第8話


 裸電球に照らされたテント掛けの店も後片付けをはじめていた。隆三はキャンプファイヤーが行われる広場の方に足を向けた。

 その広場は普段はサッカーや野球に使われる場所のようだった。広場の中央には、高さ三メートルほどの、四角い薪の櫓が立っていた。広場に入る手前脇に前夜祭の世話をする地元の人たちが詰めている小屋があった。隆三は明かりに引かれるようにその小屋に向かった。小屋の側に焚き火があり、火の上に掛けられた金網には、焼酎の入った竹筒が二、三本置いてあった。小屋を覗くと、蛍光灯に照らされたコンクリートの土間には焼酎の一升瓶がたくさん並んでいた。「カッポ酒」用の焼酎だ。隆三は小屋の中に入った。壁際で三人の男が話をしていた。隆三は挨拶をして、「ちょっと見せて下さい」と声をかけ、床にしゃがんで置いてある焼酎のラベルを見始めた。焼酎の種類は雑多だった。隆三は自分の好む芋焼酎を物色した。これと思うものを見つけると、傍にあった竹の酒器に注いだ。中高年の三人の男たちは黙って隆三の振る舞いを見ていた。隆三は男たちに会釈をして、酒器を持って外に出た。

 夜空を見上げると、星がたくさん煌めいていた。自宅の庭から見上げる星とは、数も大きさも明るさも異なっていた。それは大気の澄明を実感させた。

 広場と集送センターとを区切る壊れかけた木柵があり、それを背にしてベンチが並べられていた。その周辺にファイヤーを見ようとする人々が集まり始めていた。隆三はベンチがある方向に歩きながら、焼酎を一口飲んだ。登山用のヤッケを着ているのだが冷気が感じられた。ベンチに座ろうと思って近づいて行くと、平井と三木が並んで座っているのが見えた。ここでも一緒かと隆三は苦笑を浮かべ、一瞬迷ったが、かまうものかと近づいて、

「今晩わ」

 と声をかけた。見上げる平井の顔に、

「いつも一緒ですね」

 と、言うと、

「おじいちゃんの相手をよくしてくれます」

 と平井は応じて、三木の顔を見てニヤリと笑った。三木も笑顔を返したが何も言わなかった。彼女はかなり酔っているようで目が細くなっていた。二人とも隆三と同じ竹の酒器を持っていた。

「飲んでます?」

 と隆三が訊くと、平井は酒器を上げ、

「さすが本場だけあってうまいね」

 と答えた。そして、

「こっちは日本酒の方がいいらしい」

 と三木を見た。

「日本酒、ありました? 」

 と隆三が尋ねると、

「詰め所のおじさんに訊いたら出してくれたのよ」

 と三木は隆三が寄ってきた小屋の方を指差して答えた。

「さすが」

 と隆三は笑って頷いた。

 三木はスキーや登山用具を売る店に勤めていた。商売柄、登山とは縁が深く、日本アルプスを含めて山行の経験も豊富で、隆三夫婦は山に必要な品物を買う時は、専ら彼女に選択を委ねていた。アルコールが好きで、特に日本酒を好んだ。そこが隆三の妻頼子と共通していて、二人は気が合うようだった。

 平井とは初対面だったが、登山歴は相当なもののようだった。温泉館の浴槽の中で、隆三は平井と話を交わしたのだが、彼は七十歳になった記念に南極に行ったという。その船の中で知り合った人が日本山岳会の現会長だという。当時はそんな肩書きはなかったので、単なる同行者に過ぎなかったが、会長に就任して、ああ、あの時のあの人が、ということになったらしい。七十五歳の時にはキリマンジャロに登ったという。保険会社に定年まで勤め、定年後も嘱託として事故調査の仕事をしたらしい。保険金詐欺とも何度か遭遇したという。バスの中でも山中でも冗談を言って人をよく笑わせ、「伝さん」と呼ばれて親しまれているのだった。平井の洒脱な人柄は、三木と二人で居ても、そこに余人を寄せつけないような雰囲気は醸さなかった。それが三木にとってもまた、一緒にいることに気安さを覚えさせているのだった。

 青竹の筒を抱えた地元の人が焼酎を注ぎに来た。それを酒器に受けて、隆三は星空を陶然と仰いでいる二人から離れた。

 確かによい晩だった。山行がもたらす幸福な時間の一つに違いなかった。あの二人のように日常を離れて酔えばいいのだった。そしてそれをこそ隆三は求めて参加したのだった。しかし松山の件を抱えている隆三にはそれは叶わなかった。彼には一つでも気になることがあると寛げない性癖があった。殊に、自分が楽しもう、寛ごうと思っている時に気になる嫌なことがあると、それが心中で拡大して、二進も三進もいかない状態に彼を追い詰めるのだった。彼も年を取って、自分の性癖とつき合う術を心得てはきていた。それで今回の山行も何とかここまでやり過ごしてきたのだ。だが電話を入れる予定の時刻が迫り、一方では楽しむべき時間のただなかにいる今、酔うに酔えない内的葛藤の持続が次第に耐え難くなっていた。この程度のことでこれほど追い詰められるとは、これからの人生はどうなることかと隆三は思った。生きる喜びなど味わえないのではないかと危惧した。彼は暗澹とした気分のなかで、自分の生命力の衰弱を感じた。

 ファイヤーに点火する時が近づいたようで、人々が薪の櫓の周りに輪を作った。その輪の間から、伊奘諾いざなぎのみこと伊奘冉いざなみのみことの白衣の扮装をした若い男女が手をつないで現れた。男は片手に点火用のトーチを持っていた。二人は手を握り合ったまま、薪の周囲を二回廻った後、立ち並んで、点火した。ガソリンでも掛けられているのか、薪にはすぐ火がついた。見物人から拍手が起きた。白煙が櫓の上から立ち昇った。やがて櫓の中心を駆け上った炎が頂から閃き出た。パチパチと音がして、丸太や板材、竹などを組み上げた薪は勢いよく燃え始めた。隆三は酒器を傾けながら、炎を見つめた。熱気が頬を熱くした。炎の先から火の粉が噴き上がっていた。火の粉は闇の中に舞い上がり、クルクルと旋回した。隆三はその動きに惹きつけられ、首から下げているカメラを構えた。ファインダーを覗いてズームアップすると、旋回する火の粉の輝線が視野に広がった。闇の中に噴き上げられ、それぞれの軌跡を描いて消えていく火の粉たち。はかないとは言え、消えるまでは懸命に燃える。燃えることが本性の炎の分身なのであった。隆三には火の粉の一つ一つが人間のように思われた。

 火の粉を見つめて少し元気になった隆三は宿舎の公民館に戻ろうと思った。戻って松山の家に電話を入れるつもりだった。公衆電話は公民館にしかなかった。携帯電話を持たない隆三は三木からでも借りようかとも思ったが、事情を説明する煩を思ってやめた。それに松山の家に電話を入れるのは時刻が遅くなればなるほどいいのだった。これ以上引き延ばすことが心理的にできなくなっている隆三にとって、公民館まで歩いていく時間はその引き延ばしに相当した。

 公民館の玄関に入ると、広間ではすでに交流会が始まっているのが見えた。隆三は土間にある公衆電話の受話器を取り、百円玉を入れた。これであいつがちゃんと家に居れば、俺も気掛りから解放されるのだ、と思いながら番号をプッシュした。コール音が繰り返される。誰も出ない。隆三は舌打ちした。ディスプレイの時間表示で三十秒が過ぎた。表示されている電話番号に間違いはなかった。その液晶の数字を眺めながら、まだ解放は来ないんだな、と隆三は思った。三回掛け直した。電話を入れると言っておいたのに親も出ないのが不可解だった。番号自体が間違っているのかとも思ったが、見ているメモは松山の家で書き記したそのものだった。最後の一回は二分ほど待って、隆三はむなしい気持ちで受話器を置いた。どうしようかと彼は思った。もう電話ははしたくなかった。松山の事は忘れていたかった。彼は既に酔っていたし、これから交流会にも出るのだった。もういいだろう、という気がした。

 広間には長机が並べられ、その上に巻き寿司や稲荷寿司が入った盆や、唐揚げ、玉子焼など総菜の入った盆が置かれ、紙の皿とコップが配られていた。既に人々は飲食を始めており、隆三は遅れた形になった。席は地域ごとになっていたが、時が経つと、他地域の人を交えた輪があちらこちらと出来始めた。九州だけでなく、少数だが関東、関西から来たグループもあり、五十名を越す交流会となった。せっかく練習した炭坑節だが、披露する機会もスペースもなかった。

 隆三たちの輪で中心になっていたのは、宮崎の登山会の人々を乗せてきたマイクロバスの運転手で、二十一歳の青年だった。バス会社の社名入りの青いブレザーを着た、大柄で坊主頭の青年は、色白の頬を酒で紅潮させ、盛んにしゃべっていた。主に彼の相手をしていたのは登山会の役員らしい年配の男で、二人のやり取りが周囲を沸かせていた。青年は運転手として会の山行に参加してきた経験から、会についての感想や疑問を語っているようだった。バスの出発時間がよく変わるという登山会の時間的なルーズさへの批判もあった。しかし、目が細く豊頬のその顔は終始穏やかな笑顔だった。相手をしているゴマ塩の髪を角刈りにした男は、青年の言い分に反論しながら、青年がやった失敗を誇張して言い、からかうのだった。青年は体を揺らし、頭を振りながら男の言葉を否定するのだが、その時も笑顔は絶やさなかった。青年は津軽三味線を弾いた。月に一回、居住地域で無料コンサートを開くという。人気者のようだった。若い女性ファンもいるようで、角刈りの男はそのことでも青年を露骨な言葉でからかった。青年は細い目をさらに細める笑顔でひたすら否定した。青年の方言丸出しの語り、からかわれても消えない無邪気な笑顔、物言いにこもる年長者への敬意に、隆三はこの土地の純朴さを確認する思いがした。

 十時で消灯・就寝の予定だったが、宴席を片付け、各自が寝袋に入った時は十時半になっていた。明日は祖母山に登ると思うと隆三は少し緊張した。十分体を休ませて置かなければと思った。しかし寝袋に入った彼はすぐには寝付かれなかった。今日一日のことを思い返した。せっかくここまで来たのに十分楽しんでいないという思いが胸を噛んだ。松山の件に結着がつかなかったことがやはり心に重く、忌々しかった。眠れないまましばらくして、尿意を覚えた隆三は起き上がった。便所のついでに松山の家にもう一度電話を入れようと思った。十一時に近い時刻だった。悪いかなと思ったが、気持ちは治まらなかった。廊下の常夜灯の弱い光を頼りに玄関の土間に下りて受話器を取った。コール音が空しく繰り返されるだけで、やはり誰も出なかった。何かあったのかなと彼は思った。とうとうこの件を引きずったまま一日が終ったと思い、隆三は吐息をついた。

 翌朝、朝日は射したが、空には雲が多かった。しかし雨になるほどではなく、晴れたり曇ったりという天候のようだった。隆三は心の晴れない朝を迎えていた。彼はそんな自分の状態に苛立ちを感じ、起死回生を願って朝食前に松山の家に電話を入れた。やはり誰も出なかった。なぜなんだ、と彼は思った。何者かの悪意の罠にはまったような気がした。

 朝食の後、CL・SLが集まり、祖母山登山をやめ、目標を阿蘇五岳の一つ、根子岳東峰に変更することが決められた。理由は台風のため林道に崖崩れが起きており、四トン車以上は通行禁止になっているということだった。チャーターしたバスは重すぎて、登山口までは進入できないことが昨日の下見で判明したという。乗用車によるピストン輸送も考えられたが、時間的に無理という結論になったらしい。隆三は落胆した。祖母山に登頂して、自分の登頂リストにこの名山を加えるのが彼の望みだった。昨年に続く挫折だった。また一年待つことになるのかと思った。祖母山登山を達成して、松山に関する心の憂さを晴らす可能性もなくなった。この山行のために虚偽の名目で年休を取ったり、松山の解除申請で大きな失敗をしたことを思えば、無念な思いがした。

 一行は荷物を整理し、服装を整え、部屋の清掃をして、八時過ぎには公民館を出た。荷物類はバスに乗せ、身に付けられるものだけ付けた格好でウェストン祭の式典が行われる三秀台まで歩いた。隆三は公民館を離れる直前、松山の家に電話を入れた。携帯電話を借りない限り、この後は登山が終るまで電話はできなかった。やはり誰も出なかった。

 式典会場の碑の前には五十人ほどの参列者が集まった。昨夜の前夜祭で舞台に並び、校歌を斉唱した地元の小学校の児童が二十人ほど参列者と向き合って碑の脇に並んでいた。

 午前九時、男女二人の児童がロープを引き、鐘を鳴らして、式典は始まった。黙祷、献花に続き、高千穂町長の挨拶と式は進行した。見守る隆三の気持ちは暗かった。松山の件、祖母山登山の中止など、その理由は挙げられたが、彼の心を最も沈ませているのは、そんな憂鬱をいつまでも吹っ切れず、せっかくの旅の一瞬一瞬を無意義に過ぎ去らせてしまう自分への苛立ちだった。

 根子岳東峰に登るには、大戸ノ口峠付近から牧場を抜けて、東尾根の斜面に取り付くコースを取った。二キロほど続く牧場の中の道の周囲には牛が放牧されている。よく肥えた体格のいい牛があちらこちらにいる。一頭でいたり、二、三頭が一緒にいたり、立って草を食んでいたり、足を折って地面に体を休めていたりなど、その在りようもさまざまだ。目を閉じてじっとしている牛もいれば、通り過ぎていく登山者をじっと見つめる牛もいる。五、六メートルしか離れていない距離からじっと見つめられると、この牛は突進してこないか、という危惧が隆三の胸を過った。さまざまな牛の鳴き声が響く。中に、吠えるような声、訴えかけるような声があるのに隆三は驚いた。

 尾根の斜面に取り付いてからは、急勾配の登り一辺倒となる。牛もこの道を登るという。証拠の糞も道の傍らに落ちていた。休みも取らずに一気に登り、一時間弱で山頂に着いた。山頂下の芒の斜面に座り、眼下の眺望を楽しみながら一行は弁当を開いた。日下部がシャンペンの瓶を取り出した。彼は山頂でシャンペンで乾杯することを習わしとしていた。ポンと栓が抜かれ、瓶が皆の間に回され始めた。隆三も缶ビールを下に置いて、ポットの蓋に注いでもらった。それを機に一座の会話が弾んだ。各人がナップザックやポケットに入れているチョコレートや菓子、携帯飲料なども座の間を廻り始めた。

 尾根の続く先には同じくらいの標高の天狗峰、西峰が望まれた。ほろ酔い気分の隆三の頬にもわずかに笑みが浮かんだ。

 下山の途中、日下部は眺望の良い曲り角で一行の足を止め、天狗峰の下の斜面を振り返らせた。そこには紅、黄、橙、紫と、まさに錦と呼ぶに相応しい華麗な模様が展けていた。ああ、これで来た甲斐はあったかなと隆三は思った。そう思う方が得なようだった。

 下山して、一行は昨日と同じ温泉館で汗を流した。出発まで時間があり、今回の山行を振り返るミーティングが行われた。祖母山に登れなかったことについては安全のための措置でやむを得ないことと大筋において了承された。しかし、隆三は手を上げて発言した。

「計画の変更についてはやむを得ないと私も思いますが、その理由がバスが大きすぎては入れなかったということにはちょっと納得できません。そうであればもっと小型のバスをチャーターすればよかったのだし、あるいは自動車を使用する計画にしてもよかったと思うのです。事前に予測できることなのですから、その辺を計画を立てられる方はチェックしていただきたかったなと思います。コンディション的には山は登れる状態だったのですから、バスのために登れなかったというのは残念です」

 そう言うと、女性の参加者の中に何人か頷く者がいた。日下部は目でなるほどという表情をし、大峰と高島は黙っていた。現役の者のことを考えろよ、と隆三は内心で呟いた。年休を取るのにどれだけ嫌な思いをするか、毎日が日曜日の定年退職組とは違うんだよ、と。

 バスは来たコースを逆に、高速道路を北上した。車内では酒盛りが行われていた。途中のサービスエリアで大峰が焼酎と清酒を買い込んできた。会費の余りがあるとのことだった。隆三もかなり飲んだが酔わなかった。神経がどこか緊張していて眠気も起きなかった。ただ、二、三ヶ月前から楽しみにしていた山行が、それに相応しい充足感もなく終ろうとしていることが意識されていた。今周囲にある人間的温かみが間もなく失われ、明日からはまた、冷たく乾いた職場の人間関係の中での孤独な闘いが始まるのだと思った。

 トイレ休憩のため、バスがパーキングエリアやサービスエリアに入る度に、隆三は松山の家に電話を入れた。やはり誰も出なかった。母親の携帯電話の番号をメモしておけばよかったと彼は思った。

 午後七時前、自宅に帰り着くと、隆三はすぐ松山の家に電話を入れた。これで終るつもりだった。やはり出なかった。よし、今日はこれで終りだ、後は明日出勤してからだ、と隆三は思った。それでようやく踏ん切りがついた。

 彼は夕食を摂りながら山行の模様を妻に語った。語っている間は胸に蟠る虚ろな気分を忘れていられた。不愉快だったこともなぜか楽しげに語ることができた。頼子は「私も行きたかったなぁ」と言った。

 隆三はテレビを見ながら酒を飲んだ。飲みすぎだなと思いながら、やめられなかった。振り替えで増えているはずの授業や松山の件など、明日を思えば心は重かった。

 明け方、隆三の意識は魘されるようにして呼び戻された。目は閉じたままだから覚醒とまでは言えないだろうが、頭脳は確かに活動を始めた。隆三は何かを懸命に考えていた。意識が戻る前に見ていた嫌な夢の名残が圧迫感として彼の気持ちを押さえつけていた。彼はその圧迫感から逃れようとしてあれこれ考えるかのようだった。不意にキャンプファイヤーの火の粉が頭に広がった。〈あの火の粉の一つ一つが燃えずにはおれない命だった。俺の人生は燃えてはいない。燻っているだけだ。しかし、これが人生なんだ。自分が生きたいような人生を生きる人は少ない。皆、我慢をしている。飯を食わなければならない。〉平井と三木が並んで座っていた姿が浮かんだ。星空を見上げていた二人の顔にあった寛いだ微笑が思い起こされると、気持ちが少し和んだ。

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