044話

「ありがとうございました」


 スマホを紛失したが保険に入っていなかったので、新しいスマホを購入することになった。

 痛い出費だったが、必要な物なので仕方ない。

 これで貯金は、ほぼ底をついた。

 一応、美緒ちゃんから返ってくるが、美緒ちゃん曰く経費で落とせるかも知れないと教えてくれた。

 その辺りは良く分かっていないが、美緒ちゃんが言うのであれば問題無いだろう。

 写真などもクラウドに保存していたので、簡単に移行が出来た。

 それだけ使用している容量が少ないということだ。

 楓や葉月にスマホが変わったことを伝えるのが、少しだけ億劫だった。


 マスターの家へ移動するのに、タクシーを利用するしかない。

 交通量に多いショップの前の道だが、この時間に巡回しているタクシーを捕まえるのは難しい。

 とりあえず、電話をかけてタクシーを呼ぶことにする。


「祐希ちゃん。私の両親が近くに来ているので、挨拶したそうなんだけど……」


 ショップで美緒ちゃんのスマホから、通知の音が何回も鳴っていたことは気付いていた。

 それが美緒ちゃんの御両親とは知らなかったが……。

 既に近くまで来ているのに、断る勇気は私には無い。


「うん、いいよ」


 美緒ちゃんに負担を掛けないように、年上として大人の対応を見せる。


「ありがとう。ちょっと、連絡しますね」


 嬉しそうに美緒ちゃんは、御両親に電話をかけていた。

 今いる場所や、これからの予定などを話していたので忙しいなか、私の予定に合わせてくれているのだろう。

 通り過ぎる車に猫のステッカーが貼ってある車が通りすぎ、ボスのことを思い出す。

 今頃、普段通りに寝ているのだろうと……。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 美緒ちゃんが近くの店を予約したというので、その店まで歩いていく。

 歩いて十分程だが、店の名前は”割烹ひな”だ。

 女将”日奈ひな”さんとは数回だが面識がある。

 店でメニューにないパスタを頼む常連客だからだ。

 美緒ちゃんとも面識があると思うが……確証はない。

 最近、ランチの営業を試験的に始めたとは聞いていた。

 美緒ちゃんの御両親も割烹ひなの常連客なのだろう。



「いらっしゃいませ」


 店に着くと、着物姿の日奈さんが出迎えてくれた。

 私は軽く頭を下げる。


「祐希ちゃんも一緒だったのね」

「はい」


 私が日奈さんと知り合いだったことに驚く美緒ちゃんだったが、店に来ていた日奈さんと目の前に居る日奈さんが同一人物だと分かっていないようだった。

 私が説明をすると、美緒ちゃんは驚く。


「久保田様の娘さんだったとは、世間は狭いですね」

「そうですね」


 笑顔で話す日奈さんに、美緒ちゃんも笑顔で返した。 


「すでに久保田様は、お部屋で御待ちになられております」


 私は「待たせてしまった!」と焦る。

 日奈さんは私の気持ちを察したのか、「つい先ほどです」と小さな声で教えてくれた。


「こちらです」


 日奈さんの案内で美緒ちゃんの御両親が待つ部屋へと移動する。

 扉をノックして入室すると、紺系のスーツに身を包んだオールバック姿の男性と、出来る女性を具現化したような女性が座っていた。

 私たちが部屋に入ると、日奈さんが扉を閉めた。

 美緒ちゃんの御両親は立ち上がる。


「この度は、私どものことで巻き込んでしまい、申し訳御座いませんでした」


 最初の挨拶は謝罪から始まった。


「いえいえ、気になさらずに美緒さんたちに危害が無くてなによりです」


 私なりに失礼の無いように慎重に言葉を選ぶ。


「本当にありがとうございます」


 気付くと美緒ちゃんも御両親の横に移動していた。

 三人揃って頭を下げてくれるので、本当に申し訳ない気持ちで一杯になる。


「祐希ちゃん、座ろ」


 重い空気を一掃するかのように、陽気に振舞う美緒ちゃんに感謝する。

 着席しても、美緒ちゃんの御両親は謝罪と感謝の言葉を口にしていた。

 そして、警察に話した事件のことを詳細に教えて欲しいと話す。

 もちろん、私が話したくないことは話さなくてもいいとのことだった。

 私は包み隠さず、警察に話した内容を御両親と美緒ちゃんに話す。

 話を聞く御両親は、私に対して申し訳なさそうな表情だった。

 美緒ちゃんに至っては、自分の代わりに私が酷いことに巻き込まれたと感じたのか、涙目になっていた。


「市長を相手に裁判するのであれば、弁護はさせていただきます」

「ありがとうございます。私としては民事で争うつもりはありませんので、お気持ちだけいただきます」

「そうですか、分かりました」


 市長は悪質な事件だが検察は実刑で進めるようだが多分、執行猶予がつくだろうと本職である御両親の見解だった。

 ただし、息子の竜美は余罪も含めると執行猶予はつかなそうだ。


 食事が運ばれてくると、話は中断する。

 他の人には聞かれたくない内容だからだろう。


「これ、少ないですが……」


 父親が封筒を私の目の前に置く。


「いえ、お気持ちだけで」


 私は断るが、私が受け取るまで、このラリーは続くだろう。


「分かりました。どうも、ありがとうございます」

「こちらこそ、本当にありがとうございました」


 その後は世間話などをするが、事前に私のことを調べていたのか、家族の話や大学の話題はなく、バイトや商店街のことなどが中心だった。

 そして、一美さんと美緒ちゃんと立ち上げた探偵事務所の話へと移っていく。


「何かあれば、私どもが力になりますので、遠慮なく言って下さい」

「ありがとうございます。なにかあった際は、ご相談に伺わさせて頂きます」

「美緒はお役に立てていますか?」


 不安そうに母親が尋ねる。


「はい。美緒さんが居なくては成り立たないです」

「そうですか」


 嬉しそうな表情を一瞬だけ浮かべたのを私は見逃さなかった。

 娘を心配する母親の表情だった。


「御両親が思われているよりも、美緒さんはしっかりしていますし、バイト先での接客もお客様より好評です。自慢の娘さんだと思いますよ」

「祐希ちゃん!」


 御両親の前で褒められるのが恥ずかしいのか、顔を赤らめながら必死で私の発言を止めようとしていた。


「本当のことだよ」


 私の発言に、美緒ちゃんの御両親から笑みがこぼれる。


「美緒は良い友人を持っているようね」

「うん」


 美緒ちゃんは笑顔で即答する。

 仲の良い家族の風景を見ながら、自分にもあった昔のことを少しだけ思い出す。


「今度、西田さんも家に遊びに来て下さい」

「そうね。お姉ちゃんとも会っているし。是非、遊びに来てよ」

「ありがとう。今度、お邪魔させてもらうね」


 私は社交辞令を口にする。

 多分、遊びに行くことは無いと思っていたからだ。


「そうそう、私も猫を飼いたいって、二人に御願いしているの」

「その話は……」


 私を味方につけて話を優位に進めたいのか、家族間でうやむやにしている問題を口にした。


「私が言えたことじゃないけど、生き物を飼うのは大変だよ?」

「うん。それは分かっているつもりだよ」

「家族の協力が無いと難しいよ」

「でも、祐希ちゃんだって――」

「美緒‼」


 美緒ちゃんは、自分の発言が私を傷付けると思ったのか、言葉を飲み込んだと同時に、父親の大きな声が響いた。


「ゴメン、祐希ちゃん」

「いいよ、別に。私は一人だからこそ、生き物を飼う大変さをより知っているつもりだよ。それに保護施設でも厳密な審査があったりしているの。ペットショップみたいにお金を払えば、だれでも購入出来るけど……」


 ペットショップを否定しているわけではないが、保護猫の審査は厳しい。

 それは、本当に猫の幸せを考えている裏返しだと思っている。

 そのことを考えると、簡単に購入出来るペットショップとの差を、どうしても考えざるえなかった。


「本当に飼いたいなら、御家族の協力は絶対に必要だよ。家族として迎え入れるんだから」


 私が美緒ちゃんに諭すように話すと、私の話に感銘を受けたのか父親がゆっくりと口を開いた。


「西田さんの言われる通りだ。私たちは、あまり家にいない。猫を飼うことに反対はしないが、一匹で家に居るのは寂しいだろう」

「じゃあ、二匹にすれば、寂しくないでしょう」

「いや、そう言うことじゃなくてだな」


 父親は私の手前、苦笑いをしていた。

 本当なら叱りたいのだろうと、胸中を察した。


「その……犬は人に付き猫は家に付くという言葉がある通り、飼い主に忠誠心を誓う犬と違い、猫は居心地のよい空間で自由気ままに過ごします。御両親が不在でも、躾がきちんと出来ていれば問題無いかと思いますよ」

「そうなのですか⁈」


 初耳かのように驚く二人を見て、私は美緒ちゃんに顔を向ける。

 多分、詳しい話さえ出来ずに門残払いされていたのだろうと顔を見て感じた。


「猫の掛かる費用は私が出すから……」


 必死で訴える美緒ちゃん。

 多分、この機会を逃したら猫が飼えないと思ったのだろう。


「その……差し出がましいですが、保護猫の場合、トライアルというシステムがあります。美緒さんの本気度や、御心配を払拭されるのには良いシステムだと思いますよ」


 御両親は顔を見合わせる。


「無理だと思ったり、施設の人が相応しくない環境だと判断されれば、譲渡はされません。なんでしたら、家族として迎え入れる猫を美緒さんと一緒に選んでは如何でしょうか?」

「そうですね……」


 父親は考え込む。


「西田さんが、そこまで言われるのであれば一考するのもありですね」


 母親の言葉に、美緒ちゃんが満面の笑みを浮かべた。


「譲渡会ってのがあって、そこで気に入った仔を伝えるの」


 美緒ちゃんの情熱に私も驚かされる。

 ma couleurマ・クルールでは猫を飼いたいという話を聞いたことが無かった。

 多分、私に話そうとして、何度も止めたのだろう。

 それだけ美緒ちゃんが、真剣に考えているのだと思う。


「その譲渡会ってのは、いつなんだ?」


 父親の言葉に、美緒ちゃんはスマホで検索して、日時と場所を伝える。


「分かった。その日は予定を入れないようにする。史緒里にも伝えておこう」

「お父さん!」


 前向きな回答が余程嬉しかったのか、美緒ちゃんは立ち上がり叫んだ。

 私は美緒ちゃんに、譲渡会の情報を聞く。

 一概に譲渡会と言っても、幾つもの団体があるからだ。

 スマホの画面を確認すると、懇意? いや、親交のある杉本さんや池崎さんの保護団体だった。

 美緒ちゃんも知っていたうえで、この譲渡会を選んだのかも知れない。


「一応、懇意にさせて頂いている保護団体なので、私も同行しましょうか?」 

「そうですね。美緒から西田さんは猫と会話が出来ると聞いていますので、御願いできますか」

「はい」


 隣の美緒ちゃんが「ありがとう」と目で訴えているのを感じた。

 ただ、弁護士という職業なのに猫と会話出来るという常識では考えられないことを信じているとは思えなかった。

 私を頭のおかしい人間だと思われても仕方がないのに……。


 美緒ちゃんは上機嫌のまま、話を進める。

 そして、最後のデザートが運ばれて、食事会が終了する。

 私は御両親とは別れて、マスターの家に向かおうと考えていたが、美緒ちゃんの一言で、マスターの家まで送ってもらえることとなった。

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