019話

――ma couleurマ・クルールの取材当日。


 一応、お客さんには取材されることは口外していない。

 マスター曰く、「別に言うことでもない」とのことらしい。

 タウン誌に掲載されれば分かることなのだから、敢えて言う必要が無いと考えているのだろう。

 朝からマスターも一美さんも緊張しているのが、私だけでなく常連客である飯尾さんや藍木さんも違和感に気付いていた。

 時々、鋭い観察眼を発揮する飯尾さんが私に質問をしてくるが、知らない素振りで返す。

 一美さんは家にいても落ち着かないからと、店に来たが落ち着かないと言いながらもボスに話し掛け続けていた。

 ボスも聞いてはいるのか、目を瞑ったまま耳だけ動いている。


「落ち着かないですか?」


 私は一美さんに話し掛ける。


「うん、なんだかね」


 ぎこちない笑顔の一美さん。


「その……猫専門の探偵の件ですけど――」

「やる気になったの」

「はい、マスターにもいろいろ言われましたし」

「いろいろ言われた?」

「はい、何も聞いていませんか?」

「うん、何も聞いていないわよ」

「そうですか」


 私は森上さんの謝礼を受け取らなかったことで、マスターから言われたことを一美さんに話した。


「大吾郎、グッジョブ‼」


 一美さんは握った拳の親指を立てて、マスターに拳を突き出して叫んでいた。

 叫ばれたマスターは一美さんの声に反応して、私たちの方を見る。

 しかしマスターは、一美さんの行動の意味を理解していない。

 なんの事か分からないマスターは、とりあえず同じように拳を突き返していた。


「正直、私はそこまで考えていなかったんだけど、たしかに旦那の言う通りよね」

「はい、トラブルに巻き込まれるのは嫌ですが、飼い猫が居なくなって寂しい思いをしている飼い主さんや、猫を放っておくことも出来ませんし――」

「優しいのね、祐希ちゃんは」

「いえ、そんなこと……」


 優しい目で私を見る一美さん。

 姉とも、こんな感じで話をしていたのだろうかと考える。


 一美さんはタブレットで探偵業について調べ始めていた。


「あれ、一美さん? いつもタブレット持ち歩いていました?」

「今日は取材もあるし、美緒ちゃんも呼んだから」

「美緒ちゃんもですか⁈」

「うん、常連客として声を掛けたのよ」

「そうなんですか」


 マスターからは聞かされてなったが、お客がいるところも撮影したいとのことだったらしい。

 取材が閉店後ということや、飯尾さんと藍木さんに言えば、雑誌掲載前に話が広がる可能性が高いので、口が堅い常連客の中から美緒ちゃんを選んだそうだ。

 そもそも、常連客と言われる人たちで、マスターや一美さんが連絡先を知っているのは美緒ちゃんも含めて数人だろう。

 私は一人も知らないが……。


 店内にお客さんが居なくなるのを見計らって、一美さんと探偵を開業する話を進める。

 条件としては、昼間はma couleurマ・クルールの仕事があるので活動は最低限とする。

 もちろん、ma couleurマ・クルールの仕事を疎かにしてまで活動はしないし、私もするつもりはない。

 だから依頼主は、その時間外での活動で了承してくれることが必須だ。

 それと私は代表か社長かは分からないが、一番上の立場になるつもりはないので一美さんに御願いする。

 言い出した一美さんも一応は承諾するが、妊婦ということもあるので一旦は……ということで承諾する。

 当然、子育てもあるので難しいことは私も理解している。

 そもそも、お客がそんなに来るとは考えていないので、人生経験の一つとしてくらいにしか考えていない。


「こんにちは~!」


 店内に響き渡るような聞き覚えのある大きな声。

 美緒ちゃんだ!


「おめでとうございます!」


 美緒ちゃんは店に入るなり一直線に、一美さんの元へと向かった。

 雑誌に掲載されることを祝う言葉なのだろうが、まだ言うのは早い気がした。

 戸惑う一美さんを気にすることなく、ひたすら喋っていた。

 テーブルの上に置かれているタブレットの表示を見ると、いつもと違うアイドルの表示と違うため、タブレットに顔を近付ける。


「……新しい事業でも始めるんですか?」

「うん、私と祐希ちゃんとでね」

「えっ! とうとう、猫探偵を始めるんですね」


 何故か美緒ちゃんの目がキラキラと輝いている。


「私に出来ることであれば、何でも協力しますよ。私、こう見えても法学部なんですよ」


 一美さんと私は一瞬、固まる。

 頭がいいとは思っていたが、まさか法学部だとは……。


「探偵業開始届出書ですね。法人じゃないので――」


 美緒ちゃんは鞄から自分のタブレットを出すと慣れた操作をしながら、鞄から大学ノートとペンを取り出して書き出す。

 ペンを置くと同時にノートを破って、一美さんに渡す。


「……履歴書に従業員名簿って」

「はい。従業員は祐希ちゃんなので、記入してもらう必要があります……一美さんのここにプリンタはありますか?」

「家にはあるけど、店には置いていないわ」

「そうですか……私、ちょっとコンビニ行ってきます」


 一美さんの返事を聞くことなく、美緒ちゃんは一人でma couleurマ・クルールを飛び出していった。


「台風のようでしたね」

「うん」


 私と一美さんは美緒ちゃんの勢いに押されてしまっていた。


 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・


「祐希ちゃんは、ここだけ記入してくれますか」

「はい」

「一美さん、このお店が事務所になりますか?」

「うん、そうよ」

「警察の立ち入りもありますので、その点は注意が必要ですね」

「警察の立ち入り⁈」

「はい、きちんとしているかの確認だと思いますよ。もし、事務所以外で契約をした場合は、クーリングオフの対象になりますね」


 美緒ちゃんが来てから、完全に場を仕切ってくれている。

 いつもの美緒ちゃんからは、想像できないくらい頼もしい。

 それに口調も違う……こっちが、本当の美緒ちゃんなのか?

 一美さんも戸惑いながら、美緒ちゃんの指示に従って書類を作成させていく。


「それと従業員教育計画書と、教育研修実施記録簿も立ち入り用に残しておいた方がいいですね」

「えっ、なにそれ?」

「探偵業法第11条に代表……この場合は一美さんになりますね。一美さんが祐希ちゃんに教育することが義務付けされています」

「教育って……」


 美緒ちゃんが簡単に一美さんに説明をしていたが、探偵業法自体を知らないので頭に入っている様子が無かった。

 隣で聞いていた私も良く分かっていない。

 相槌さえ打てていない。


「今度、私が一美さんに教えますね」

「お願いします」


 意気消沈気味の一美さんは、頭から煙が出ているようだった。

 私も帰ったら知恵熱が出るかもしれない。


「これでも飲んで、一息いれてよ」


 マスターが私たち三人に飲み物を運んできてくれた。

 運の良いことにお客さんは、何度も来てもらっている仲良し老人六人組だけだったので、マスターも手が空いたようだ。。


「ところで屋号は、何にしたんですか?」

「……屋号?」


 私は一美さんと顔を見合わせる。

 美緒ちゃんは私と一美さんが屋号を知らないと思い、説明を始めようとする。

 一美さんは慌てて美緒ちゃんを止める。

 流石に私や一美さんでも、屋号が何かぐらいは知っているからだ。


「決めていないわね」

「はい、決めていないですね」


 一美さんと私は気まずそうに眼を合わせた。


「屋号が決まっていないと届け出は出来ませんよ」

「……」


 私と一美さんは黙り込む。

 お互いに屋号を考え始めたからだ。

 最終的には代表の一美さんに決めてもらうが、案の一つや二つくらいは出さなければと思う。


「ね、猫探偵事務所ってのは、どう?」

「直球ですね。でも、看板も無いですから……なんでもいいですかね」

「名刺や名乗る時に困りますよ」

「……そうですよね」


 一番年下の美緒ちゃんが一番しっかりしている。

 年下に説教されている私と一美さんを見て、マスターは笑っていた。


「迷い猫専門なんですよね?」

「そのつもりよ」

「そうなら、そのことを前面に出すべきかと思います。迷い猫専門探偵社の何々と言った感じで」

「それいいわね。迷い猫専門探偵局”猫”ってのはどう?」


 一美さんの言葉に美緒ちゃんが絶句していた。

 いや、私も美緒ちゃんと同じ気持ちだ。

 一美さんはネーミングセンスに驚かされることになるとは思わなかった。

 しかも、探偵社と探偵局と変えているのは、意図的なのかさえも分からない。

 生まれて来る子供の名前はマスターが付けた方がいいと思うのは、私だけだろうか?


「かぎしっぽってのは、どうだい?」


 何時から話を聞いていたのか分からないが、老人の一人”笠野さん”が話し掛けてきた。

 この”かぎしっぽ”と言うのは、蔵の「錠前」のような形をしている尻尾が「財産を守ってくれる」と考えられて、商売繁盛のお守りとされて言われていたり、「幸運を引っ掛けてくる」と言われているらしい。

 かぎしっぽの形は千差万別で、唯一無二らしいので同じ尻尾しっぽは無い。

 かぎしっぽは、個性だと教えてくれた。

 私たち三人は顔を見合わせる。


「ありがとうございます、笠野さん」

「いえいえ」


 一美さんが丁寧にお礼を言う。

 先人の知恵ではないが、私たちでは思いつかないようなことを教えてくれるのは、ありがたいことだ。


 その後も話し合いを進めて、屋号は”猫専門探偵社 かぎしっぽ”となった。

 迷い猫と記載をしなくても猫専門で分かるから、省くことになったし、漢字で書くより平仮名のほうが優しい印象になるので、平仮名での記載にした。


「はい、美緒ちゃんも記載する?」

「えっ、何がですか?」

「美緒ちゃんは、かぎしっぽの事務員として採用です」

「いいんですか?」

「うん、薄給だけどいいかしら?」

「もちろんです!」


 嬉しそうな表情の美緒ちゃん。

 私の感覚が変なのか、こんな簡単に決めていいものなのか? と考えてしまう。

 笠野さんたちが帰られるので、マスターに呼ばれて会計作業と、後片付けの準備を始めた。


「頑張ってね」


 笠野さんたちから応援の言葉を貰う。

 私は「ありがとうございます」と頭を下げて返す。

 笠野さんたちは私たちが探偵業をすることを知っていて、応援の言葉を掛けてくれたのだと思うが、あまり口外して欲しくはないと内心思っていた。


 後片付けを終えて一美さんの所に戻ると、幾つかは決定事項として決まっていた。

 まず給料だが売り上げに対して、私が七割で美緒ちゃんが二割、一美さんが一割だった。

 私が貰い過ぎだと反論するが、実働するのは私なので受け入れてもらえることは無かった。

 美緒ちゃんも一割でいいと言うが、暫くはこの比率でという一美さんに説得された。

 あくまで地域密着として、遠方の依頼はお断りとする。

 料金は美緒ちゃんがネットで相場を調べたらしく、完全成功報酬制度を採用することにしたそうだ。

 成功とは”発見して保護”までとして一律”十万円”する。

 一応、打ち合わせを含めた必要経費として最初に三日分となる”三万円”を前金と言う意味で貰うことにする。

 その後、延長するかは依頼主によるが、最長二週間の捜索としている。

 チラシの制作は一枚十円で百枚以上をオプションとして用意していた。

 ただ、ポスティングは出来ないので依頼主自らがされるか、ポスティング業者に依頼して貰うことになる。

料金は全て税別になる。

 料金表は印刷してラミネートするそうだ。


「ロゴ作りますか?」

「そうね。でも、イラスト製作の依頼が必要よね」

「大学に絵が得意な友人がいますので、一万円で頼んでみます」

「なんか美緒ちゃんの負担が大きいけど……大丈夫?」

「はい、任せて下さい」


 張り切る美緒ちゃんの顔は輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る