015話

「しかし、物騒な世の中になったな」

「本当だぜ。最近、嫌なニュースばかりだな」

「景気も悪いうえ、物価も高騰しているし生き辛い世の中になったよな」


 常連客の飯尾さんと藍木さんが昨日、河川敷で見つかった死体のニュースなどの話をしていた。

 昨夜、私が予想していた通り飯尾さんと藍木さんは二人で、今回の事件をいろいろと考察していた。


 ボスは普段と変わらず、カウンターの隅で香箱座りで目を瞑っていた。

 朝、マスターからボスを受け取った時、ボスに変化はなかった。

 マスターも「大人しかったし、僕たちも楽しかったよ」と、ボスとの生活を楽しんでいたようだ。

 帰ってからボスには、マスターや一美さんに粗相が無かったかを確認する必要がある。


(あれ、この曲って)


 ma couleurマ・クルールの店内はジャズ調の曲が流れている。

 私は聞き覚えのある曲に思わず天井のスピーカーを見た。

 入院中に何度か聞いたことがある曲――懐かしくも、悪い思い出が蘇る曲だった。

 もちろん曲に罪はないことは分かっている。

 病院で意識を取り戻して状況が分からなかった私。

 医師や看護師からも事故で入院していること以外は告げられることが無かった。

 家族の安否については、伯父夫婦と一緒に来た警察官から家族が亡くなったという話を聞いていた時に流れていた。

 警察官が話す前、伯父夫婦の表情からも良い報告で無いことは、なんとなくだが理解していた。

 話が進むにつれてのカウントダウン。

 そして、家族が全員無くなったという衝撃の事実――。

 絶望の瞬間……いや、正確には絶望の一秒前にサビの部分が流れていたのを、今でも鮮明に覚えている。

 人は悲しすぎると泣けないと聞いたことがあるが、自分のことだが他人のことのように感じてしまっている自分がいたからかも知れない。

 その時は現実を受け入れることが出来なかったのだと、今になって思う。

 これからも、この曲を聞く度に思い出すのだろう――。


「祐希ちゃん?」

「はい」

「大丈夫?」

「はい、大丈夫です」


 スピーカーを見ながら、呆然としていた私。

 それを不思議に思った藍木さんが、心配そうに声を掛けてくれた。

 私は何もなかったかのように言葉を返した。


 その時、店のドアが開く。


「いらっしゃいませ」


 いつも通りに始まる朝だと思ったが、このお客さんの来店で事態が急変した。

 ドアを開けた男性は店内を見渡すだけで、店内に入る素振りが無かった。


「どうぞ、お好きな席にお座りください」


 私は男性に声を掛けるが怯えているのか、緊張しているのか左右の指先を細かく動かしていたながら、視線を合わせることなく小声で話してきた。


「……すみません」

「はい、なんでしょうか?」


 男性は数秒間、黙ったままだった。

 見たことが無いお客さんなので、この店には初めて訪れたのだと思う。


(あっ!)


 昨夜の河川敷の死体のことが頭を過ぎった。

 私は男性に気付かれないように、少しだけ後退りする。


「その――こちらに、猫探しが上手なメイドさんがいると聞いたのですが――」


 挙動不審な男性が私のことを探していることを知る。

 店内にメイド姿なのは私しかいないので、確認でもしているのだろうか? 


「それなら、目の前の祐希ちゃんだよ」


 私が答える前に飯尾さんが答えた。

 上手いこと誤魔化そうと考えていた私が愚かだった。


「そうですか、実はメイドさんに探して頂きたい猫がいまして――」


 こちらの事情を無視で話を進める。

 困惑しながらも私は男性をテーブル席へと案内した。


「お仕事中に申し訳ありません」

「いえいえ、その……仕事中ですので、後でも宜しいでしょうか?」

「はい、こちらこそ本当に申し訳ありません」


 私がメニューブックを男性の前に置こうとする。


「珈琲御願いします」


 メニューブックに目を通すことなく、注文をされた。

 私はメニューブックを脇には挟み、オーダーをマスターの所に持っていく。


「オーダーです」

「はい。祐希ちゃん、あの人の話を聞いてあげて」


 フロアの話し声が聞こえていたのか、マスターは融通を効かせてくれた。


「えっ、でも」

「忙しくなったら、声かけるから大丈夫だよ」

「……分かりました」


 マスターに言われた通り、私は男性の話を聞くことにした。

 まず、私のことを誰から聞いたかを尋ねようとすると、男性は自分の名を”森上 則幸もりかみ のりゆき”と名乗った。


「林田さんの猫も脱走したと聞いてましたので、奥さんにどうやって見つけたのかを聞いたのです」

「そこで、私のことを知ったわけですね」

「はい。猫と心が繋がっているくらい素晴らしいメイドさんだと聞いております」


 たしかに、猫の言葉は分かるが……心は通じ合っていないと思う。


「その……私もボランティア間隔で猫ちゃんを探すだけですので、本職ではないんですよ」

「はい、存じ上げております。人探しいえ、猫探しであれば探偵を雇うことが出来ます。実際、数店の探偵事務所にも相談に伺いましたが、門前払いとはいきませんでしたが、断られてしまいました」

「御自宅の周囲は探されたのですよね?」

「はい、探しましたが見つかりませんでした」

「写真はありますか?」

「こちらになります」


 男性は型掛け鞄から写真を取り出した。

 ……黒猫。

 これは闇に潜むには最適な毛色だ。


「まだ、子猫なんですね」

「この写真は家に来た当時のものになります。今はもう大きくなっています」

「今の写真はありませんか?」

「申し訳ありませんが、これしかありません」

「……この写真を撮ったのは、いつ頃ですか?」

「三年から四年ほど前です」


 若者のようにスマホを片手に映えると言って、なんでもかんでも写真を撮るようなことはしないのだろう。

 しかし、写真が古すぎる。

 これでは探偵事務所も、丁重に御断りをするかも知れない。

 そもそも、探偵事務所がどのように調査(捜索)費を出しているかを私は知らない。

 ラテ捜索の時、林田さんからお礼を貰った時に貰いすぎではないかと、不安になり調べた。

 手付金に成功報酬や、調査日数での清算などの様々な種類があった。

 森上さんが訪れた探偵事務所で、どのような話をされたかは知らないが、悪徳な探偵事務所であれば、ろくに調査もせずに調査日数を請求することも考えられる。

 そのような探偵事務所に行っていないだけ、まだ良かった。

 だからといって、私を頼られても困るのも事実だ。


「この写真をお借りしても宜しいですか?」

「はい、どうぞ。引き受けて頂けますか⁈」

「ボランティアとしてです。時間の空いた時に探させてもらいますが……お名前を教えて頂けますか?」

「……はい、森上です」


 ……森上さんなのは名乗ってもらったので知っている。

 今、私が聞いたのはいなくなった猫の名前である。


「そうですね、すみません。クロと言います」

「クロちゃんですね」


 名は体を表すというか、安直な名前というか……賛否両論あると思う。

 でも、私はクロという名前が、いちばんしっくりくる。

 預かったクロの写真をスマホで撮り保存をする。


「ありがとうございます」


 私は森上さんに住所と連絡先の電話番号を聞く。

 住所を見て林田さんの近所だと、すぐに気づく。

 案の定というか、連絡先は固定電話の番号だった。


「宜しくお願いします」


 去り際、何度も森上さんは頭を下げていた。


「猫メイド探偵への依頼だね」

「もう、飯尾さん!」


 茶化す飯尾さんを怒る。


「でも、あの人……寂しそうだったよね」


 藍木さんが森上さんの印象を呟いた。


「もしかしたら、猫と二人っきりで暮らしていたかもね」

「それは……俺なら耐えられない」


 飯尾さんと藍木さんは、二人でコントでも始めるようだった。

 でも、藍木さんが「寂しそう」と言ったのには共感できた――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る