飛び出るものの、背ばかりがひょろひょろと伸び、肉は一向につかない。着物はつぎはぎのボロで、靴だって壊れてつま先から砂利が入ってくる。たんぼのかかしのようだと同級生から笑われたが、そのあだ名が定着することはなかった。
骨ばかりの足でふたつ向こうの山から毎朝中等学校に通い、毎夕に帰っていく。ゆきは妹と共に村の学校に来るが、妹のみななは小さく言葉もままならない年なのでいつもゆきが背負っていた。重さを物ともせず、獣しか通らない山道を獣より速くかけていく痩身を、同級生はみな恐ろしく思っていた。
田舎の学校とはいえせいぜい一山向こうからかようものが多い中、ゆきたちだけは山のまた山奥から通う。だれもその山に入ったことはない。
ゆきがおりてくる山は1つ目は十鎮山、奥の2つ目はきひさんと呼ばれ、麓の村からは「十鎮さまはいいかみさま、きひさまは恐ろしいかみさま」と信仰されている。十鎮は山の幸がよく取れるが、きひさんは狼ばかりで十鎮の鹿を食ってしまう。きひさんの集落に住む人間もまたおなじだと村の人は信じていた。
そんな集落からなぜゆきが通っているのか、どうやって狼をかきわけているのか、知っている人はだれもいない。だれも尋ねようともしない、
だからゆきはいつも教室でひとりだった。
ごうごうと地響きのような、空気が震えているような音が教室を揺らした。おんぼろの木造校舎がみしみしとなっていても、その音にかき消されてしまっただろう。
「見ろよ!特級飛行艇だ!」
「飛空艇はじめて見るよお!でっかーい」
「ほんとうだあ。こんな山奥になんのようだろうね」
子どもたちが窓から空を見上げてははしゃいでいる。音に負けないよう叫んでいたから、ゆきにも聞こえた。騒音はどうやら飛行艇のものらしい。
ゆきも飛空艇が見たかったけれど、同級生のなかに入っていく勇気もなくひとりで本を読んでいた。ゆきは小説の頁を戻した。ちょうど、兵士の主人公が戦地へ赴く場面に飛空艇が出てきたのだ。鋼鉄の船は鋲の打たれた棺桶のようだと主人公は重苦しく乗り込んでいくが、山奥の生徒には叡智のつまった風船だ。なぜ浮いているのかも、どうしてあるのかも知らない彼らは憧れとともに空を見る。
「きまってんだろ、機甲兵の士人をスカウトしに来たんだ」
「特級でえ?第三級だっていいじゃない」
「てか士人がこっからでるかよ」
「俺!俺!」
「はいはい」
クラスで一番いい着物を着た少年が手を上げた。まわりはうんざりした様子で「お前は卒業したら帝都いくだろうが」と言う。
「いいよなあ、金持ちは。俺たちは一生この田舎で石ほって暮らすんだぜ」
「あーまじでスカウトしに来ねえかなあ」
そうしてだべっていると次第に音は遠ざかっていく。騒音のあとの静けさ特有のきいんとした耳鳴りにゆきが耐えていると、生徒もばらばらと席にもどってきた。
「ま、帝都のことなんて俺たちにゃ関係ないけどな」
ゆきは内心でうなずいた。どうせゆきもこの山で死んでいく。飛空艇は結局見ることのないままだったが、それで良かったのだろう。そんなものにこがれたって無意味なのだから。みたい、みたいと音の間ずっと騒いでいたゆきの心は、すっと虚しく静まり返る。
音飛びしたチャイムが鳴る。それが学校中の生徒を現実に戻したのだった。
放課後も教室は飛空艇の話で持ちきりだった。帝都ではひっきりなしに艇が行き交うと言うが田舎ではそんなものが話の種になる。
ゆきはだれにもさようならと言われないまま教室を出た。みんな話に夢中だからじゃない、いつものことだった。
校舎から飛び出すと、まず商店に向かう。母から醤油を頼まれていた。店主から投げるように渡されたそれを鞄にしまい、お辞儀をして急いで出る。ゆきに物を売ってくれる店はここしかない、長居して迷惑をかけてははここにも来れなくなってしまう。
村のなかを通ると石を投げられたが、当たることはない。ゆきのあしは誰よりも速くかけていく。
「先生、みななはいますかあ」
妹のみななを迎えに保育所に寄ると、みななは端っこの方でじっとうずくまっていた。5歳になるみななは他の子供よりも小さく、動きもおぼつかない。みんながきゃっきゃと走り回る中、じいっと指を加えて空を見ているばかりだった。ようやく言葉をおぼえはじめたばかりだけれど、保育所のだれもみななの言葉を聞いたことがない。ゆきは何も言われないまま勝手に上がり、みななをもちあげた。
「みなな、くっくはどうしたの?」
靴がどちらともなかった。あたりを見渡したけれど、ボロの靴はどこにも見当たらない。みななはぼうっと空を見ていた。
「先生、みななの靴はどうしましたか」
若い先生に尋ねたが、びくりと肩を震わせるばかりで、何も言わなかった。「せんせい」もう一度ゆきが尋ねると、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝られてしまった。
ゆきはため息を吐く。
「先生たち、ゆきはみななが無事ならいいんですよ。何かあっても責めません」
影で隠れている大人たちにも聞こえるよう声を張り上げた。
「でも、みななになにかあったら、絶対にゆるしません。靴ならいいんです、靴ならね」
ねえ先生。うずくまって震え始めたせんせいに諭すように言う。
「これからもみななをお願いしますね」
一つ山をこえ、ふたつ山をこえる。山肌がなだらかで緑豊かな十鎮にくらべ、きひさんは岩が向きだしでごつごつしている。ゆきにとっては岩を飛び越えていけるぶん、きひさんのほうが速く通る事ができて楽だった。後ろにみななを背負い、肩掛けかばんには醤油瓶が。今日は岩で醤油瓶が割れないよう少し慎重だったが、やぎや鹿よりもはやく、軽く、ゆきは山を飛び越えていく。
みななは「にい、にいい、に」と楽しそうに笑った。ゆきも振り返ってはみななに笑いかける。
ゆきはみなながいればそれで良かった。学校だってみななのために行っているようなもので、本当ならゆきには必要のないところだ。
ゆきは山で生き山で死ぬのだから、街など必要ない。けれどみななはちがう。かわいいだけのみななはきびしい集落では生きていけない。きっと10を過ぎて子供が産めないとわかれば、ばあさまに捨てられてしまう。みななの生きる道は街だけだとゆきはわかっていた。
ちいさくてかわいいだけのみなな。世界でゆきを必要としてくれる唯一の妹。みななの無邪気な「にいに」だけでゆきは毎朝毎夕の山越えだって辛くはなかった。
きひさんの頂上をくだり半ばほどにゆきたちの住む集落がある。いつもは山の側面を迂回して行くのだが、今日は頂上に行こうとゆきはおもった。
きひは高い山だから、飛空艇が見れるかもしれない。断ち切れない未練をすこし情けなく思うが、遠目で見るだけならいいだろうとゆきは言い聞かせた。一回だけ、一回だけ見たら、それでいい。それであとは元通りだ。
そうだ、みななに見せてやろう。あれにのってお前は生き延びるのだよ、と言うのだ。
ゆきはどきどきしながらてっぺんに登っていく。見えたらどうしようか。小説の中でしか知らない鉄の船を見て、ゆきの世界は変わってしまうだろうか。こんなものかと憧れを吹き飛ばしてしまうのだろうか
木がなく開けた頂上にゆきは躍り出る。岩をつたえばあっという間だった
周りの山々を見下ろすほどたかいきひさんは、空がいっとう広く青く見える。白い雲が流れ、ゆきは身を乗り出し空に黒い点を探した。
「おおーーい!少年!」
けれど空にあるのは鳥ばかりで、鋼鉄の塊はみあたらない。だみ声は聞こえてくるが。
「ねえ!聞いて!少年さま!お願いします!」
ゆきはしかたなく声が聞こえた下を見た。そこにはなんとまあ奇跡というか、崖から生えた木にスーツの襟をひっかけている男がいた。ぶらさがってはいるが今にも落ちそうだ。
「ああ!ほんっっと神様!少年さま!助けてください!」
ゆきは少し悩んだ。というのも、この山に入ってくる人間が本当に人間なのかわからないからだ。はじめ聞こえた声だってゆきの幻聴とながしたのもそのためだ。
集落の掟で山(集落で言う山はすべてきひさんのことをいう)にいるモノに関わってはいけないというものがある。
「あれ!?ねえ!?うそでしょ聞こえてますよね!!見てこの窮地!見たとおりなんですよ!!」
男が声を張り上げて喚くから体も揺れ、木も揺れた。
「あんぎゃあ!少年!大人よんできてください一刻も早くお願いしますおとなしくしてるのでほんとうに」
急におとなしくなった男はぶつぶつとこぼし始めた。祈るように、けれどその声はぞっとするほど平坦として谷底に落ちていく。
「ああ死んでもいいって思ってたけど、おもってたけどこんなん違う、違う。まだ死ねない。死にたくない。まだ」
ゆきは飛び降りた。まったくの衝動だった。岩をつかみ、放しを繰り返して男のそばまで来た。片手で崖にぶら下がるゆきをみて、男は目を丸くしていた。たぶん背負ったみななと目があったのだろう。
「え、ええ?」
「動かないでくださいね、死にたくないんでしょう」
ゆきは手早く男を木から外し、横で抱えると崖を登りはじめる。男は重かったが、じゃまになるほどではない「い、いやあああ!えっ、う、うそおおお」前言撤回。うるさくて揺れてものすごく邪魔だった。みなながむずがったらどうしてくれるのか。
「落としますよ」
「あ、はい。だまりますぅ」
静かになった男にゆきは登りながら、これからどうしようか考えていた。きっとばあさまには怒られる、じいさまには殴られる。けれど、あの声を聞いてしまったゆきには、こうするしかなかった。「死にたくない」真っ平らでなんの感情もない声は、ゆきの心と同じ響きだった。「ここで死ぬ」と「死にたくない」がおなじなんてゆきには不思議で奇妙なことに思えたのだ。
「し、しぬかと…」
地に足をつけた男はそのままへたり込んでしまった。もう精魂尽きたといわんばかりに憔悴している。かと思いきやがばりと起き上がってゆきの足にすがりついてきた。忙しない男である。
「ありがとう〰少年〰!」
「なぜこの山に?立ち入るのも難しいでしょう」
「あ、ああー。いや、その、うへへ」
男はぼりぼりと頭をかいた。いうつもりはないのだろうとゆきにもわかった。
「えっと、僕の名前は宇津乃木といいますう。長いでしょう?だからみんな宇津って呼ぶの、ウズ。まあ好きによんでね」
うずのぎ?ゆきにはこの名前が長いとは思わないが都会の人はそう感じるのかもしれない。
宇津乃木は明らかに都会の人間だった。年は二十後半と若いのに、ここいらでは村長だって着たことのないスーツに薄い眼鏡をかけている。よれよれだったがそれがまた男に似合っていた。褒め言葉ではない。髪はぼさっとしているが、なんとなく顔も垢抜けてみえるから都会というのは不思議だ。
なぜ山にいるのか、ゆきには皆目検討もつかなかった。胡散臭い男だなあ。ゆきはちょっと助けたことを後悔したくらいだ。本当にあの声をだしたのだろうか。やはりゆきの幻聴かもしれない。
「ゆき」
「君の名前?」
「そう、ゆき。漢字はないゆきです。こっちは妹のみなな」
「ゆきくん!みななちゃん!いやあ恩人様神様ゆきさま!厚かましいとは存じますがついでに村まで送ってってくださいお願いしますう。このとおり」
「!顔を上げてください!そんなことしないで」
土下座をした宇津乃木にゆきは焦った。ゆき相手にそんなことをする大人は見たことがなかった。
「それに村には送れません。もう日が落ちます。山をこえ村に行くにはとても」
「え、ええーじゃあゆきたちはどうするの?」
なれなれしいな。それとも都会の人はみんなこうなんだろうか。へらっと笑う男にゆきはちょっと引きながら答えた。
「この山をすこし下ったところに集落があります。でも・・・」
「止まる場所がない?いいよいいよ、雨風しのげればそれでさあ」
「いえ、最低殺されるかも」
「死!!??」
宇津乃木が叫んでいる間にも日はどんどんと落ちてくる。青かった空は茜色に染まり、じきに日が落ちる。獣たちが起き上がる時間に、宇津乃木の命はないだろう。
「ここにいても死にますが、どうしますか」
「え、ダイ・オア・ダイ?」
「外来語は不得手ですごめんなさい」
「こっちこそごめんね?君の集落でおねがいします」
「棒で殴られますよ?」
「ば、蛮族〰。そうならないようがんばるね」
ぐっと拳をにぎる宇津乃木に、ひょっとしたらとゆきは思った。宇津乃木は不思議と力の抜ける男で、ばあさまの警戒心も解けるかも、と。
そんなことはないかもしれない。男たちによってたかって殴られて、ぐちゃぐちゃになって山に投げられ狼の肉になるのかもしれない。ゆきも宇津乃木と同じ肉になるのかもしれない。それでも。
「案内します。おぶりますからしっかり捕まってくださいね」
「いいのお?てか無理だって、みななちゃんもいるし、ゆきは細すぎるし僕はけっこう重いよお」
「背、高いですものね。でも大丈夫ですよ。ゆきは雄クマを担げますから」
「……そっかあ」
みななを前にだっこして背中を開ける。みななはずっとおとなしかったが、ついに寝てしまったようだ。
空いた背中に素直におぶられた宇津乃木は足を地につけないよう不格好な形になってしまった。さっき片腕にかついだときも思ったのだが、宇津乃木は細いように見えてけっこうな筋肉がついていた。ゆきとは大違いだ。
前と背中にぬくもりと重みを感じながらゆきは山を降りる。
ゆきはドキドキしていた。いつもと違う重みに疲れたのではない、宇津乃木のどきどきがうつったのでもない。産まれて初めてゆきは集落に逆らう。その高揚と恐ろしさに胸が早くなる。
(みなな、みなな!ようやくだよ、ようやくお前を外に出してやれる!)
そうしてこの男がゆきを変えるのだ。それは予感であり確信だった。見たことのない男、ありえない男。もたらされる災い、こんなこともう一生ありえないのなら、後悔したくない。
ゆきは山で生まれ山で死ぬ。それならせめて諦観のなかで”死にたくはない”。
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