031話

 俺は初めての家に足を踏み入れて、周囲を散策する。

 ここはマスターと一美の家らしい。

 俺以外の猫の匂いがする。

 祐希が言っていた、この家の猫たちだろう。

 キャットタワーと呼ばれる上の方に子供の猫が二匹居る。


(……あいつらか)


 俺は一瞬だけ、二匹の猫に視線を送ると、体を硬直させていた。

 別に威嚇したわけでもないが、余所者を良く思わない心情はよく分かる。

 一応、刺激を与えないようにと俺なりに気を使い、散策を続けた。

 散策と言っても、寝心地の良い場所を探すのが目的だ。

 他の部屋に行けば、この部屋よりもより良い場所が見つかるかも知れない。

 だが、俺はこの部屋にこだわる。

 なぜなら……美味そうな匂いが充満しているからだ。

 そのうち、この美味い物が食べられると考えている……が、食欲には勝てないことに気付く。


『祐希‼』


 俺は祐希を呼んだ。


『なに?』

『腹減った。おやつを食わせろ』

『家を出る前に食べたよね?』

『あぁ、食べたぞ。だが、腹が減ったんだから、仕方がないだろう』


 この匂いの正体は分からないが、祐希がおやつを持って来ていることは知っていたので、先におやつで空腹を紛らわせることにした。


『もう少ししたらね』

『ちっ‼』


 祐希にあっさりと断られる。

 食べられると思っていただけに、余計と腹がすく。

 仕方がないので祐希の機嫌を取り、おやつを確保する作戦に変更する。


『あれが言っていた奴たちか?』

『うん、そうよ。仲良くね』

『分かっている』


 俺はキャットタワー上にいるオレオとノアールの方を見て、祐希と話す。


(……)


 思惑は外れた。

 あいつらの話題になれば、おやつを出して俺の所へと導くかと思っていた。

 おやつを諦めた俺は、キャットタワーにいる猫たちから視線を外す。


(ここらだな)


 日当たりが良く、床も程よく温まっている場所を見つける。

 俺はそのまま、段通りに丸くなって寝る体勢を取った。

 もちろん熟睡するわけではないので、周囲を警戒していると、祐希がキャットタワーに移動したのか、猫たちと会話をしているようだった。



 暫くすると、キャットタワーから下りる音がした。

 俺が寝たことで、あいつらが移動したのだろう。

 その足音が近づいて来る。

 耳だけ足音の方向を向けるが、俺は優しい猫なので知らない振りをしてやることにした。

 大人の余裕ってやつだ。


『ボス!』

『ん?』


 祐希が俺に話し掛けるので、面倒臭そうに答えるふりをする。


『オレオとノアールが挨拶をしたいんだって』

『あぁ』


 俺は欠伸あくびをしながら立ち上がった。

 オレオとノアールと呼ばれた二匹は、俺に緊張しているのか、尻尾を丸めて委縮している。


『こっちが私の猫でボス……』

『おい!』

『なに?』

『俺はお前の猫じゃなくて、お前が俺のメイドなんだろう? きちんと説明をしろよ』

『……』


 祐希の説明が間違っているので、俺は指摘した。

 俺は祐希の飼い猫でなく、俺が祐希と一緒にいてやっているだけだ。

 それに主人は俺で、俺の世話をしている祐希はメイドだ。

 前にも言ったはずだ。

 何度も間違える祐希に俺は呆れていた。


『私がお世話をさせて頂いている御主人様のボスです』

『おぅ、そうだ』


 祐希が不機嫌そうな表情で、二匹の猫たちに訂正する。


『こっちの子がオレオ。こっちの子がノアールよ』

『おう、今日は邪魔してるぞ』

『は、はい‼』

『その……お話などをさせて貰ってもいいでしょうか⁈』

『あぁ、構わんぞ。その前に腹ごしらえだ。祐希、こいつらと一緒に飯を食うから持って来い』

『……はい、分かりました』


 この状況で祐希が断ることは無い。

 若干、作戦とは違っていたが結果は同じなので良しとしよう。


『ボスと呼ばしていただいていいですか?』

『あぁ、いいぞ。俺もオレオとノアールと呼ばさせてもらう』

『はい‼』


 オレオとノアールは大きな声で返事をした。


『早速ですが、質問をしてもいいですか?』

『おう、なんだ?』

『さっき、話しにあったメイドって……なんですか?』

『あぁ、それか』


 俺はメイドについて説明をする。

 もちろん、俺と祐希の関係性も含めてだ。


『それだと、あの人たちもメイドってことなのかな?』

『うん、そうなるね』

『あの人たちって、マスターと一美のことか?』


 俺がマスターと一美の名前を出すと、オレオとノアールは不思議そうな顔で俺を見た。

 仕方がないので俺が、マスターと一美のことを教える。


『へぇ、そうなんだ』

『流石はボス、物知りですね』


 褒められるが祐希が居なければ、俺だって知らなかったことだ。

 オレオとノアールは、マスターと一美の名前を覚えたので今よりも親しみやすくなっただろう。

 しかし、マスターと一美がメイドか? と聞かれれば、俺は違う感じがした。

 たしかにオレオとノアールの世話などはしているが、俺からすれば子供の世話をしている親のように感じていたからだ。

 そのことはオレオとノアールも分かっていたようだ。

 以前に生活していた場所でも、マスターや一美のように、いろいろと世話をしてくれる人間がいた。

 そいつらと同じだと言っていた。

 話を聞いていると、俺と祐希の関係とは全然違うことに気付く。


(……もしかして、俺と祐希の関係が特殊なのか?)


 当たり前だと思っていたことが、実は特殊だったのではないかと考える。

 しかし、考えたところで俺と祐希の立場が変わることが無いので、特殊だろうが今の関係で問題無いという結論に辿り着いた。


『おっ、この匂いは‼』


 俺は匂いの方向を向く。

 いつもの飯ではなく、美味い飯だ‼

 俺は期待しながら、飯を運んでくる祐希を待つ。

 俺は余裕の態度を、オレオとノアールに見せる。

 食い意地が張って、焦る素振りは見せない。

 俺とは対照的に、オレオとノアールは嬉しそうに祐希の足元へと駆け足で寄って行った。

 祐希は俺より先に、オレオとノアールに飯を与えていた。

 しかし、祐希が俺の飯を運んでくると何故だか、オレオとノアールも祐希と一緒に着いて来た。


『はい、ボスの御飯』


 俺は器の中身を見て愕然とする。


『……おい』

『なに?』

『美味い飯じゃないのか?』

『美味い飯? ……あぁ、それはオレオとノアールの御飯よ』

『なんだと‼』


 俺は思わず声を上げた。


『俺のは……ないのか?』

『うん、ないよ』


 即答する祐希に怒りさえ感じていた。

 その様子をオレオとノアールが見ていることに気付く。

 みっともない姿を見せるわけにもいかないので、俺は仕方なく出されたカリカリの飯を食べることにした。

 俺が食べ始めるとオレオとノアールも、いつもの定位置に移動して飯を食べ始めていた。

 以前に祐希が言っていた「客人にはいい物を出す」というのは嘘なのか? と問いだ出したい気分だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



『くそっ!』


 本能に逆らえない自分が、つくづく嫌になる。

 祐希は”猫じゃらし”と呼ばれる魅惑の武器を手にして、嬉しそうに笑っている。

 まるで俺をあざ笑うかのようだ。

 上下左右に動かされる猫じゃらしに、自然と体が反応してしまう。

 俺が太り過ぎだからと、運動するために購入したらしいが、俺にすれば余計な御世話だ。

 食べて寝るだけの生活に満足しているからだ。

 太っているから動きが鈍い訳では無い。

 祐希曰く、俺は”動けるデブ”だと言っていた。

 意味は分からないが誉め言葉だと思うので、その称号を受け入れた。

 しかし、オレオとノワールたちの動きに比べたら、たしかに動きが鈍い気もする。

 幸いにも体格とポジション取りが良かったせいか、俺が一番動いていた……はずだ。


『こっち、こっち』


 今まで立っていただけの祐希が猫じゃらしを持って、部屋の中を移動し始める。

 さすがに体力を消耗しすぎた俺は突然、冷静になる。

 俺の本能が『これ以上、動いては駄目だ‼』と言っているようにも思えた。

 無邪気に遊ぶオレオとノアールを横目に、俺は祐希に背を向ける。

 オレオとノアールに遊びを譲った大人の余裕を見せつけて、俺は水飲み場までゆっくりと歩いた。

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