第4話 


 生徒が家庭謹慎に入れば、担任は適当な間隔をとって家庭訪問をしなければならない。しかし、申し渡しから三日後に、処分を受けた生徒を対象にした喫煙防止のためのカウンセリングが行われることになっていた。その日は申し渡しと同じ朝八時に保護者と生徒が登校してくる。その時に会って状況がつかめるので、隆三はその日までは家庭訪問はせず、  電話による点検指導で済ませることにした。その電話でのチェックのなかで、由佳は、ライター所持が発覚して取調べを受け、彼女が引き取りに来た当日、そして翌日と、松山が夜間に外出していたことを告げた。処分の申し渡しがまだ行われていない時ではあるが、発覚以後は事実上謹慎状態に入るのだし、その事は本人にも伝えていた。それを最初の日から破っていたことに隆三は軽いショックを受けた。

 松山と同じ日に煙草所持が発覚した生徒が二人いた。やはり登校時のチェックで見つかったのだ。一人は松山と同学年の二年生、もう一人は三年生だった。この二人は松山と同じ日に、時間を少しずらして同一の処分を申し渡された。同学年の生徒は、隆三の真正面  の席に居る時田という教師のクラスの生徒だった。時田は三十になったばかりの理科の教師で、白面のおとなしそうな細面をしていた。時田と処分を受けた三年生の担任とは教科が同じである誼からか、土曜日に一緒に処分解除の申請を行うことを申し合わせた。隆三 の目前の時田の席で申し合わせをしたので、隆三はそれを知った。普通なら、「先生はどうしますか」と真正面の席にいる隆三に声をかける状況だが、時田は隆三に声はかけなかった。隆三の方もそれは少しも期待していなかった。時田は話が終ってその場を離れようとする三年生の担任に、「それじゃあ土曜日に一緒に解除申請ということで」と確認するよう に声高に言った。隆三にはそれは、自分たちはそれでいくから足並みを揃えたいならどうぞ、と自分に対して言っているように聞こえた。確かに日数的には足りていた。土曜日に解除を申請して認められれば、日曜を過ぎて月曜日の朝に解除となる。それで十日間謹慎したことになる。含み一週間の処分なのだから日数的には十分だった。時田らしいソツのなさだなと隆三は思った。家庭訪問などはしたのだろうか。そんな様子もなかったようだが、と隆三は不信の気持ちが起きた。

 

 隆三は時田と話をしない。時田も隆三には話しかけない。席が真正面に向き合っている二人だから、前を見ればそこには互いの顔があるのだが。職員室では互いの顔が見えるように間に本や書類を積み上げて壁を作ってはならないという注意がなされている。職員管理上の注意だが、中には意図的なのか、あるいは実務上の必要の結果なのか、境に相手の顔を隠す壁を作っている教員も何人かいる。隆三も話をしたくない時田の顔が見える煩わしさに、机に作り付けの棚の上に卓上カレンダーを置いたことがある。しかし、それは時 田の顔の中央部を隠すだけで、動きによってチラチラと時田の目は見える。かえってそれが隆三の気持ちを乱した。また、相手と向き合うことをそんな姑息な手段で避けようとしている自分が卑怯にも思われた。時田はそんな工作はしていないのだ。相手に見くびられないためにも堂々と対してやろうという気持ちで卓上カレンダーを脇にずらした。こうして二人は何の障壁もなく向き合っているのだ。視線が合って睨み合っても仕方がないので、視線を合わせないよう互いに神経を使っていた。こうした状況が半年ほど続いていた。

 経緯を述べれば数年前に遡る。その頃時田は空手部の副部長をしていた。部長は隆三と同じ教科で年上の杉本で、隆三、時田、杉本はその時も同じ学年に属していた。杉本は職員室でよく時田について零した。杉本の不満は時田が休日に杉本に代わって練習を見たり、合宿や試合の折に準備や連絡などの雑務をするのに消極的だということにあった。隆三は教科は同じだが杉本と親しいわけではなかった。むしろ、一見正論的な議論を吹きかけて人を攻撃する反面、目につかないところで手抜きをする狡さを持つ杉本を嫌っていた。だから話を交わすこともあまりなかったのだが、そんな隆三に対してさえ、時折、杉本は零した。杉本とよく話をする教員に対しては折りある毎に時田への不満を口にした。隆三は杉本のことだから、副部長になった新入りの時田にこれ幸いといろいろな仕事を押し付けようとしたが抵抗され、腹に据えかねているのだろうと推測していた。そんな頃、隆三は朝の朝礼の折などに何気なく時田と目が合うことがあった。同じ列に席があるのだから、何かの拍子に目が合うことは自然なことだった。しかし、それが何度か重なるうち、隆三は時田の視線にある頑なさを感じるようになった。視線が合っても目をそらそうとしないのだ。人は視線が合っても偶然であれば目をそらすものだ。その場合、立場の弱い者が先に目をそらすのが普通だ。この場合、年下の時田の方が先にそうすべきではないか。ところが時田はそうしない。隆三の方が戸惑って目をそらした。大学新卒で職場に入ってきて間もない者の態度として時田の態度は隆三には意外であり、不愉快だった。新参の教員が年長者に謙る様子を見慣れてきた隆三には、そんな意識はもつべきではないと思いながらも、新入りの癖に、とやはり不愉快だった。杉本が零すのはこんな面が時田にあることも一因だろうと隆三は思った。時田は時田で、杉本と教科が同じで年齢的にも近い隆三が杉本に吹き込まれ、自分を悪く思っていると勘ぐっていたのかも知れない。

 間もなく時田は空手部の副部長をやめ、そういう形で対立が固定された杉本と時田は用事がある時以外は話を交わさない関係になった。一方、隆三の心には時田に対する不快感から敵対心が芽生えていた。それは視線が合った時、隆三も目をそらさず、睨み合う形になるということで表れた。あるいは手洗い場で歯を磨いている隆三の隣に遠慮する様子もなく手を洗いに来る時田に、あるいは湯茶室で湯呑みに茶を汲んでいる隆三の側に、殊更と思われるほど屡々茶を汲みに現れる時田に、隆三が無言だが、不快や怒りを込めた表情や態度を示すことで表れた。時田はしかしそんなことで隆三に対する態度を改めるような人間ではなかった。むしろ隆三の対応は時田の対抗心を強めるだけのようだった。時田は廊下で前を隆三が歩いていれば必ず追い抜いてその前を歩いた。そして職員室に入る際は、後に続く者のためにドアを大きくひらいてやるなど、通常教員同士が行う配慮を隆三には一切しなかった。会議が終って部屋を出る時など、出口近くで年長者に行き合えば若い教員は道を譲るのが普通だが、時田は隆三が出口に近づくと、その前に突然割り込んで、隆三を押しのけるようにして先に出た。その態度は、お前など怖くはない、と言っているようだった。隆三はその時、時田の外見には似合わぬ粗暴さを知った。

 学年の宴会の折、座が乱れて、隆三は偶々、時田の座布団の上に座った。彼は談笑しながら上着を脱ぎ、そこに置いたのだが、終了時刻が近づいて各人が元の席に戻った時、気が付いて上着を探すと、部屋の隅に放り投げられていた。時田は平然と自分の席に座っていたが、座布団の側にあった隆三の上着を邪魔だと放り投げたに違いなかった。しかも時田は宴会の幹事だった。隆三は怒りに熱くなったが、時田が投げたところを見たわけではないので自分を抑えた。しかし、時田という外見はおとなしそうな顔をした男の粗暴な内面を改めて見た思いがした。その後、時田が担任クラスの生徒に体罰を加え、憤激した父親が抗議に来校し、マスコミに公表すると校長に迫る事件が起きた時、隆三は自分の観察が裏付けられたように思った。父親の訴えによると、生徒は応接室の中で四つん這いにさせられ、首を絞められたという。学園の法人本部は父親にマスコミへの通報を思い止まらせる代償のように時田を半年間の出校停止処分にした。

 だが、隆三の時田に対する態度には揺れがあった。できるなら対立が固定化されることはやはり避けたかった。加えて対立の始まりに関して隆三には忸怩たる思いがあった。自分が年長者だという意識で、時田に新入りの癖にけしからんという気持ちを抱いたことが事の起こりだったのではないかという思いがあった。元々隆三は年齢の上下を人間関係の基準に置く考えは排してきた。杉本などは一年でも年長であれば人間関係で上位に立って当然という考え方をしたが、隆三は人間は平等という考えを信奉していたので、時田との対立は自分がその信念を踏み外したことに始まるのではと反省したのだ。杉本と時田の対立に影響されて、杉本流の考え方で時田に接するという誤りを犯したと隆三は悔いた。そのような反省に立って、隆三は時田に対する敵対的な気持ちは捨てて、むしろ過ちを償うような気持ちで接するように努めた。言葉をかけるときは笑顔を見せ、ですますの敬語をを外さないように留意した。もっとも、隆三は誰に対しても、です、ますの口調で話しかけてはいたのだが。そんな期間が一年半ほど続いたろうか。時田の態度には変化は見られなかったが、少なくとも表面的には普通の関係が維持された。

 隆三が久しぶりで新入生のクラス担任となった昨年の四月、時田と真正面に向き合う座席配置になった。隆三は嫌悪と圧迫感を覚えたが、これまで心がけてきたように「適正に」接していこうと思った。

 今年の六月、隆三のそんな反省や心遣いが時田には無効であり、むしろ逆効果であったことを思い知らされる出来事が起きた。時田は学年分掌では校内実力テストの成績処理を担当していた。教科担当が提出する成績単票をコンピューターに打ち込み、教科別、コース別に偏差値で順位を出すのだ。成績単票の提出期限は決められていて、教科担当者はそれまでに採点、生徒への返却・確認、単票への点数記入を終えて、期限の日の午前中までに係に提出しなければならない。それは提出期限を翌日に控えた日だった。真正面の席から立ち上がった時田が隆三を見下ろして、「単票もらいましたかね」と言った。隆三は時田の顔を見上げて一瞬混乱した。不意だったこともあったが、何より自分を見据える時田の威嚇するような目付きに戸惑いと強い反発を覚えたのだ。時田が何を要求しているか分からなかった隆三は「あなたのクラスの?」と訊き返した。時田は眼中の威圧的な光を少しも緩めずに、「いや、国語の単票です」と言った。「あ、いや、まだ生徒に確認せんといけんことがあってね、出してないけど」と隆三は応じた。そう言っても時田の眼差しに変化がないので勘違いしているのかと思い、「明日でしょ、期限は」と言うと、時田は不満気に、「できるだけ早く出してもらわないと、仕事が詰まって困るんですよ」と言った。そう言いながら依然として目で威嚇を続けている。隆三は不快感と反発で一杯になり、「明日出します」と突っぱねた。

 これまでも時田が刺すような眼差しを隆三に向けることは何度かあった。その度に隆三は不快な思いをしたが、それは目を合わせる瞬間のことで、会話が始まれば消えていた。それが今は不躾にも会話の間中続いたのだ。隆三はその時田の目に自分に対する気持ちを見取った。時田は隆三を弱者と見て威したのだ。隆三の宥和的な態度は、時田を対立における勝者、あるいは強者と思い上がらせたにすぎなかったのだ。この男の人間関係の捉え方には強者と弱者があるだけで、人間同士の理解を大切にするような要素はなく、強者は弱者を威かし、弱者は威かされて従うという図式しかないのだと隆三は判定した。それが数年間時田という人物と接して得られた結論だった。

 その日から隆三は時田に対する態度を変えた。こういう男と話をしても仕方がないと思い、仕事に関すること以外は口をきかず、話す場合も敬語は使わず、笑顔も見せないように努めた。むしろ時田が投げつけてくる刺すような視線を隆三の方からも放つように努めた。粗暴さを秘めている相手だから喧嘩も辞せずという覚悟も必要だった。こうして刺々しい感情を抱きながら二人は向かい合っているのだった。

 時田に限らず、三十前後の教員たちの人間関係についての考え方に、隆三はこの威し威される関係という捉え方を嗅ぎ取るのだ。同じ学年に時田より二、三歳上の園田という教員がいる。この教師とも隆三はほとんど話を交わさない。その理由も数年前に遡る。隆三は園田の受持ちクラスの国語を担当していたのだが、定期考査の成績で十名を越す欠点者が出た。園田は隆三が渡した成績単票を手にして、「先生の教科はなぜこんなに成績が悪いんですか」と詰問口調で迫ってきた。隆三は返す言葉に詰まった。園田の口調は明らかに隆三を責めていたからだ。隆三は不快感を覚えながら、「勉強しないからでしょう」と答えた。それ以外に何を言うことがあるかと思った。クラス担任は教科担当から悪い成績を示された場合、先ずクラスの不勉強を口にするのが通例であり、「ご迷惑をおかけします」と頭を下げる担任もいる。それが隆三の感覚だった。それをいかにもお前の教え方が悪いと言っているような園田の口調だった。失礼な奴だと隆三は思った。力を抜いた覚えもなく、同じ隆三が教えている他クラスでは欠点者は二、三名しか出ていない。そのことを後で思って、責められるべきは担当より自分のクラスだろうと考えると、園田の言葉に対する怒りが新たに生まれ、あの時、「それはどういう意味か」と問い返せばよかったと隆三は思ったものだ。園田が学年に入ってきてまだ一、二年しか経っていない頃で、互いによくも知らない時に、年下の者がこんなことを言ってくることに隆三は驚きも覚えた。クラスの成績が悪ければ進級に際して担任は苦労するし、また評価も下がる。それで悪い成績を出してくる教科担当には最初にガツンと食らわして牽制しておく。そんな園田の考えが感じ取れた。他者との理解による協調よりも、他者を攻撃することで自己の保全を図ろうとする志向、それを時田と共通するものとして隆三は感じるのだ。そういう志向になじめない隆三は学年の若い担任たちとは親しめなかった。


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