036話

「祐希ちゃん、遅いね」

「そうですね」


 休憩から戻って来ない祐希ちゃんをマスターも心配していた。

 いつもなら、休憩時間前に戻って来て、すぐに私と交代をしてくれる。


(どこか寄り道しているか、知り合いに会って話が弾んでいるのかな?)


 祐希ちゃんのことが気になりながらも、平常を装いながら仕事を続けた。

 マスターが何度も祐希ちゃんに電話をするが、コール音だけがする。


「もしかして、事故にでも‼」


 マスターが悪い方へと思考を変える。

 しかし、それは私も頭の片隅で考えていたことだ。

 もし事故であれば救急車の音が聞こえるはずだ。

 休憩中なので、歩いていける距離も知れている。


「あれって、ボスじゃない?」


 常連客のサラリーマンが外から扉を引っ掻くボスに気付く。


(どうして、ボスだけ……)


 私はすぐに扉を開ける。


「ボス! 祐希ちゃんは?」


 言葉が通じるはずがないと分かっていたが、ボスに話し掛ける。

 ボスも一所懸命走って来たのか、呼吸音が激しい。

 猫は瞬発性に優れているが、長距離を走るように体が出来ていない。

 あきらかに祐希ちゃんに何かあったことが、ボスからも感じ取れた。


「はい、お水」


 マスターが厨房から、ボス専用の水皿に水を注いで持って来てくれた。

 水皿を置くと、ボスは何度も何度も舌を出して水を飲んでいた。


「やっぱり、なにかあったんだね」

「そうですね。リュックにいたボスが勝手に飛び出すことは考えにくいですし」


 なにかの拍子でボスが、リュックから飛び出してしまい、祐希ちゃんが今もボスを探していることも考えられるが、それだとマスターからの電話に出ないのは不自然だ。


「にゃぁ~」


 水を飲み終えたボスが、私の顔を見ると数メートル走って振り返る。

 私が足を出すと、ボスは又走った。

 まるで「着いて来い」と言っているようだった。


「美緒ちゃん。こっちは気にしなくていいから」


 マスターもボスの行動が分かったのか、祐希ちゃんの身を第一に考えてくれた。


「はい、分かりました」


 私は小走りでボスの後を追う。

 ボスを追う私の姿を見知らぬ人たちは不思議そうに見ている。

 反対に知り合いの人たちからは、祐希ちゃんじゃなく私がボスといることを不思議そうに見ていた。


「よっ、メイド2号さん‼」 


 何度か、ma couleurマ・クルールに来たことがあるお客さんに声を掛けられた。

 最近、私を”メイド2号”と呼び、祐希ちゃんを”メイド1号”と呼ぶお客さんの集団がいる。

 別に実害があるわけでなく、お店でも迷惑行為をする訳でないので、注意はしていない。

 被害があるようであれば、警察に相談しようと一時は閉店後の店で考えたこともある。


「祐希ちゃん……私と一緒に働いているメイドさんを見ませんでしたか?」

「メイド1号さんなら、さっき変な連中と大通りの方に向かって歩いていたよ」

「変な連中ですか?」


 私は胸騒ぎがした。いつもの祐希ちゃんなら……私の知っている祐希ちゃんなら、そんな人たちと交流があるはずがない。

 やはり、なにかの事件に巻き込まれたのかもしれない。

 その後も、ボスの後を追うと祐希ちゃんの目撃情報を入手できた。

 ツインテールのメイドの後ろに、顔を隠すような帽子とサングラスにマスク姿の男。

 男性だと言ったのは、背格好と服装から目撃者は男性と話していたからだ。

 大通りに出ると、右に行ったのか左に行ったのか分からないが、ボスは覚えていたのか、迷わずに左へと走って行った。

 私が歩いて距離を縮めても、ボスが動かなかった。

 近付くと、ボスが入っていたリュック。

 つまり、祐希ちゃんのリュックが街路樹の下に落ちていた。


「どうして……」


 祐希ちゃんのリュックを拾おうとすると、ポケットから振動と音が鳴る。

 マスターか祐希ちゃんからかと思い、急いでスマホを取り出す。

 しかし、スマホの画面に映っていた名前は……”お父さん”だった。

 何故、父親が私に電話など? と思いながらも電話に出る。


「もしもし」

「美緒。今、何処に居る?」

「バイト中? だけど、どうかしたの?」

「いいや、無事なら大丈夫だ。やはり、悪戯か」


 電話越しにも父親から安心しているのが分かる。


「悪戯って?」

「あぁ、会社に娘を誘拐したと電話があってな。史緒里も無事なことを確認したところだ」

「それって……相手からの要求は?」

「それが以前、市長の顧問弁護士だったんだが、胡散臭いことが多くて、契約を継続しなかったんだ。今回の逮捕をきっかけに私の事務所に弁護するようにと、依頼があったが当然断ったのだが、それが気に入らなかったようだ」


 両親の弁護士事務所は、それなりに有名な事務所だということは娘の私でも知っている。

 世間的に言う敏腕弁護士が多数所属している。

 上手くいけば、自分たちが無罪になると思い、今の顧問弁護士よりも両親たちに依頼をしたのも頷ける話だ。


「ちょっと待って、娘を誘拐したと言われたの?」

「あぁ、だが美緒も史緒里も無事だから、市長に関係している人間からの悪戯だろう」

「多分……私の友達が私と間違われて、連れ去られたかもしれない」

「えっ、どういうことだ?」


 私は父親に、現在の状況と私の推測での話を伝えた。


「それは放っておけないな。信用出来る知り合いの刑事に相談してみる。美緒の方も、信用出来る人間以外に、このことを話さないように」

「はい」

「人違いに気付いた犯人が戻って、美緒を誘拐することも考えられるから、事務所の人間を迎えに行かせるから」


 父親との通話を終えると、私は祐希ちゃんのリュックを拾い、ボスを中に入れる。

 そして、散らかっていた荷物を拾いリュックに詰めると、急いでma couleurマ・クルールへと戻った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ma couleurマ・クルールに戻ると、祐希ちゃんのリュックを背負っていることに気付いたマスターと目が合う。

 私は入り口でリュックからボスを出すと、報告をする為マスターの所へ行く。

 

「それって‼」

「すみません。全部、私のせいです」

「いやいや、別に美緒ちゃんのせいじゃないよ」


 マスターは慰めの言葉を言ってくれるが、祐希ちゃんは私と間違えられたのは間違いない。

 それに私が祐希ちゃんをツインテールにしたことが、今回の原因の一端になっていた。

 自分でも責任を感じていることをマスターは感じ取っていたようだ。


「とりあえず、休憩に入っていいよ」

「いいえ、私は大丈夫です」

「いや、でも――」

「お客さんが少ないときに、休憩しますから」

「うん、分かった。ゴメンね」

「いいえ」


 私が休憩に入ると、フロアにマスターが出ることになる。

 厨房で料理しながら、フロアの仕事もするには、ランチを提供している時間なので、負担も大きい。

 混雑の時間が過ぎれば、店内でも休憩しながら仕事することが出来る。

 しかし、仕事をしながらも頭から祐希ちゃんのことが頭から離れなかった。

 マスターも顔には出さないが、私と同じように気にしているのがよく分かる。

 両親の弁護士事務所に、犯人から連絡があったのかも気になっていた。


「いらっしゃいませ」


 扉の開く音で私は振り返る。

 そこには知った顔の男性が立っていた。

 私が近寄ると男性は周囲を気にするように、懐から手帳を出して私に見せた。


「N県警の賀来です。久保田 美緒さんですね」

「はい」


 長身の刑事が私が”久保田 美緒”かを確認した。

 周囲を気にしていたのは、自分が刑事だと気付かれないように気を使ってくれたようだ。

 私もお客さんとして、席へと誘導する。


「御父様の弁護士事務所から警察に通報がありました」

「私の代わりに、友人が誘拐されました」


 お客さんが少ないとはいえ、会話を聞かれないように自然な感じで話す。

 一応、面識のないお客さんがいるので、もしかしたら犯人なのかも知れない。

 警察に連絡したことを勘付かれないように、周囲を気にする。


「外の私服警官を何人か配置しています」


 注文された珈琲を持っていくと、小声で話をされた。

 そして、会計の際に次に入って来るお客さんの特徴を短い言葉を口にする。

 それが外で待機している刑事の特徴を教えてくれて、入れ替わり店に入るようだ。

 私の安全を確保するより、祐希ちゃんがどうなっているのかを聞きたかった。

 それに父親からも連絡は無い……。

 迎えも事務所の人だと言っていた。

 やはり、私より優秀なお姉ちゃんを――。



 ma couleurマ・クルールの閉店時間に合わせたかのように、両親の弁護士事務所の人が私を迎えに来た。

 念のため、マスターの帰りにも警察が分からないように護衛をするそうだ。


「あれから、どうなりましたか?」

「特に進展はありません。警察が事務所に待機しているくらいです」


 犯人から再度、連絡来るのを期待して張り込んでいるようだ。

 ただ、最初の連絡以降、犯人からの接触は無い。

 私に自宅にも警察が犯人か張り込んでいるようだ。

 祐希ちゃんを、それだけの事件に巻き込んでしまった。

 なにより祐希ちゃんの安否が気になる。

 今の私には祈ることしか出来ない――。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             


 家に入ると、玄関に見慣れない靴が何足か並んでいた。

 リビングに行こうとすると、私の帰宅に気付いた母親と姉が玄関まで走って来た。

 私の顔を見ると安堵の表情を浮かべる。

 二人の表情を見て、私は胸が締め付けられる感覚になる。

 そして、巻き込んでしまった祐希ちゃんへの最悪感がより一層強くなった。

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