017話

 バイトを終えた私は昨日に引き続き、クロの捜索をする。

 昨日よりも行動範囲を広げて別の場所での捜索だ。


『ちゃんと探してくれてる?』

『探している』


 ボスは不機嫌そうに答える。

 いつもと違う空気感だが、その理由は分かっている。

 リードを着けているからだ。

 さんざん、暴れるボスを食べ物で釣って、リードを着けさせてもらった。

 職務質問されないための警察官対策だ。

 さすがに、二日連続での職務質問は受けたくない。

 リードはボスと出会ったときに買っていたが、。

 しかし、案の定というべきかボスはリード着用を嫌がる。

 結局、使わないまま家に放置されていた。


『……おい』


 ボスが暗闇に向かって話しかけた。

 小さな川に雑草などが生い茂っている。

 川沿いには脱落防止のガードレールが設置されている。

 私は少しずつ近付き目を凝らす。

 少し足を進めると、草むらが動く。

 風で揺れている感じではなく、何かが動いたと分かる揺れ方だった。


『何もしないから、逃げずに出てこい』


 ボスが説得を試みるが、草むらの中から返事はない。

 私には猫がいることさえ分からない。

 こういった感覚は猫同士でしか共有できないのだろう。

 膠着した時間が続く。


『いい加減、顔を見せろ!』


 痺れを切らしたボスが叫ぶと、観念したのか草むらが大きく揺れる。


『私に……なにか用?』


 黒猫がボスを睨みながら姿を現したが、かなり警戒している。

 見た目で姿を現した黒猫が、探しているクロなのかは、私には分からない。


『お前、この間まで飼い猫だったか?』

『……どうして、知っているのよ』


 黒猫は明らかにボスを怪しんでいる。


『クロちゃんね。あなたの飼い主に頼まれたのよ』

『きゃっ‼』


 クロは叫び声と共に、後ろに飛び跳ねた。


『驚かせてごめんね』


 私はクロに謝罪する。


『なんなのよ! 一体どうして、私たちの言葉が分かる……話せるのよ』


 完全に私を警戒しているのか、毛を逆立てて私を威嚇していた。

 こんな時は秘密兵器の登場だ。

 私はリュックのポケットから”ちゅ~る”を取り出す。


『おい‼』


 分かっていたことだが、ボスが私を睨みつけて文句を言おうとする。


『家に帰ったら、ちゃんとあげるから』

『約束だぞ』


 ボスは渋々、文句を言うのを止めた。


『はい、お腹すいているでしょう』


 草むらから伸びている草で皿代わりになりそうな葉を千切ると、その上にちゅ~るを乗せて、クロの目の前に差し出す。

 警戒しながらも、ちゅ~るを食べたことがあるのか、短い距離ながらも一歩ずつちゅ~るとの距離を縮めていた。


『変な物は入っていない。最初に俺が食べてやる』


 ボスが毒見と称して、ちゅ~るを食べようとするので、私はボスを押さえつける。


『冗談だ』


 ボスは抵抗しながら、身の潔白を証明する。

 私はボスをそのまま抱き上げる。


『へんな人間ね』

『おぉ、こいつは変な奴だ』

『なんですって‼』


 私はボスを怒る。


『はぁ~。まぁ、いいわよ。あなたたちが変なことは分かったけど、危ない奴たちでないとも分かったしね』


 呆れ顔のクロは私が置いたちゅ~るを舐め始めた。

 その様子を恨めしそうに見るボス。

 やはり、先程の行動は冗談ではなかったのだ。

 隙あらば奪おうと考えていたに違いない。


『食べちゃ駄目だからね』

『……分かっている』


 私はボスを一旦、地面に置くとリュックからエコバッグを出す。


『おい、俺の場所を又、奪うのか!』


 ボスはラテの時のようにリュックを奪われると思っているようだ。

 そもそも、ボスはリードに繋がれているので、クロをリュックに入れるのであれば、エコバッグを出す必要が無い。

 一応、ボスにと一美さんから頂いた物なので、さすがの私もボス以外の猫を入れるのは気が引けた。

 今後も迷い猫の捜索を続けるのであれば、キャリーバッグが必要だと思いながらも、私はハッとする。

 又も一美さんに言われた探偵をする前提での考えをしてしまったことに気付いたからだ。

 私は考えを振り払うように首を左右に振った。


『大丈夫よ。ボスの場所は奪わないわよ』

『本当か?』


 疑いの眼差しを私に向ける。


『クロちゃん。悪いんだけど、この袋に入ってくれる』

『……変なことしないわよね?』

『うん、約束する』

『分かったけど――さっきから言っているクロちゃんて、私のこと?』

『えぇ、そうよ』

『ふーん、私はクロって呼ばれていたんだ』

『知らなかったの?』

『だって、自分の名前を名乗ることなど無かったしね』

『それで困ることなかったの?』

『無いわよ』


 私は衝撃を覚える。

 たしかに、室内猫で一匹しかいなければ話し相手はいない。

 必然的に名前を名乗ることもない。

 外出するのは動物病院に行く時くらいだろう。


『なにを驚いているんだ?』

『えっ、だって名前がないんだよ』

『名前なんて、祐希たちのいう記号と同じだろう。俺たちだって、自分で好き勝手に付けたり、呼び合っているだけだからな』

『えっ、でもボスだって、一美さんやマスターが名前を呼んだ時、振り向いたりするじゃない』

『なんとなくだ』

『なんとなくって、なによ』

『俺を呼ぶときの音が分かるってだけだ』

『音?』


 ボスの言う音というのは、響きや音波などを言っているのか分からない。

 だが、自分を呼んでいることだけは理解出来ているようだ。


『私も同じね』


 クロにはボスの言っていることが理解出来ているようだ。

 人間と言葉と猫の言葉でも共通する単語は存在する。

 例えば、音とか光とかだ。

 理由はよく分からないが、私としたら説明の手間が省けるので有難い。


『じゃあ、ボスもリュックに入ってね』

『あぁ、やっとこの動き辛いのが外れるんだな』


 ボスのリードを外して、そのままリュックにボスを入れた。

 クロも素直にエコバッグへ入ってくれた。

 思っていたよりも早く見つけることが出来た。

 時間も八時を回ったところなので、森上さんに電話を入れる。


「はい、森上です」


 四回のコール後に森上さんが出た。


「夜分に申し訳御座いません。私、西田と申します」

「西田さん……なんの御用件でしたでしょうか?」


 私は、この時に気付いた。

 ma couleurマ・クルールで話を聞いた時、私は西田さんに自分の名前を名乗っただろうか?

 ……名乗っていない。

 明らかに勧誘か、なにかの迷惑電話だと思っているに違いない。


「猫……クロちゃんを探す依頼を受けたメイドの西田です」


 森上さんにはメイドというキーワードを使った方が分かりやすいと思い、咄嗟にメイドと名乗った。


「あっ、メイドさんでしたか。気付かずに申し訳ありません」

「いえいえ、こちらこそ名乗らずに申し訳御座いませんでした」


 私の脳内では今後のことも考えて、名刺を作成すべきなのかと考えていた。

 ……あれ? 探偵事務所をやる前提で考えている。

 いつの間にか洗脳されたようだ。


「御電話を頂いたということは、もしかして……」

「はい。たった今、クロちゃんを捕獲しました」

「ありがとうございます」


 電話の向こうで、いない私に向かって何度も頭を下げる森上さんを想像する。


「今から、お宅にお伺いしても宜しいでしょうか?」

「はい、もちろんです」

「では、今から伺わさせて頂きます」

「宜しくお願いします」


 森上さんは安堵に満ちた声で電話を切った。


『今から家に帰るわよ』

『御願いね』

『ところで、どうして家を飛び出したの?』


 クロに脱走した理由を聞く。


『外にいた虫と遊んでいただけよ。気づいたら知らない所にいたわ』


 虫との遊びに夢中で、家を飛び出したことにさえ気づかなかったようだ。


『あの家が嫌で飛び出したわけじゃないんだ』

『まぁね。奥さんが無くなってから、御主人だけになったしね。これで、私まで居なくなった御主人は一人ぼっちになっちゃうじゃない』


 エコバッグの中で話すクロは、森上さんを気遣っていた。


『優しいのね』

『そ、そんなことないわよ』


 猫にもツンデレがいるのだと知る。



「うーん、どうしようかな」


 私はクロをモンキーに、どうやって乗せようかを考えていた。

 エコバッグをいい位置に固定できない。

 試行錯誤の末、自分も危険だと思ったがエコバッグを首から掛けることにした。

 ゆっくりと大きな道路を走らずに、クロの飼い主である森上さん宅へと向かう。


『大丈夫?』


 私はクロを気遣う。


『あなたこそ、大丈夫なの?』


 視線は前なので、クロがどういう表情で話をしているのか分からないが、私を心配してくれていることだけは分かった。


『何とかね。それよりも、そっちこそ揺れるけど大丈夫なの?』

『何とかね』

『真似しないでくれる』

『別に真似なんてしていないわよ』


 私と同じ返答をするクロに、私とクロは同時に笑う。

 出来るだけ揺らさないようにと、慎重に私は走った。

 カーブの度に体を外側に持っていかれるので、出来るだけクロを動かさないように注意しながら、モンキーを走らせる。



 森上さんの家に到着すると窓から見ていたのか、モンキーのエンジン音に気付いたのか分からないが、高い塀に取り付けられた玄関口の扉が開く。


「西田さん……ですか?」

「はい、夜分に申し訳ありません」


 森上さんはメイド服を着ていないと私だと分からなかったようで、疑問形で話しかけてきた。


「クロは元気でしょうか?」

「はい。先程、ちゅ~るを元気に食べていましたよ」

「そうですか」

「こんな袋で申し訳ありませんが……」


 一刻も早くクロに会いたい森上さんに、私は申し訳なさそうにクロを入れているエコバッグを開いて、森上さんに見せる。


「あぁ、クロ」

 

 私は森上さんにクロの入ったエコバッグを手渡すと、不安げな表情から優しい表情へと変わった。

 その表情を見ながら、私は満足する。

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