046話
「忙しいですね」
「本当ね」
いつものように
「しかし、奈々ちゃんも、もう一歳なんですね。時が過ぎるのは早いですね」
「そうなんだよ。もう一歳なんだよ」
美緒ちゃんの言葉に目尻が下がるマスターだった。
「写真見る?」
「毎日、見せてもらっていますから大丈夫ですよ」
マスターの親馬鹿ぶりに笑いながら答える。
そのやりとりを聞いていたお客さんからも笑いが漏れる。
平和な日常が戻って来たのだと感じる一瞬だ。
市長親子の事件から一年が経った。
市長失脚による再選挙では、無党派の立候補者が当選した。
前市長を推薦していた党も立候補者を立てたが、圧倒的な投票差で敗北した。
多くの支持を集めた理由の一つに、地元の活性化だった。
大型商業施設の建設白紙に伴う市への経済の再建。
商店街の再改革や、駅前の活性化などだ。
元市長派の議員との対立も表面化したが、世論は現市長の味方だった。
市議会選挙を半年後に控えているためか、議員たちも世論に対して過剰な反応を気にしていた。
市民の多くは前市長の逮捕と、元市長派の議員たちに失望をしていた。
元市長から議員に流れた金もあるのでは? とニュースでも報道されていた。
秘書が逮捕される議員もいたが、知らぬ存ぜぬを通している。
そのため、元市長派でありながら元市長を批判したり、自分は潔白だと支持者に説明する議員たちもいた。
ただ、市民の反応は冷ややかだった。
良かった面もある。若い人たちにも選挙の大事さを知らせることになったことだ。
有難いことに、探偵の依頼も幾つかある。
依頼の大半は、NPO法人”ねこ暮らし”からだった。
内容は猫探しでなく、猫との会話だ。
同伴は主に池崎さんだったが、都合がつけば杉本さんも同伴した。
池崎さんは半信半疑ながらも、私が猫との会話内容を伝えてメモを取る。
飼育崩壊や、保護した猫との会話になる。
体の異常を聞いたり、安心させる話をしたりする。
突然、連れて来られた自由気ままな野良猫のなかには、人間というだけで話さえ聞いてくれない猫もいるが、何回も話し掛けて信用をしてもらう。
本来の探偵の仕事内容とは違うが、報酬が高いことと定期的に仕事をくれるので、今となっては猫探しよりもメインの仕事だ。
人見知りという自覚はあったが、猫見知りでもあったのだと気付かされる。
語彙力のない私の言葉に心を開いてくれることは嬉しかった。
幸せになる手伝いをしている気分が、少しだけだが心を温かくしてくれた。
美緒ちゃん……いや、久保田家にも三匹の猫を招くことになった。
保護猫施設から受け入れたり、ペットショップで購入をしたわけではなかった。
弁護士事務所に勤務している人が、事務所内で子猫の里親を探していた。
母親が理由を聞くと、家の近くにある川の側で捨てられていたそうだ。
全部で五匹いたが、二匹は里親を見つけられた。
実家暮らしのその人は、今は母親が面倒を見ているが長くは見られないことや、二匹いる先住猫が子猫に嫉妬しているのか攻撃的な態度をとるので、その人の母親も心配をしているそうだ。
「私が引き取るわ」
思わぬ言葉に、その場にいた全員が耳を疑った。
もちろん、父親もだ。
「娘が猫を欲しがっていたし、私もセミリタイアして家で仕事をしようと思っていたしね」
いきなりのカミングアウトに事務所内は騒然となる。
だが母親は「信頼出来る弁護士が育って来たから、私が一線を引いても大丈夫よ」と平然と言った。
独立にも寛大な美緒ちゃんの御両親の弁護士事務所だが、独立する人は少ない。
ネームバリューに強さを知っているからこそ、独立しても問題が多くあることを理解している。
なにより、代表と副代表である美緒ちゃんの御両親は事務所内外問わず慕われている。
人気だけでなく人格者の下で働きたいと思っている人が多く、求人募集をすると定員以上に希望者があるそうだ。
美緒ちゃんから、猫を飼いたいと聞いた母親は、次の日から猫について、いろいろと調べ始める。
最初に用意する物や、御飯のことにペット保険。
思っていた以上にペット業界が充実していることを知る。
仕事柄ペットに関する訴訟も年々増加傾向にあることに驚く。
動物病院によっては弁護士事務所と契約している所があることも知る。
なにより、犬や猫の殺傷処分の多さに驚いた。
ニュースでたまに取り上げられるので、浅い知識はあったが調べれば調べるほどに、母親はペットを取り巻く環境に考えさせられることとなる。
久保田弁護士事務所は利益の一部を海外支援に寄付している。
税金対策でもあるが、社会貢献の意味合いが大きい。
実際、母親は地域の河川清掃などにも参加しているそうで、小さい頃は史緒里さんと三人で一緒に参加していたと、美緒ちゃんが教えてくれた。
猫を迎え入れるときに、私も同席して欲しいとのことだったので承諾した。
「……」
あまりの光景に私は言葉を失う。
流石というべきか、初期投資が違っていた。
かなり大きなケージが三つに種類の違うキャットタワーが三つ。
さらに、部屋の壁に取り付けられたキャットウォーク。
「なにか、足りない物があったら遠慮なく教えてね」
「は、はい」
私は思わず返事をするが、足りない物など無い。
食器に水飲み容器、部屋の片隅に置かれている自動掃除が出来るトイレ。
ケージの中にも、それぞれトイレがあるので、いずれ使うのだろう。
「あ、あの……」
「何か気になるところでもあったかしら?」
「その高級なソファですが、爪とぎでボロボロになるかも知れません」
「あぁ、確かにそうね。気付かなかったわ。まぁ、その時はその時ね」
その表情から猫優先だということが読み取れた。
私だったら、ボスに怒りまくっていると思う。
数十分後、猫を譲ってくれる女性が三つのキャリーを持って久保田家を訪れた。
私はリビングで待っていたので、状況が分からないがキャリーも久保田家が用意した物らしい。
皆が部屋を出ていき、十分もしないうちに戻って来たので、玄関で簡単な挨拶をして帰って行ったようだ。
史緒里さんと美緒ちゃんが、それぞれキャリーを持っていた。
一匹ずつケージに入れるが、不安なのか丸くなる仔や、ケージ内をうろつく仔、周囲を見渡す仔など、三者三様……三猫三様だった。
私はとりあえず、様子を見ていたが、猫の名前を最初に決めるようで、家族会議が始まった。
それぞれが考えていた名前を、仔猫のイメージと合っているかだったので、それほど時間は掛からなかった。
その和やかで騒がしい様子を見ながら、自分の家族が生きていた風景と重ね合わせる。
結局、三匹の子猫は各々の特徴から名前が決まる。
三匹の中で一番体が大きいうえ、尻尾が長く全身が白色で、鼻や肉球が綺麗なピンクをしている雌猫を”ウメ”。
額が綺麗なハチ割れで、富士山のように見えるキャリコ(三毛猫)柄を雌猫を”ヤマ”。
白黒で、あるキャラクターに似た柄に似ている雌猫を”タマ”。
三匹ともが雌猫だった。
「ウメ、ヤマ、タマ、宜しくね」
嬉しそうに名前を呼ぶ美緒ちゃん。
ここで私の出番となる。
最初はウメと名付けられた仔猫だ。
『こんにちは』
私が話し掛けると、ウメはもちろん、隣のケージにいるヤマやタマも驚き、騒ぎ始める。
私は話し掛けたのが自分なので、落ち着くように優しく話す。
ただ、恐怖心より好奇心が上回ったのか、それぞれが勝手に話し掛けてくる。
私は面倒だったので、三匹が見える場所に移動して、私が猫と会話出来ることを説明してから、それぞれに名前を教える。
話を進めると、徐々に性格が現れ始める。
ウメは警戒心が強いのか、いろいろと質問をされる。
ヤマは途中から興味を失ったのか、目を閉じながら聞いていた。
タマは人懐っこいというか、人を脅威の対象としていないようだ。
とりあえず、三匹にはここが自分たちの家だと伝える。
『そいつらが、言っていた奴等か?』
家の中を勝手に徘徊していたボスが戻って来た。
ボスの声を聞くと、ウメとヤマは同時に警戒する。
タマだけがボスに話し掛けていた。
ここからはボスが家猫としての話を始める。
私が口出すことでは無いが、ボスならうまく話してくれるだろう。
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