027話
二月に入ったが、忙しさが収束することは無かった。
いや、忙しさが増したと言った方が正解だろう。
店内に入れないため、数人の行列ができることも珍しくない。
最初は物珍しさもあったが、マスターの料理に惚れた人たちがランチを食べに来てくれる常連となっているのは個人的にも嬉しいことだった。
大学も春休みに入っている所もあるのか、平日のモーニングでも若い人たちが来店してくれている。
SNSで拡散されているのか、ボス目当てのお客と私のメイド服が目当ての男性とで、二極化していた。
隠し撮りしたり、マナーの悪いお客さんがいないのは唯一の救いだった。
そして今日、その忙しさに隠れるようにひっそりと営業を開始した”かぎしっぽ”だった。
当然、宣伝をしている訳でも無いので依頼がある訳でも無い。
違うのは、隠すかのように探偵事務所の資料が書類棚の中に仕舞ってあることくらいだった。
マスターもオレオとノアールの近況報告をきちんとしている。
多分、大きな問題もないので正式に家族として迎え入れることになるのだと思う。
私はお客さんを見送ると同時に、並んでくれている方たちを店内に案内する。
(あれ?)
案内しようとしたお客さんの後ろに、またたび園の店長でもある池崎さんが並んでいた。
隣にはモデルのような女性がいる。
私は軽く頭を下げて、お客さんを店内に案内した。
とりあえず、マスターに報告をすると、マスターも驚いていた。
オレオとノアールの譲渡だったら、
気になりながらも私とマスターは店内で仕事をする。
「お待たせしました」
私は池崎さんに声を掛けて、店内へと案内する。
隣の女性は私を見ながら微笑んでいるようにも思えた。
席に着くと池崎さんが、私に女性を紹介してくれた。
またたび園のオーナー”
「あっ、オレオとノアールは元気で過ごしています」
私はマスターと一美さんに変わって、悪い印象を与えないようにと話す。
「はい、それは池崎から聞いております。なんでも初日からケージを飛び出して遊んでいたそうですね」
「はい」
「あそこで寝ている猫がボスですか?」
「はい、触っても大丈夫ですので触られますか?」
「お願いしようかしらね」
「はい、分かりました」
普通ならボスを呼んだりしないが、相手がまたたび園のオーナーであれば、忖度しても問題無い。
『ボス、こっちに来て』
私がボスを呼ぶと、ボスは面倒臭そうに起き上がり、カウンターから飛び降りて重い足取りで歩いて来た。
その歩くボスの姿に、女性客たちはスマホでボスを撮影していた。
足元まで歩いて来たボスを私は抱き抱えると、杉本さんに見せる。
「ふふっ、本当に猫と会話が出来るようのですね」
「いえ、そんなことは……」
私は必死で誤魔化す。
ボスを迎えに行って抱き抱えて戻ってこればよかったと、猛烈に後悔もしていた。
「どうも、ボスちゃん」
杉本さんはボスの頭周りを撫でる。
やはり猫の扱いに慣れているのか、ボスは気持ちそうな表情を浮かべていた。
「ありがとうございます」
時間にして数十秒だったが、ボスを触って満足したようだった。
「では、御注文がお決まりになりましたら、お声を掛けて下さい」
「はい、分かりました」
私はボスを抱えて戻ろうとすると、女性客たちの視線が集まっていることに気付いた。
「さ、触られますか?」
私はテーブルを回り、ボスを撫でるかを聞いて回った。
殆どのお客さんはボスを触る。
特にたるんだお腹周りを触ると喜んでいた。
ボスもまんざらでもないのか、この後に美味しいおやつが待っていると知っているのか分からないが抵抗することなく、されるがままだった。
念のため私は、「これは特別サービスです」と付け加えて、通常ではないことを強調した。
「遅くなりました」
裏口から美緒ちゃんが入って来た。
大学が春休みの間、
同時にかぎしっぽの対応もする予定だ。
美緒ちゃんがバイトに入ってくれることで、私もマスターもかなり助かっている。
私が洗い場に入ることで、マスターへの負担もかなり減るからだ。
洗い物を終えると私もフロアに戻る。
「あっ、祐希ちゃん。これ、渡しておきます」
美緒ちゃんは奥の部屋から小さな箱を持って来て、私に手渡す。
「かぎしっぽの名刺です。一応、ロゴも入れてあります」
「ありがとう」
そういえば、名刺を作っていることを、すっかり忘れていた。
私は箱から名刺を一枚取り出して、自分の名前が書かれた名刺を見る。
生まれて初めて作った名刺だからか、少しだけ感動している。
「すみません」
「あっ、はい」
声を掛けたのは池崎さんだった。
美緒ちゃんより私のほうが近かったので、私が対応をする。
「はい、なんでしたでしょうか?」
「今、会話されていた”かぎしっぽの名刺”ってなんですか」
「あっ、それは……ですね」
池崎さんたちの席と距離は離れていないので、美緒ちゃんとの会話を聞かれていたのだろう。
「あのですね……副業として開業した迷い猫専門の探偵事務所のことです」
「えっ、そんなことまでしているんですか!」
「まぁ……ここの仕事が終わってからですけど」
池崎さんと杉本さんは顔を見合わせていた。
「詳しいことを聞かせて頂いても宜しいでしょうか?」
杉本さんの目つきが変わった。
私は嫌な予感しかしなかった――。
当然、断ることも出来ないので美緒ちゃんを呼ぶ。
「そのこちらのお客様が”かぎしっぽ”について、詳しく説明を受けたいそうです」
「そうですか。承知しました。用意をしてきますので、少々御待ち頂けますでしょうか」
美緒ちゃんは必要な書類を持ってくるために戻る。
戻った時に、マスターに声を掛けていたので、”かぎしっぽ”の仕事が入ったことを理解したようだった。
私は気になりながらも本来の
時折、横目で見たり、声が聞こえたりするが美緒ちゃんは学生なのに、しっかりと受け答えをしているようだった。
私のほうが年上なのに……と自己嫌悪に陥っていた。
「祐希ちゃん!」
美緒ちゃんから声を掛けられる。
どうやら、説明が終わったようだ。
「杉本様と池崎様がお帰りになられるそうなので、御挨拶をしたいとのことです」
「あっ、はい」
丁寧な口調の美緒ちゃんに対して、思わず敬語で返してしまう。
緊張しながら杉本さんと池崎さんと名刺交換をする。
この作業も生まれて初めてなので、何が正解なのかさえ分からずにいた……。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「ありがとうございます」
「こちらの方も、なにかあればご連絡させていただきます」
「はい、宜しく御願い致します」
杉本さんが私の名刺を見せながら、笑顔で話してくれるので、私は頭を下げる。
しかし、依頼が無いに越したことは無い。
それに保護猫活動をしている人たちが、私に依頼をすることなど無いと思っている。
あくまで社交辞令なのだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうでしたか?」
帰りの車中で池崎は運転しながら、助手席に座る杉本に話し掛ける。
「そうね……信じられないけど、会話というか意思の疎通は出来ているように感じたわ」
「僕も同意見です」
「面白い子を見つけたわね」
杉本は祐希の名刺を見ながら笑う。
「少し、あの子とのことを調べてみようかしら」
「それはオーナーとしてですか? それとも個人的にですか?」
「そうね――どちらもって感じかしら」
「猫と会話が出来るのであれば、うちのスタッフとして、本当に欲しい人材ですよ」
「そうね。ただ、その能力が永遠に続くとも限らないわよ」
「たしかに、そうですね」
杉本を横目で見た池崎は、寂しそうな表情を浮かべる杉本が気になった。
「オーナーは何か知っているんですか?」
「何かって、何?」
「その猫……というか、動物と話せる人間がいることについてです」
「何も知らないわよ。この西田さんだって、本当に話せるかの確証までは至っていないしね」
「そうですね」
「まぁ、広い世界には私たちでは知りえないような不思議な現象があることは信じているわよ」
「UFOとか妖怪とかですか」
「そうそう」
車中に笑い声が響いていた。
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