045話

 美緒ちゃんの両親に送ってもらい、マスターの家に到着した。

 私は美緒ちゃんの御両親に礼を言うと、車が見えなくなるまで見送る。

 車が私の視野から消えると、美緒ちゃんから礼を言われた。

 私の発言で、家に猫を迎える確率が上がったと喜んでいた。

 美緒ちゃんは私の知らないところで、初期投資の金額や、月に掛かる金額などを調べてバイト代で算出出来るかなどを調べていたようだ。

 多分、マスターや一美さんには相談していたのだろう。

 離れにあるマスターの御両親に挨拶をして、鍵を借用してマスターたちの家に入る。

 リビングで我が家のくつろぐボスの姿を見て、私は安心する。

 一方で、オレオとノアールは私たちに気付くと、寝ていたにも関わらず駆け寄ってくれる。

 目を薄っすら開けて、耳だけ少し動かして微動だにしないボスとは大違いだ。


 御飯の用意を始めると、ボスがゆっくりと起き上がって来た。

 ボスたちが御飯を食べている間に、トイレの掃除をする。

 美緒ちゃんにはキャットタワーの掃除や、水の交換をお願いする。

 自動給水のフィルターの交換が必要なのかと聞かれたが、良く分からないのでフィルターの状態を見て判断する。

 見てみたが良く分からなかったので、安全を見て交換をすることにした。

 変えたばかりであれば、後でフィルターを弁償すれば良い。

 金額でなく、オレオとノアールの健康を第一優先に考える。

 ついでに少しだけ家の掃除もしようかと思ったが、勝手に家のことをされると嫌がる人もいる。

 なによりもマスターが綺麗好きなので、そこまで汚れていない。

 店でも家でも変わらないのだと思いながら、家では堕落した生活をして外面だけは良くしようと努力している自分とは違うマスターを尊敬した。

 マスターが戻るまで家で過ごすため、時間を持て余すのでテレビを点ける。

 映し出された画面に私と美緒ちゃんは眉をひそめた。

 美緒ちゃんはチャンネルを変えようかと提案したが、私が動揺した仕草などを見せると美緒ちゃんが責任を感じると思い、平然を装いながらチャンネルを変えないまま見ていた。


『なにを難しい顔しているんだ?』


 ニュースを見ていた私にボスが話し掛けてきた。

 近寄って来たことに気付かなかったが、それほど集中して見ていたわけではないが、ボスに気付かなかったということは意識がテレビにいっていた。


『ちょっとね』


 ボスに話をしたところで、理解してもらえるとは思えないし、説明をするのも面倒だと感じていた。

 ニュースは地元の……今、世間で一番注目されている犯罪親子のことだったからだ。

 事件に関与していた者たちが、次々と逮捕された。

 闇バイトで犯罪に関与していたことも、どこから漏れたのか不明だが、ニュースで話している。

 ただ、闇バイトの全容については触れておらず、闇バイトということについての説明に時間を割いて議論していた。


『体は大丈夫なのか?』

『あっ、うん』


 ボスが私の体のことを心配してくれたことに、少しだけ驚く。


『そんなに心配してくれるんだ』

『あぁ、あいつとの約束も――』

『あいつ?』


 ボスは途中で話すのを止めて、私から視線を外す。

 それよりもボスの言う「あいつ」とは誰のことなのか想像出来なかった。

 ボスと私の共通の知り合いを思い出すが、ボスが「あいつ」と呼ぶ相手が思いつかない。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

「私、課題をしますね」


 美緒ちゃんはバッグから筆記用具を出して、大学の課題に取り掛かった。

 勉強の邪魔になると思い、テレビの電源を切ろうとリモコンを手に持つ。


「あっ、私なら大丈夫ですよ。特に気になりませんから」


 そう言うと、すぐに課題に取り掛かっていた。

 集中力が高いのか、まるで自分の世界に入り込んで周りをシャットアウトしていた。

 集中力が無い私には、羨ましかった。

 課題の邪魔にならないように、少しだけボリュームを下げて静かにテレビを見る。

 何回かテレビのチャンネルを変えながら時間を潰した。

 どこからネタを仕入れて来るのか、真実と虚言が入り混じった議論に聞いていた自分自身さえも分からなくなっていた。

 視聴率が取れれば世論さえ、どうでもいいのかと思えるように話すタレントや、自称評論家たちの言葉が雑音のように耳に入って来た。

 犯罪被害者や、加害者関係者たちには、どのように聞こえているのだろうか?

 自分も事件に巻き込まれなかったら、こんな感情は芽生えなかったし、こんな気持ちで番組を見ることもなかった。

 課題をする美緒ちゃんを見ながら、事件に巻き込まれたのが自分で良かったと感じていた。



 二時間程経ったくらいに、マスターが帰って来た。

 顔を見るなり、私の心配をしてくれたので、大丈夫なことを伝える。

 私が元気なことを確認出来ると、今度は一美さんや生まれた子供の様子などを嬉しそうに話してくれた。

 写真を見せてくれたが、マスターと一美さんのどっちに似ているか、私には分からなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



『おーい』


 家に戻り、祐希が寝たことを確認すると、俺は何度も七瀬を呼んだ。

 しかし、返事はない。


『やっぱり、消えちまったか』


 数日前、まだ祐希が事件に巻き込まれる前に会ったのが最後だ。

 その時に、七瀬は言った。


『今夜でボスとも……お別れね』

『消えるのか?』

『えぇ。だから、祐希をお願いね』

『俺に出来ることは……な』

『頼んだわよ』


 透けている七瀬の表情は辛うじて分かる程度だったが、その表情 は笑顔だった。


『最後だから、いろいろと話をしていいかしら?』

『あぁ、いいぞ』


 七瀬は思っていたことを淡々と話し始めた。

 生きていた時のことだ。

 幼馴染の麻衣のことや、親友の一美のこと。

 そして妹の祐希のこと。

 悲しい別れでなく、笑顔で別れようと思っているのか、終始笑顔の七瀬に変な感じだった。


『消えたら、どうなるんだ?』


 素朴な質問をしてみる。


『さぁ、私にも分からないわ。もし、街角で私を見つけたら、また声を掛けてね』

『消えるのに、見つけられるわけないだろう?』

『生まれ変わったりした場合のことよ』

『そこまで長生き出来ていたら、声を掛けてやるよ』

『その時は私も笑って応えてあげるわね』

『お互いに期待せず、その時が来るのを気長に待つとするか』

『そうね』


 一度消えた人間と再度、会ったことがない。

 ただ、俺がそういう経験がないだけで、他の猫たちは再度あっているのかも知れない。

 だから、可能性が少しでもあるような言い方をした。


『そろそろのようね』

『行くのか?』

『えぇ、元気でね』

『元気で……って言うのも変だな』

『そうね。じゃあ――またねってことで』

『おう、またな』


 俺が柄にもなく、人間の真似をして右手を挙げて、七瀬に向かって手を振る。

 七瀬も右手を振り返して、消えていった――。



 呼んでも七瀬が現れることが無いと思いながらも、俺は呼ぶことを止めずに呼び続けた。

 寂しいという気持ちよりはないが、七瀬という存在がいなくなったことへの確認作業だ。

 呼び続ければ、いつものように笑顔で現れるような気がする。

 俺自身、気持ちの整理が出来ていないことは分かっていた。

 七瀬のことは祐希には内緒なので、昼間に話しそうになった時は焦って誤魔化した。

 祐希と関わってから、俺の生活が一変したことが、それよりも少しだけだが人間という生き物に興味を持ち始めていることを感じていた。

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