第3話


 隆三は生徒指導部の教師から手渡された調書に目を通した。調書は何度か書き直した跡があり、終りの方で自宅での喫煙を認めていた。喫煙については母親が電話で告げていたので隆三はやはりと思った。ライターについては、友人のものをうっかりポケットに入れて持ってきたと書いていた。友人が飼っていたウサギが死んだので、前日、友人宅にウサギの墓のお参りに行き、線香をあげた時に使ったライターをそのまま持っていたと書いてあった。自分のライターだと認めたというのは調書を書いた後のようで、記述はなかった。

 調べが終わった松山は教室には戻されず、放課後までカウンセラー室で、反省と自習を命ぜられて過ごした。

 隆三は家庭に連絡をとったが、電話には誰も出ない。仕方なく、個人票に記してある由佳の携帯電話の番号を押した。しばらくコール音が続いた後、由佳が出た。声の調子が変だ。電車の中に居ると言う。博多の銀行に行った帰りとのこと。後十分ほどでT駅に着くから、降りてから電話すると言って切った。隆三は用件を伝えてしまいたかったが、内容を思って控えた。折り返しの電話で隆三は出来事を伝えた。由佳に驚きはなかった。隆三は通常の下校時刻より一時間ほど下がった時刻を指定して、本人を迎えにきてほしいと頼んだ。問題行動を起こした生徒は保護者が引き取りに来る決まりになっていた。由佳は了承した。

 由佳が迎えに来ると隆三は応接室に通し、松山をカウンセラー室から出して応接室に入れた。一日隔離されていた松山はさすがに疲れた表情をしていた。ソファに並んで座った母子に、隆三は処分はまだ正式には決まってないが、いずれにしても停学・謹慎になることを告げた。一年生の時から問題のある生徒として名前の出ていた松山だが、停学になるのは初めてだった。

 隆三は由佳の再婚相手と松山との折合いが気になっていた。新しい父親との折合いの悪さが松山の家庭生活の乱れの原因の一つではないかという気がしていた。家に電話を入れると、出るのはいつも母親ばかりで、父親とは一度も話を交わしたことがなかった。子供のことは母親に任せきりで、いざ子供が処分される段になると文句を言ってくる父親もいる。学校の卒業生だと聞いて少し安心したが、とにかくこの際、父親との接触を図る必要があると隆三は思った。

「お父さんは家庭ではどういうことをおっしゃっているんでしょうか」

 と隆三は由佳に尋ねた。

「あまり厳しくは言わない人なので」

 と由佳は苦笑を見せて答えた。

「お父さんは松山君の学校生活の状況はご存知ですね」

 と訊くと、由佳は少し厳しい顔つきになって、

「もちろん知っています」

 と答えた。

「一度お父さんとお会いしたいと思うのですが」

 と隆三は言った。すると由佳は大きな目を隆三にぴたりと据え、

「はい。そうですね。いつにしますか」

 と応じた。少し意気込んだ風があった。そして、

「今晩でも」

と言葉を添えた。隆三は慌てて手を振った。

「いや、今日はちょっと。二、三日後に処分の申し渡しがありますから、その時にでも学校に来ていただければいいのですが」

と言い、

「申し渡しの日時は改めてお知らせしますが、時間は朝八時です」

 と付け加えた。

 夫のことを訊かれて由佳は少しムキになった。自分の言葉を、松山は連れ子だから母親任せにされているのではないかと勘ぐっていると取って反発したのだろうかと隆三は思った。夫もちゃんと松山の問題に関わっていることを示そうとしたようだった。

 謹慎には家庭謹慎と学校謹慎がある。停学処分なのだから家庭謹慎が本来であり、保護者が仕事の都合などで家に居れず、監督ができない場合にやむなく学校謹慎となる。

「お母さんは家に居れますか。お仕事がおありでしたかね」

 と隆三は尋ねた。

「仕事はありますが」

「どうしますか。まあ望ましいのは家庭謹慎ですが」

 由佳は下を向いて考える様子をした。

「ま、それは考えておいて下さい。明日、明後日は休日なので、とりあえず自宅謹慎ということになりますが、よろしいですか」

 と隆三は言った。由佳は「ええ」と頷いた。隆三は「反省日誌」の半紙を五、六枚束ねたものを松山に渡し、

「処分は未定だが、今日から事実上の謹慎が始まる。反省や学習したことを毎日この日誌にきちんと書いていくこと」

 と伝えた。

 松山の処分決定は休日が挟まったため遅れ、申し渡しが行われたのは事件発生から四日後だった。朝、始業前の八時に、小会議室に校長、生徒指導部長、学年主任、担任が顔を揃え、本人及び保護者に対して処分が申し渡された。校長は短い訓示と注意を与えた後、「無期停学」を言い渡した。由佳の大きな目にうっすらと涙が浮いているのを隆三は見た。「無期」とは言っても一週間という含みがあった。もちろんそれは本人や保護者には知らされない。一週間謹慎を続け、反省が十分できたと判断されれば謹慎を解除するという処分だった。

 申し渡しの後、隆三は母子と応接室で向かい合った。先ず喫煙の件から隆三は話を始めた。松山はもうやめていると不貞腐れた調子で言った。生徒指導部の教師がしつこく訊くので、過去に吸っていたと答えたので、今はもう吸っていないと言った。すると由佳が「まだ吸っているでしょう」と言った。

「この前も友達を連れ込んで、部屋中煙草の煙でいっぱいだったじゃない」

「何のこと言ってるの」

 松山は眉根を寄せ、不快そうに言った。隆三もそんな話を由佳から聞いていた。

「女の子と付き合ってるらしいね」

 隆三は由佳と面談した時の話を思い出して言った。松山の顔に一瞬戸惑いの色が浮かんだが、不快な表情をして何も答えない。

「高校生なの、その子は」

 隆三が更に問うと、

「関係ないでしょ、そのことは」

 と松山は鋭く反発した。

「関係なくはないでしょ。今度の件もその子が飼っていたウサギが死んだことが原因でしょ」

 と由佳が言った。ああ、そうなのかと隆三は思った。松山とその女の子との関係に関心が動いたが、松山の拒絶の姿勢に隆三はそれ以上の詮索はやめた。

「まぁ、それはいいが」

 隆三はそう言って松山の顔を見た。

「言っておくが、煙草と学校は両立しないぞ。吸い続けていれば必ず見つかる。この次見つかれば二度目だ。状況によっては退学が勧告されることもある。三度目は間違いなく退学だ。学校をやめたくなかったら煙草をやめることだ」

 松山は俯いて聞いていた。リズムを取るように小さく頭がゆれている。この生徒の癖だ。

「いいか。この謹慎を機会にしっかり反省して、二度と煙草を吸わない決意を固めるんだ」

 松山は下を向いたまま、唇を歪めてちょっと頭をひねった。

「わかったか」

 隆三が語気を強めて言うと、

「はい」

 と松山は顔を上げて頷いた。

 この生徒にはもう一つ改めさせなければならないことがある。むしろその方が隆三の気持ちには重く懸かっていた。それは母親がしきりに訴えてくる家庭生活の乱れだった。夜間外出、無断外泊、家族と食事を共にしないなど。これが遅刻・欠席に結びついていた。出席が義務づけられている朝の課外授業には、学年初めからほとんど出席していなかった。

「お前の場合、煙草をやめることも大切だが、基盤としての生活態度を改めることが大きな課題になっているようだ。この謹慎期間中は基本的な生活習慣の改善も目標にして取り組むことが必要だ」

 隆三は松山にそう宣告した。由佳は家庭謹慎を了承したので、この課題には好都合だった。

 外泊については、半月ほど前、電話連絡した際、どこに外泊するのかと由佳に尋ねて、わからないと答えられ、隆三は驚いたことがあった。それでよく安心しておられるなと彼は呆れた。

「何が起きるか分かりませんよ。せめて外泊先の名前、電話番号ぐらい知っておかないと」

 と厳しい口調で言った。息子の行状をあれこれ言うが、実際は放任しているじゃないか、と電話の後、隆三は憤慨した。そのことを思い出し、

「この前、お母さんは、松山君がどこに外泊しているか知りませんでしたが、放任しているわけではないですね」

 と幾分詰問口調で隆三は尋ねた。放任、という言葉を使うかどうか、彼は少し迷ったのだが、端的な言葉の方がよく伝わるだろうと思った、

「放任しているつもりはありません」

由佳はむっとしたような表情を示して否定した。そして沈黙した。隆三は肩すかしをくったような気がしたが、それ以上は問えなかった。由佳が外泊先を知ろうとしても松山が教えないと理解すべきなのだろうと思った。

「お前、どこに泊まりよるのか」

 隆三は松山に訊いた。松山は唇を歪めて頭を捻り、

「いろいろ」

 と答えた。

「いろいろって、そんなにあちこちに泊まるのか」

 と隆三が言うと、

「いや、二、三人」

 と言い直した。

「その二、三人の名前と住所を言ってみろ」

 と隆三は松山の言葉に被せるように言った。

「言わなければいけませんか」

「俺は知らなくてもいいが、お母さんは知らなければいかんだろう」

 と答えて、隆三は尻を後ろにずらし、椅子に深く座り直した。

「言ってますよ」

 と松山はポンと投げ出すように言った。

「いつ言ったの」

 すかさず由佳が訊いた。

「言ったけど忘れたんだろ」

 と松山は応じた。

「私は聞いていませんよ」

 由佳は強い口調で言い返した。

「言ったよ。何度言っても忘れるんだ」

 松山は吐き捨てるように言った。保護者会の時と同じ母子の言い合いだった。

「よし。一度言ったとして、ここでもう一度、外泊先の名前と住所、電話番号を言ってみろ」

 と隆三は中に入った。

「覚えてないので後から親に言います」

 と松山はふて腐れた顔で言った。

「覚えてない? 名前もか」

 それは不自然だろうという表情で隆三が問うと、松山は仕方なさそうに一人の名を告げた。関係を訊くと、「中学時代の友人」とぶっきらぼうに答えた。

「他の人は」

 隆三は母親の前でできるだけ聞き出しておこうと思った。

「今はその人の所だけなんで」

 松山はそう言って、後は一切言わないぞ、という表情を示した。こいつも学校がある日を休みと言うくらいだから、これ以上訊いても適当なウソをつくだけだろうと隆三は思った。

「後でお母さんにさっきの友達の住所と電話番号をちゃんと言うんだぞ」

 と言って、隆三はそれ以上の追及はしなかった。

 夜間外出について尋ねているうちに、夜、松山が家にいない一因としてアルバイトをしていることが明らかになった。自宅近くのスーパーで商品の出し入れなどをしているようだった。これはまずいなと隆三は思った。無断アルバイトは校則で禁じられている。生徒指導部が知れば処罰される事柄だった。松山は一年生の時からそのアルバイトをしていて、許可は得ていると言った。母親に確かめると、たしか一年の夏休みに担任が許可したと思いますと、過去を思い出す表情をした。そして、夏休みという期間を限定しての許可だったと付け加えた。とすれば許可の条件に既に違反しているのだった。しかもアルバイトの理由は親に借金を返済するためということだった。自分の携帯電話の毎月の料金を親に支払うためにアルバイトをしていると言う。アルバイトは原則的には禁止されていたが、家計が苦しく、学資を賄うためにどうしても必要ということであれば許可された。保護者はその事情を述べ、担任と相談することになっていた。松山のアルバイトの理由はこの許可の要件に該当しなかった。この面でも松山のアルバイトは校則違反だった。

 親は松山に携帯電話の料金の支払いを求めているわけではなかった。松山が親からの独立を示そうとして行うパフォーマンスだった。アルバイトで稼いだ金を親に渡すことで、独り立ちしているという意識が持て、親からの干渉も拒否できるように思うのだ。子供らしい考えだが、松山としては大切な行為だろう。しかし隆三は、松山の反発を予想しながらも、校則に違反しており、夜間外出や外泊の誘因になっているアルバイトはやはりやめさせなければならないと思った。

「謹慎中はアルバイトはできないぞ」

 と隆三は松山に言った。松山は下唇をぐっと押し上げ、恨めしそうな目で隆三を見た。その顔に隆三は、

「当たり前だろ。謹慎中は外に出られないんだから」

 と押し被せるように言った。さらに彼は、

「お前のアルバイトは学校が許可する要件に合致していないからやめなければいけない」

 と追い討ちをかけた。由佳は頷いて松山の顔を見た。松山は顔全体に不服を表して沈黙した。

 こうして松山の家庭謹慎が始まった。


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