025話

「休みなのにゴメンね」

「いいえ、構いません」


 私はマスターの自宅前で、マスターと会話をする。

 一美さんは家で待っているようだった。


「大きい家ですね」


 私はマスターの自宅を見た感想を告げた。


「まぁ、昔からの家だからね。母屋には僕の両親が住んでるんだ。僕たちの家はあっちだよ」


 マスターが指差す方向には二階建ての家が建っていた。


「僕たちは同居でも良かったんだけど、両親が一美さんに迷惑が掛かるからって、別に家を用意してくれたんだよ。まぁ、店を継いでくれたお礼だと本人たちは言っていたけどね」

「そうだったんですか。マスターの御両親もお孫さんの誕生を楽しみにしているんでしょうね」

「うん、初孫だしね。一美さんも僕の両親と良好な関係を築いてくれているから感謝しか無いよ」


 マスターは嬉しそうに話す。


「じゃ、とりあえず中に入ろうか」

「はい」


 私はモンキーを押しながら、マスターの言わる場所にモンキーを停車させてから、家の中に入る。


「お邪魔します」


 家の中は、まだ新築のいい匂いが漂っていた。


「いらっしゃい、祐希ちゃん」


 一美さんが迎え入れてくれた。


「お邪魔します」


 私は同じ言葉を口にする。

 今度は一美さんの案内でリビングに移動する。

 物が少ないからか、広く感じる。

 なにより奇麗なリビングだ。


「一応、ケージはこれを買ったんだけど、どう思う」


 一美さんが指差すまでもなく、視界に入っていた三段のキャットケージが二つ。

 そして、窓際とケージの横にキャットタワーが置いてある。


「いいと思いますよ」


 正直、キャットケージが二つ必要かは分からなかったが、多い分には問題無いだろう。


「これ、ボスが来た時に購入したクッションよ」


 一美さんは猫用のクッションを見せてくれた。

 家のも同じようなものがある。


「ボスは入りましたか?」

「えぇ、ここで寝ていたわよ」


 家のクッションは気に入らないのか、別のクッションの方が良いのか分からないが、同じような形状のクッションでボスが寝ている姿を見たことが無い。

 ある意味、私は少しだけショックを受けていた。


「あっ! これ、良かったらマスターと食べて下さい」


 私はリュックから一美さんに土産を渡す。


「もう、祐希ちゃんたら気を使わなくてもいいのに」


 一美さんは笑う。


「有り難く頂くわね」


 暫くするとマスターが戻ってきた。

 何処に行っていたのか分からなかったが、母屋の両親の所に行っていたようだった。


「これ、祐希ちゃんから頂いたわよ」

「えっ! なんか気を遣わせちゃって申し訳無いかったね」

「いいえ。心ばかりですがお召し上がりください」


 マスターが申し訳なさそうに話すので、私も気を遣わせないように返事をする。


「そろそろね」


 一美さんが壁の時計を見て、時間を気にしていた。

 その時、マスターの携帯電話が鳴った。

 電話の相手は、またたび園のスタッフのようだ。

 マスターの話す声に一美さんも緊張をしているのが伝わる。

 私にも緊張が伝染したのか、心臓の鼓動が早くなっていた。


 マスターが外に出ていって数分後、玄関で話し声がする。

 スリッパの音が近づき、リビングの扉が開くとマスターの後ろから、キャリーケースを持った店長の池崎さんと、譲渡会で担当してくれたスタッフの中山さんだった。


「どうも、ありがとうございます」


 私と一美さんも二人に挨拶をする。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 池崎さんと中山さんは、笑顔を返してくれた。


「いい環境ですね」


 部屋を見渡した池崎さんがマスターに話しかける。


「とりあえず、揃えただけですので……」


 マスターは恥ずかしそうに答える。


「それじゃ、早速失礼しますね」


 池崎さんはケージの前に移動すると、キャリーケースを床に置いた。

 ケージの入り口を開けると、キャリーケースに被せてあった布を取る。

 そして、キャリーケースからオレオとノアールを取り出して、ケージの中に入れた。

 入り口は空いたままだが、二匹とも怯えるようにケージの隅で丸くなっていた。


「これ、オレオとノアールのトイレの砂を少しだけ持ってきましたので、混ぜさせてもらいますね」


 中川さんがビニール袋に入った猫砂をケージの中にあるトイレに入れた。


「緊張していますね」


 慣れた様子の池崎さんはケージの中のオレオとノアールを見ていた。

 池崎さんと中山さんは、家に置いてあるトイレの場所をマスターに尋ねていた。

 階段横に残りの一つが設置してあるとのことだったので、池崎さんと中山さんを連れて、トイレのある場所へと出て行った。


「祐樹ちゃん。猫ちゃんたちの緊張を解いてあげて」


 一美さんが冗談っぽく私に話すので、私はオレオとノアールに話しかける。


『こんにちは』

『この間の言葉が分かる人だ!』


 一応、私のことを覚えてくれていたようだった。


『ここはどこ?』

『君たちの新しい家かな?』

『怖くない?』

『怖くないよ』

『本当に?』

『うん。無理にとは言わないけど、危険はないから出たくなったら、いつでも出ていいからね』

『……うん』


 やはり、新しい環境に適応できていないのか、部屋の中を確認したりしている。

 一美さんはお茶の用意をしながら時折、私の様子を遠くから見ていた。

 しかし、一美さんは私が猫と話が出来ることを、どこまで信じているのだろうか?

 気にはなっているが、怖くて聞けないでいる。


 マスターたちが談笑をしながら戻って来た。


「では、これからの流れを説明させていただきますね」


 池崎さんは、トライアルから譲渡までの流れを詳しく説明を始めた。

 一美さんが飲み物を用意するので手伝おうとしたが、マスターと一緒に話を聞いていて欲しいと言われたので、マスターの横に座り説明を聞く。

 説明の中でアレルギーのことや、母屋に住まわれているマスターの御両親のことなどの質問もあった。

 別棟とはいえ、御両親が猫を迎え入れることに抵抗があったりすると、トラブルの元になるので、御両親には合意が取れているかだった。

 以前にトラブルがあったのだと教えてくれた池崎さんたちも、慎重になっているようだった。


「両親も賛成してくれていますので問題ありません」


 マスターは力強く答える。


「分かりました」


 池崎さんは慣れるまで、無理やりケージから出さないことなど細かいことも説明してくれていた。


「て、店長……」

「ん、どうした?」

「あ、あれ――」


 中山さんが指差す方向には、ケージから出てキャットタワーに上るオレオとノアールの姿があった

 その光景に池崎さんは驚いていたが、マスターは喜んでいた。


「そんな……」

「珍しいのでしょうか?」


 あまりに驚く池崎さんと中山さんに、マスターが恐る恐る質問をした。


「えぇ、猫は警戒心が強いので、そう簡単に新しい環境に適応しないんですよ」

「私も初めて見る光景ですよ」


 信じられないのか……呆然とキャットタワーで遊ぶオレオとノアールを見ている。


「祐希ちゃんのおかげね」


 飲み物とお茶菓子を持ってきた一美さんが笑顔で話すと、池崎さんと中山さんが揃って私を見る。

 

「そういえば、猫の鳴き声が上手かったよね?」

「え、えぇ……それなりに」


 私は苦笑いをしながら答える。

 オレオとノアールは、私を信じてくれたのかと思いながらも、これからもマスターと一美さんに可愛がって貰える人生になるのだと感じていた。

 気になるのはボスとの関係だけだが――。


「そのフードは、これで良かったでしょうか?」


 マスターはスマホから、購入したキャットフードを見せる。


「はい、同じですね。ただ、これでなくても大丈夫ですよ。徐々に割合を変えて食べるようであれば問題ありません」

「猫にも好き嫌いがあるので、気に入らないのは食べないんですよ」

「そうなんですか……」

「一応、少しですがオレオとノアールが食べていたキャットフードを持ってきましたよ」


 またたび園で食べていたキャットフードを、マスターは中山さんから受け取る。

 マスターは中山さんに、他のおすすめキャットフードを聞きながらメモをしていた。

 一通り説明を受けてから、マスターは仮里親契約書にサインをしていた。

 これで正式にオレオとノアールのトライアルが始まった。

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